留三郎と彼女

爽やかなとある日。
不便ではあるがいい加減慣れてしまった隻眼で校庭を歩いていると、校門のところで小松田さんと話している私服姿の食満留三郎先輩を見つけた。
とことこと駆け寄り、私は声を掛ける。

「留先輩、お出かけですか?」

「お、三葉。ちょっと頼まれ物を届けにな。暇ならお前も行くか?そんな遠くないし、帰りに団子でも買ってやるぞ?」

「わぁ!!行きます!!着替えてくるのでちょっと待っててください!!」

留先輩から発せられた魅惑の『お団子』と言う響きに、私は一目散に自室に戻り、自分でも驚くほどのスピードで着替えを済ませて外出許可を貰い出門表にサインをし、校門の外で待っていた留先輩に駆け寄った。

「お待たせしました!!さぁお団子に行きましょう!!」

「団子に行くんじゃねーけどな」

けらけらと楽しそうに笑う留先輩と手を繋いで、お見送りしてくれた小松田さんに向かって元気よく手を振る。

暫く歩いて、森を抜け、町を過ぎ、目的の学園長のお友達?のおうちで用事を済ませ、約束通り留先輩は行きに通り過ぎた町でお団子を買ってくれた。
はくはくと両手に団子を持ち、口いっぱいに頬張る。
餡子や、きなこ、甘ダレ醤油のお団子は、あっという間に私のお腹に納まった。
隣でお茶を啜りながらにこにこしていた留先輩が、やっぱすげぇ、と呟いたのは聞かなかったことにした。

「はふぅ…ご馳走様でした!!」

膨れたお腹をてんてんと撫で、心なしか青褪めている留先輩に向かってお礼を述べて微笑む。

「あ、おう!!まぁ満足してくれたならいい!!可愛い!!」

あっという間に顔色が元に戻った留先輩がお会計を済ませ、わしわしと頭を撫でられて、私たちは再び手を繋いで、学園に戻るために夕暮れに染まる森の中に足を踏み入れた。


夕暮れはあっという間に夕闇へと変わり、ざかざかと草を掻き分ける足音が二つ、森に木霊する。
そして、私は違和感を感じて顔を上げた。

「留先輩、ちょっと待ってください」

ぐい、と軽く手を引いて、少しだけ先を歩く留先輩に囁く。

「…ちょっと、おかしなところへ来てしまいました」

「おかしなところ?ここ真っ直ぐ進めば学園だろ?」

「うーん…多分、ここを真っ直ぐ進んでも学園には戻れないと思います」

私の言葉に留先輩は首を傾げながら、周囲を見渡す。
そして、その肩をびくりと跳ねさせた。

留先輩の視線の先、大きな木、その枝のひとつからぶら下がっている、何か。
まるで縄で首でも括ったかのようにぎしぎしと不気味に揺れるそれは、風もないのにずっと揺れ続けている。

「なんだ、あれ、…人か?」

小さな声で私に問う留先輩のその言葉を、首を振って否定する。

「いいえ、違います。ヒトではないです」

「ヒトでは、ない…」

鸚鵡返しのように呟く留先輩の手を引いて、視線を逸らさせる。もっとも、もう手遅れだと思うけれど。
そう思った矢先、どさり、と何かが落ちる音がして、留先輩の大きな手がびくりと震えた。

「な、何の、音だ?」

「えっと、恐らくさっきのが地面に落ちて…」

「わっ、わー!!やっぱいい!!言わなくていい!!」

留先輩は珍しく声を荒げ、私を担いで走り始めた。その背後から、案の定、ずるずると何かが這う音がする。

「あやや、留先輩、憑いてきちゃってますよぅ」

「憑いてきてる!?」

悲鳴に近いような声で、颯爽と走りながら留先輩が確認のように繰り返す。留先輩の腕の中で体を捩って後ろを見ると、やはり何かがずるずると凄い速さで追いかけてきている。
左目に走るノイズを少しだけ鬱陶しく思いながら、ひたすらに走る留先輩に振り落とされないようにしがみ付く。
しかしどれだけ走っても、学園の門は見えてこない。やはり、おかしなところに迷い込んでしまったのだろう。
そう思って、どうしようかと思案していると、背後から呻き声まで聞こえてきた。
それはかなり近く、大きく、さすがに留先輩も驚いたようで足を止めてしまった。
警戒するように周囲を見渡し、留先輩は目を見開く。
先程からずっと後ろについてきていた何かは、影も形もなく消えていた。

