生物委員会と彼女
放課後、作法委員会のお仕事で倉庫にあるフィギュアの清掃をしていると、どこからかふと鼻を突く匂いが漂ってきた。
「ほぁ?…この匂い…お線香?」
清掃用の雑巾を手に持ったままふらふらと匂いの元へ誘われるように足が動く。
藤内くんが驚いたように私の名を呼んだけれど、抗えないまま私の足は進んでいく。
倉庫から少し離れた草むらを越えると、匂いは唐突に強くなった。
きょろりと視線を彷徨わせると、生物委員会の飼育小屋が目に入る。
そこには群青色と萌黄色が1つずつ、それに井桁が4つ、固まって何かを見ているようだった。
「さんちゃん…」
私はそうっと歩を進め、生物委員会に所属する1つの井桁の名前を呼んだ。
私の声に反応してゆっくり顔を上げたさんちゃん…1年は組の夢前三治郎くんは、そのつぶらな瞳に涙を浮かべて小さな手をぎゅっと握り締めていた。
「三葉先輩…」
「どうした…の…?」
その言葉を最後まで言い終わるよりも先に、私は目の前の光景を見て状況を理解した。
4つの井桁に囲まれて、しゃがみこんでいるのは群青と萌黄。2人は手を合わせ、頭を垂れている。萌黄の固く閉じられた瞳には、涙。
彼らの前に横たわるのは、大きな茶色い鶏。
「…結構長生き、したんだぜ?」
へにょりと力なく笑って立ち上がった群青…生物委員会委員長代理の竹谷先輩が、私の頭に大きな手を置いて小さく呟く。
その呟きに触発されたように、萌黄は更に俯き、4つの井桁からは小さな啜り泣きの声が聞こえた。
その様子をじっと見つめていた私の左目に、ノイズとは違った影がぼんやりと映り出す。
頭の中に浮かんでくるなんとも言いようのない暖かなその想いに、私は左目の眼帯に触れながら微笑んだ。
自然と言葉が口を次いであふれ出す。
「八左ヱ門、育ててくれてありがとう…孫兵、卵、あげられなくなってごめんね…一平、孫次郎、虎若、三治郎、いつもおうちを綺麗にしてくれてありがとう…」
私の呟きに、竹谷先輩と萌黄…伊賀崎くんが勢いよくこちらを見る。
「時友…?」
「なんで、卵のこと…」
目を見開いて、心底驚いたようにあんぐりと開いた口から、ぽろりと零れたその言葉に、私はにっこりと笑って横たわる鶏さんのすぐ隣を指差した。
「その子、お礼言ってからじゃないと眠れないって。自分じゃもう伝えられないから、私にお願いねって」
それを聞いて、まるで火がついたように泣き出してしまった4つの井桁はぼろぼろと零れる涙をそのままに、横たわる鶏さんに駆け寄って小さな手で体中を撫で回し始めた。
「一平、ご飯おいしかった…孫次郎、いつも驚かしてごめんね…虎若と一緒に鍛錬するの好きだった…三治郎、追いかけっこ楽しかったね…」
グスグスと鼻を啜る音をBGMに、鶏さんから溢れる言葉を口にする。そして私はくるりと向きを変え、伊賀崎くんの隣にしゃがんで、ぎゅっと手を握る。
「孫兵、卵は明日から違う味になっちゃうけど、ジュンコやきみこにはもう話してあるから大丈夫。孫兵は私の子を奪っていったけど、それ以上に可愛がって大事にしてくれたから、孫兵のこと大好きだよ」
「…っ!!」
伊賀崎くんは細い眉をぎゅっと寄せて、その綺麗な顔を歪ませる。切れ長の瞳からはぼろりと大きな涙が零れてしまったが、彼の首に巻きついている綺麗な赤い蛇がそれを優しく拭った。
嗚咽を零し始めた伊賀崎くんの両手から手を離し、彼の頭をぽんぽんと撫でてから、私は竹谷先輩のところへとことこと近付いた。
ずっと切なそうに、泣くのを我慢した笑顔で立っていた竹谷先輩は、私に視線を合わせるようにしゃがんでくれた。
そんな竹谷先輩のぼさぼさの髪を、そっと撫でて、鶏さんが一番伝えたい言葉を彼に告げる。
