悪夢


私は暗い暗い闇の中を、軽い足取りで先輩たちと弟が待つ場所へと駆けた。
被害を出す前に、なんとか全てを終わらせることが出来た。
一時はどうなることかと思ったけれど、私の人生そのものを諦めかけたけれど、【絹さん】は思った以上に素直に成仏してくれたようだ。


しかし、【絹さん】が最期に呟いた言葉が、少し気になる。

『でも……、が……さい……け、て…』

「…良く、聞こえなかったしなあ…」

数多の瓦礫を飛び越えながら、先程の言葉を思い出す。
しかし、やはり聞こえなかった以上、何も分からない。
もやっとした気持ちを抱えたまま走っていたけれど、瓦礫の向こうに明るい青色と、闇に溶ける深緑ふたつと群青ひとつを見つけ、私の思考は切り替わった。

「しろちゃあん、伊作せんぱぁい、留せんぱぁい、鉢屋せんぱぁい!!」

「おねぇちゃぁあん!!」

私の呼び掛けに、可愛い弟は涙で顔をぐじゃぐじゃにしながらも駆け寄ってきた。

「三葉ちゃん!!無事だったんだね!!よかったぁぁ…!!」

しろちゃんに続いて伊作先輩も、目尻に涙を浮かべて私としろちゃんを纏めて抱き上げる。

「ただいまぁ。伊作先輩も、もう大丈夫ですよぉ」

「…ッてことは、何とかなったんだな?」

少し遅れて、周りを警戒しながら留三郎先輩が伊作先輩に駆け寄り、しろちゃんを奪い抱き上げる。

「はい、【絹さん】をお見送りしてきました」

満面の笑みで留三郎先輩にそう言うと、伊作先輩がだばぁ、と涙を流しながらぎゅうっと私を抱き締めた。

「ありがどぉ三葉ぢゃあん!!僕、僕本当に殺ざれるんだど思っで…!!」

「伊作先輩、泣かないでください。もう大丈夫ですから。全部、終わりましたから…ね?」

「うん、うん…助けでくれて、本当にありがどう…!!」

私の小さな胸で、怖かった怖かったと子供のように泣く伊作先輩の柔らかな髪を撫でていると、隣でしろちゃんと留三郎先輩と鉢屋先輩が揃って大きな咳払いをした。

「おい、伊作てめぇ、人のこと言えないじゃねぇかよ…」

「絵面的に犯罪くさいですよ…食満先輩よりはマシですけど」

「善法寺先輩、僕、許しませんよ…」

留三郎先輩と鉢屋先輩はともかく、しろちゃんにしては珍しい威嚇するような声で伊作先輩を睨んでいた。
伊作先輩は慌てて私を降ろし、顔を真っ赤にしながら両手をぶんぶんと振った。

「ち、違うよ!!僕そんなこと考えてない!!」

「まだ何も言ってねえ…」

「否定が早いってところが…」

「怪しい、です…」

「違うったら!!そんなんじゃ…(たぶん)」

「あー!!てめえ今小さい声でたぶんっつったろ!!?この変質者!!」

「なっ!!?言い争ってる時すら時友を離さないキモ三郎に言われたくない!!」

「んだとぉ!?それはそれ、これはこれだ!!つーか略すなっつーの!!」

「なんだよ!!ケマチワルいキモ三郎が悪いんだろう!?この犯罪者!!」

ギャーギャーとヒートアップして、収集がつかなくなってきたよくわからない言い争いを聞きながら、私は安堵の笑みを零す。
よかった。これでいつも通りの日常が戻ってくる。
早く学園に帰って、中在家先輩にもう大丈夫ですよって伝えて差し上げたい。
小平太先輩と不破先輩にもお礼を言わなくちゃ。
仙蔵先輩と綾ちゃんは、心配してるかな?それとも怒ってるかな?
私はそう思いながら、懐に手を入れる。
そこからころりと出てきたのは、三ちゃん印のお守り珠。
無いよりはマシだから、そう言って出かけに持たせてくれた。
三ちゃんには本当に色々お世話になったから、今度何か奢ってあげなくちゃ。

「しろちゃん、伊作先輩、留先輩、鉢屋先輩」

私は、にっこり笑って元気よく両手を突き上げた。

「忍術学園に、帰りましょう!!」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−
出発の時と同じように妙なやりとりがあったものの、私は鉢屋先輩に、しろちゃんは伊作先輩に背負われて、忍術学園へ出発しようとしていた。