「撒いた、のか…?」

「まさか。いますよ、そこに」

ほう、と安堵の息を吐きかけた留先輩に、申し訳なく思いながらも彼のすぐ後ろの木を指差す。
すると、暗闇に混じるそこからずるり、ともべちゃり、ともつかない音が聞こえた。

「…!!!」

驚きのあまり、悲鳴も出ない留先輩。さすがにこれはまずいと焦りを覚えたその瞬間、地面を這って私たちに近付きつつあったそれは、ぼこりと大口を開けた地面に吸い込まれていった。

「…ほぁ?」

唐突なその状況に、間抜けな声が零れてしまった。

「お、落とし穴?」

留先輩も同じように、何かが吸い込まれていった地面にぽっかり空いた穴を見つめている。
すると、背後の草むらがガサガサと音を立て、そこからひょっこりと見慣れた灰色が顔を出した。

「おやまあ、誘拐犯」

「だれが誘拐犯だ!!って…」

「あやちゃん!!」

感情の起伏を感じさせない声色で誘拐犯、と呟いた綾ちゃんに、留先輩が噛みつかんばかりの勢いで怒鳴る。
しかしそんなことは全く気にしないで、綾ちゃんはとことこと留先輩に近付いて私をひょいと奪うように腕の中から抱き上げた。

「何かが僕のターコちゃんに落ちたような気がしたけど」

そう言って不思議そうに穴を覗き込む。綾ちゃんの腕の中から私も一緒に穴を覗きこんだが、そこには大きな穴が口をあけているだけで、中には何もない。

「きっと綾ちゃんが来たからいなくなっちゃったんだ」

「そう。まぁ、三葉が無事ならいいよ」

「えへへ、助けてくれてありがとう、綾ちゃん」

「…どういたしまして?」

お礼を述べると、不思議そうに首を傾げた綾ちゃん。恐らく察してはいるんだろうけど、よくわからないのは私も同じ。

「…おい、綾部。ここって…」

「学園の裏山ですよ、誘拐犯の食満先輩」

「だから誘拐犯じゃ…って、裏山!?」

綾ちゃんに抱えられたままにこにこしていたら、留先輩がきょろきょろと周囲を見渡して、綾ちゃんに問いかけた。
いつの間にか見慣れた裏山にいることに気が付いたのだろう。
全く意味がわからない、と言った表情で顔を見合わせる綾ちゃんと留先輩。

「なあ、三葉、俺たちこんなとこ走ってなかったよな?」

「えっと、だから、最初に言った通り、変なとこに迷い込んじゃったんですよ」

「変なとこ…」

「はい。でも、綾ちゃんが来てくれたので、さっきのはどっか行って、もうちゃんと学園にも帰れます」

私のその説明に、留先輩は暫く唸っていたが、大きな溜息をひとつ吐いて、ガシガシと頭を掻いた。

「ま、帰れるんならいいか」

そう呟いて、留先輩は綾ちゃんに近付き、私をひょいと抱え上げた。

「おやまあ、また三葉が誘拐される」

「だから誘拐なんてしねーよ!!」

「…小松田さんから聞きましたよ?お団子で三葉を唆して連れて行ったって」

「な、そ、それはその…一緒にお使いにだな…」

「言い訳は見苦しいですよ、誘拐犯の食満先輩。この一件はしっかり立花先輩に報告させていただきます」

「なっ!!仙蔵は関係ないだろうが!!」

「関係あります。三葉は作法委員会の一員ですから、立花先輩はいわば保護者です」

ぐぬぬ…と拳を握り締めて綾ちゃんを睨む留先輩の腕の中から綾ちゃんにぐいぐいと引っ張られながら、私はぐるりと周囲を見渡す。
左目のノイズはすっかり消えている。しかし先程のあれは間違いなく留先輩といたために寄せてしまったのだろう。

綾ちゃんが現れなければ、どうなっていたことか…。

ふと浮かんだその考えにぶるりと体を震わせて、ぎゅっと両の手を握り締める。

「どうした三葉?怖かったのか?」

「あ、いえ、ちょっと…お腹が減っただけですよぅ」

眉を寄せて心配そうに問い掛ける留先輩に心配を掛けないようにそう言って笑うと、留先輩は頬を引き攣らせながらそうか、と小さく呟いた。


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