「八左ヱ門、ずっと見守っていてくれてありがとう。ずっと大切に育ててくれてありがとう。八左ヱ門が立派に卒業するところ見たかった。ありがとう、ありがとう、八左ヱ門はわたしのお父さんです、ありがとう、ずっと大好き、いつまでも」
一緒だよ…そう伝えると、竹谷先輩の眉間にぐっと皺がよって、物凄い力で抱き寄せられた。
小刻みに震えるがっしりとした体躯はとても小さく見えて、そっと背中をさすると、ぐす、と小さく鼻を啜る音が聞こえた。
「お礼を言いたいのは、俺たちだっつーの…長生きしてくれて、ありがとうな…、ありがとう…っ」
竹谷先輩のその言葉で、私の左目の影は蕩けるように消えて、頭の中の暖かなものが小さく甲高くひとつ鳴いた、気がした。
暫く生物委員会の皆と鶏さんに手を合わせて、温かみが消えてしまったその体を開けた場所の土へと埋める。
大き目の石をその上において、井桁たちが摘んできた花を飾る。そして、竹谷先輩が準備してきたお線香をそっと石に立てかけ、再度手を合わせる。
「…時友先輩、ありがとうございました」
その時隣に立っていた伊賀崎くんが、小さな声で囁いた。
「あの子の気持ちが知れて、よかったです。ずっと卵のこと、気にしてたから…」
「…そっかぁ、それなら、よかった…」
そう言って、合わせていた手を下げる。視線の先の伊賀崎くんは、少し目が赤いものの、ちゃんと笑えていた。
竹谷先輩と1年生たちにもお礼を言われて、私は手を振って生物委員会の飼育小屋を後にした。
すっかり作法委員会のお仕事をさぼってしまったが、怒られたりするかな…とドキドキしながら倉庫へと戻ると、そこには作法委員会の面々が各々自由に、それでも全員揃ってそこにいた。
「お、戻ってきたか」
「あわわ…仙蔵先輩、さぼってごめんなさい…」
切れ長の目を細めて涼やかに笑う仙蔵先輩と目が合って、私は慌ててひょこりと頭を下げた。
そんな私の傍に、藤内くんと兵ちゃんが駆け寄ってきてぎゅっと手を握った。
「立花先輩から聞きました、ありがとうございます」
「僕も。三治郎、結構引き摺っちゃう奴だから…ありがとうございます」
2人はそう言ってにっこりと笑って、私の手を握ったままぶんぶんと振った。驚いて仙蔵先輩を見ると、仙蔵先輩も同じように穏やかに笑っていて、私は首を傾げる。
「えっと…あの…」
「『線香の匂いかする』と言ってふらりとお前が消えると、翌日必ず竹谷がお礼を言いに来るんだ。毎回な」
それが続けばさすがに私も察するさ、と言って、仙蔵先輩はぱんとひとつ手を打って作法委員会全員に解散を告げた。
わらわらと散っていく背中を見つめながらぼうっと立っていると、背中とつんとつつかれた。
振り向くとそこには踏み鋤の踏子ちゃんを抱えた綾ちゃんが立っていて、彼は空いている手で私の頭をそっと撫でた。
「三葉、お利口さん」
「…えへへ」
柔らかく微笑んだ綾ちゃんに褒められて、私は恥ずかしくなって俯いた。しかしどうしたって笑いが零れてしまう。
あれだけのことしか出来ないけれど、それでも、少しでも、優しい生物委員会の彼らが喜んでくれたならば、凄く嬉しい。
『死』という別れはとてもとても辛いものだけれど、どうしたって乗り越えなければいけない。
“力添え”なんて大それたこと思っていないけれど、少しでも気持ちを伝えられる協力が出来るなら、それが私に出来るなら。
「さ、一緒に穴掘りしよう」
「んー…今日は日向ぼっこがいいなぁ」
「えー………いいよ…」
「穴掘りは明日一緒にやろ?」
「…わかった。約束だよ」
綾ちゃんに手を引かれ、私たちは飼育小屋が見える日向ぼっこスポットへと足を進めた。
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