「よし、じゃあ帰るか!!」

「僕らも行こうか、四郎兵衛」

「あ、はい。お願いします」

留三郎先輩の言葉を皮切りに、しろちゃんが伊作先輩に負ぶってもらい、地面を蹴って駆け出した。
少し遅れて、私は何かごそごそやっていた鉢屋先輩に声を掛ける。

「鉢屋先輩、私たちも行きましょう」

私のその声にくるりと振り返った鉢屋先輩を見て、私の体が硬直した。
鉢屋先輩は、見慣れた不破先輩の顔ではなく、何故か顔のパーツが何も無いお面を被っていた。

「は、ちや、先輩?」

「どうした三葉?」

不安そうな私の問い掛けに、意外にもさっさと返された声はいつもの聞き慣れた鉢屋先輩のもので、一瞬でもどきりと跳ね上がった心臓を押さえる。

「もぉ!!何してるんですかぁ!!」

「ははっ!!いつも簡単に私の変装を見破る三葉がこんなものに驚くとはな」

けらけらと笑われ、不破先輩の顔に戻る鉢屋先輩。
確かにいつもは鉢屋先輩の変装に驚かされることなんてないのに、雰囲気のせいかな、と私は首を捻った。

「さあ、あまりふざけてると先輩たちに置いて行かれてしまう」

「誰がふざけてたんですかぁ、もぉ!!」

そうぷりぷり怒りながら、私は背を向けた鉢屋先輩の背中に助走をつけて飛び乗る。結構な勢いがついたものの、鉢屋先輩は軽々と私を受け止め、背負い、立ち上がった。
そして意地悪そうに口角を上げて

「落ちないように、しっかり掴まってろよ?」

そう言って、地面を蹴った。








その瞬間




「っふ、ぁ!!?」

鉢屋先輩の背中にしっかり掴まっていた筈の私の肩を、【誰か】がもの凄い力で掴んだ。

「おい、しっかり掴まってろって言っ」

呆れたようにそう言って振り返った鉢屋先輩の言葉は、不自然に止まる。

「は、鉢屋先輩っ逃げてぇぇぇ!!!」

喉が裂けそうなくらいの大きな声で、私は叫んだ。
私の四肢に絡まっている、黒い手。
夥しい数のその手は、私の足、手、首、髪、至る所に掴みかかっている。

「っ三葉!!!」

「ダメぇぇ!!!」

駆け寄ろうとする鉢屋先輩を制しながら、私から先輩へと伸びようとする黒い手を掴む。

「っくそ!!四郎兵衛!!!!」

鉢屋先輩ではどうすることも出来ない、近寄るのも危険だと伝えると、彼は物凄い速さで走り去った。
その時、必死にもがく私の足元から、黒い手と共に、ずるり、と見覚えのある顔が現れた。

「っひ…!!」



ぐちゃり、と笑ったその顔は、あのおぞましい【絹さん】だった。


【ミぃ、つケぇ、たァァ…】

ぽっかりと空いた虚ろな目と口の空洞から響く、不快な音。
べちゃり、と私の腕を掴む腐食した絹さんの手。
そのまま私の体をよじ登り、彼女は、にたぁ、と笑った。

【あナ、た、のチカ、ラが、ホ、し、いノぉぉぉ】

そうひとつ啼いて、彼女の手が私の両目をぐちゅりと抉った。

「ぃ、ぁぁぁあああ!!!!」



私の絶叫が響き、ぼたぼたと生暖かい液体が流れる感覚がした。
意識を失いそうな激痛の中で、頭に絹さんの去り際の声が聞こえた。

『でも……、が……さい……け、て…』

(でも…私の恨みが、化物となって…ごめんなさい…消せなかった…早く逃げて、ここから逃げて!!)

「あ゛、あ゛ぁ…」

【許サナイ許サナイ許サナイ】

心を真っ黒に塗り潰すような恨み言が、私の耳から離れない。



「お姉ちゃん!!!」

しろちゃんの悲鳴が聞こえて、白くなりかけていた意識が一瞬だけ浮上する。
その瞬間、私の懐から、何かが割れる音がした。

【ギ、ァァ、アアア!!!】

「三葉!!三葉!!!」




絹さんの悲鳴と、泣きそうな顔で私を呼ぶ鉢屋先輩の声を聞きながら、私は意識を手放した。


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