赤、あか、アカ


医務室に嫌な沈黙が降りる。
折角助かったのに、またあんなおぞましい体験をしなければいけないのかと、嫌悪感と恐怖に苛まれる。

「返してって…一体何のことだろう」

伊作先輩のその呟きに、私は虚ろに顔を上げる。
そんな憔悴しきった私の様子に、こなもんさんが見かねて口を開いた。

「今回は、簡単なんじゃないか?」

「簡単…ですか?」

「このお姫さまの生涯も、望みも、先日までの君たちの頑張りで判明している。その中で、未だに彼女が欲しがるものを探せばいいんじゃないかい?」

こなもんさんと伊作先輩のそのやりとりで、私ははっとした。
そうだ、絹さんが返して欲しいもの、といったら、もうひとつしかない。

「からだ、だ…」

伊作先輩が息を飲んで、私を見た。

「そうだ…彼女の遺体は、見付かってない…」



その瞬間、私の左目に今までにないくらい激しくノイズが走った。
ザリザリと死角を埋め尽くすほどにちらつく白と黒の線。

「っあ゛…!!」

咄嗟に左目を押さえて、呻く。
慌てた伊作先輩が私の体を支えてくれだけれど、まるで三半規管を狂わすようなそれに耐え切れず、伊作先輩を巻き込んで床に倒れ込んだ。
私が床に体を打ち付けないように庇って下敷きになった伊作先輩の、思いのほか鍛えられた胸板の上で、何とか起き上がろうと腕を突っ張る。

「伊、作せんぱ…すみませ…ん…」

何とかそう謝り、体を起こそうとした私の死角に、ちらりと赤いものが映った。

「何者だ」

同時に、私の豹変に驚いていたこなもんさんが、扉に向かって手裏剣を打った。
それに驚き、伊作先輩は私を抱えたまま体を起こす。
こなもんさんは忍術学園と敵対するタソガレドキ城の忍隊組頭なので、勿論忍術学園内では歓迎される存在ではない。
しかし、保健委員と仲がいいので、医務室に時々出現した時は精々潮江先輩くらいしか襲ってこない。
しかも、その潮江先輩もまだ忍たまなので、こなもんさんは決して本気で攻撃を仕掛けたりはしない。
いくら忍術学園一ギンギンに忍者しているとはいえ、プロの忍者であるこなもんさんにとってはまだまだのひよっこ以下だから、実力に差がありすぎるため…というより、こなもんさん曰く「可能性を潰すわけにはいかない」そうです。

と、暢気に考えていた私を伊作先輩が体全体で隠すように抱き締める。
ひょっとして忍術学園ともタソガレドキとも仲が悪いドクササコとかどこか他の曲者でも来たのかな、と考えたが、伊作先輩の安堵の息でその考えは否定された。

「驚かさないでくださいよ、誰もいないじゃないですか…」

「いや、確かに…何者かが、いる………と思う」

なんだか煮え切らないこなもんさんの言葉に、伊作先輩も首を傾げる。
激しいノイズに慣れてきた私は、プロの…しかも相当の手だれと恐れられるこなもんさんの一連の行動を疑問に思いながら、気になって医務室の出入り口に顔を向けた。


「やっ…!!!」




数日前に、卜占村で見た【モノ】
忍術学園の図書室で中在家先輩を襲った【モノ】
シャグマアミガサタケ城跡地で私の目を抉った【モノ】
深い深い、虚ろな闇をはめ込んだような目と口。
朽ちた体に、見覚えはある。
しかし、今医務室の出入り口から私に向かってずるずると歩いてくる【モノ】は、以前の白くぼろぼろの着物ではなく、まるで血で染め抜いたような赤い着物を纏っていた。

その周囲の冷たい空気にがたがたと体が震える。
以前体験した、あの痛みが思い出される。
ずる、ずる、と少しずつ、でも確実に歩み寄るその恐怖に戦き、伊作先輩にしがみつく。

「ど、どうしたの三葉ちゃん、大丈夫?」

「やっ、ぃやっ…伊作、先輩ぃ…!!!」

じっと、視線は逸らさないまま、伊作先輩に縋る。
そして気付いた。左目の激しいノイズの中に、鮮やかに浮かぶ赤。
右目には、その存在が映っていないことに。

それは、つまり

「私、だけを……」

狙っているんだ、私だけを。
だから、他の人…しろちゃんや三ちゃんみたいな“力”のある人でも、コレはきっと見えない。
眼前に伸ばされ、もう少しで鼻先に触れるそのぐちゃぐちゃの指先。

「っ…やぁぁぁ…」

少しでも逃れようと伊作先輩の胸にぐっと顔を埋めた。


その瞬間。

「おやまあ、変質者が2人いる」

すっぱーん、とけたたましい音を立てて医務室の扉が開き、耳に馴染んだ声が聞こえた。
恐る恐る伊作先輩の腕の中から顔を出すと、そこには仙蔵先輩をお姫様抱っこした綾ちゃんがいつもの無表情で立っていた。
あの赤い着物の女は、何処にもいない。
安心して腰が抜けてしまった私は、ずるずると伊作先輩の足元に座り込む。
いつもより心なしか荒い足音を立てて、綾ちゃんは私に駆け寄った。
そして仙蔵先輩を降ろして、代わりとばかりに私を抱えあげた。

「三葉、三葉、怖かったね、もう大丈夫」

まだ震えが残る私にそう優しく声を掛けて、その逞しい腕に私のお尻を乗せて視線を合わせる。
考えが全く読めないその瞳に何故かとても安堵して、私は綾ちゃんの首にしがみついた。


現状が全く理解できない伊作先輩、そして抱えてこられた仙蔵先輩が、揃って首を傾げていた。

「え、なに三角関係?」

こなもんさんの意味のわからない呟きが、医務室に転がった。


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