雪の日に舞い降りた神様

粉雪が舞うクリスマス・イブ。
街が一望できる小高い丘に聳え立つ大きな木…の上で、自転車に跨ったまま、青年は溜息を吐いた。
彼の足元には、駆けつけたレスキュー隊員がはしごを片手に救助作業の真っ最中。

「はーぁ。とことん不運だなあ…」

悲しそうに呟いた青年、善法寺伊作は、すっかりフレームが歪んでしまった愛車に心の中で別れを告げながら、伸ばされたレスキュー隊員の腕を取る。
そのまま待機していた救急車に乗り込み、搬送された病院で治療と検査を受けてから警察の事情聴取を受けた彼は、現実離れした不運に呆れてしまった警察に励まされながら病院を後にした。

「…そりゃ呆れるよね。飛び出してきた子猫をよけようとしたら倒れた看板に乗り上げて、そこに偶然車が通りかかって梃子の原理で撥ね飛ばされて木の上に自転車ごと着地したなんて不運」

トホホ、と1人しょぼくれながら呟いた伊作は、取り出した携帯をいじり、またしょぼくれた。がくりと力なく下がった腕から見える画面には、ハートマークがつけられた名前のページと、そこに表示されたメッセージ。
『他に好きな人ができました、別れてください、ごめんなさい』
温かみも気遣いもなにもない文字の羅列に、世界が揺れる。

「よりによってクリスマス・イブに失恋…ちっくしょー!!!」

普段穏やかな彼にしては珍しく、語気を荒げて地面を踏みつけた。しかし街行く人は特に気にもせず、彼の脇をすり抜けていく。
冷たい世界に鼻を啜った伊作は、マフラーを引き上げて帰路につこうとした。しかしふと視線を上げた瞬間、目の前に雪のように真っ白なファーが目に入り、足を止める。
通行の妨げになっていたか、ぶつかりそうになってしまったか、どちらも定かではないがとっさに謝ろうとした彼がきちんと顔を上げ、そしてぽかりと口をあける。

「こんにちは」

「こ、こんにちは…」

そこに立っていたのは、とても可愛らしい少女。
真っ白なファーのベレー帽をかぶり、灰褐色の髪を左下で結び、白いファーのぼんぼんで飾っている。首元と裾にファーのついた真っ白なケープを纏い、ドレープたっぷりの白いスカート。赤いアーガイル柄のタイツがやけに目立つ装いを、丸みのあるシルエットの黒いベルトつきパンプスが上品かつ愛らしく締めていた。
すべらかな頬を林檎のように染め、こんにちはと微笑む少女に一瞬で目を奪われた伊作はとりあえず彼女に挨拶を返し、その横をすり抜けようとする。
けれど彼の腕を、少女の小さな手が掴んだ。

「な、なに…?」

いくら相手が可愛らしい少女とはいえ、突然のことで警戒した伊作。しかし少女は気にせずぽわりと笑う。

「善法寺伊作さんですよね」

「そ、そうですけど…」

「今、お時間ありますか?」

「あるといえば、あります、けど…」

「よかったぁ。それでは私と一緒におでかけしませんか?」

「えっ、えええ!!?」

想像もしなかった突然の逆ナン。
驚いた伊作は断ろうかとも思ったが、先ほど彼女とのデートの予定がキャンセルになったことと合わせ、目の前にいる美少女にデートに誘われるなんて幸運は恐らく自分の人生でもう二度とないだろうなと瞬時に考え、頷いた。

「…いいよ」

キャッチセールスなら断って途中で帰ればいい。
怪しい宗教の勧誘だったら不運伝を語って諦めさせよう。
幾度となく経験した事例を思い出し、その交わし方までもを脳内シミュレーションし終えた彼は、三葉と名乗る少女と共にクリスマスの街へと繰り出したのだった。

ウインドウショッピングを満喫し、歩き疲れたら適当なカフェに入ってクリスマス限定スイーツを注文し、危惧していた事態にまったくならない…それどころか、普段ならば道を歩くだけで不運に見舞われるはずなのに、その兆しが一切ない伊作は、クレープ片手に楽しそうに歩く三葉をしげしげと眺めた。

「どうかしましたか?…はわ、ひょっとしてクリームついてますか!?」

「ううん、ごめん、そうじゃなくて…」

慌てて口元を擦る三葉に笑いを誘われながら、伊作は少し恥ずかしそうに頬を染めて、繋いだ小さな手を握りなおした。

「…僕さ、昔からずっと不運でね。今日だってすっ飛んで大事に乗ってた自転車がダメになっちゃったし、せっかくのクリスマスだっていうのに彼女にフラれたんだよ。それだけじゃない、道を歩けば転ぶなんて日常茶飯事で、マンホールに落ちたり、側溝に落ちたり、ガムとか踏んだり、本当にしょっちゅうなんだ。でも三葉ちゃんといるだけで、その不運が起こらないから…君はひょっとして、天使なのかなって思って」

はにかみながら喋る伊作に、ぽかんとしていた三葉。
すると彼女はいつの間にか食べ終えたクレープの紙ごみを空いたほうの手でくしゃりと握り潰し、大きな瞳で彼を捉える。
その視線を受け、伊作の胸が高鳴った。

「…白い服に、綺麗な瞳…この時期に見かける天使のイメージそのままだよ」

精一杯格好つけて微笑んだ伊作。2年間付き合った彼女に振られたばかりだけど、彼女の理由も似たようなものだったから不誠実ではないよなと自分に言い訳をした彼は、三葉の手を握りかえてごくりと喉を鳴らす。
いつの間にか降ってきた粉雪と、遠くに聞こえるクリスマスメロディーがムードを作り、彼を盛り上げていく。

「三葉ちゃん!!出会って早々だけど!!僕とお付き合いs」

「…死神なんです」

一世一代とも取れる彼の告白を遮って、愛らしく微笑んだ三葉は今の言葉をもう一度、今度はゆっくりはっきりと繰り返した。

「私、実は死神なんですよぅ」

「…へっ……?」

彼女の言葉を理解できない…いや、したくないのかもしれないが…伊作が、間抜けにも裏返った声で言葉にならない声を漏らせば、三葉は笑ったまま、何もない空間に手を伸ばす。
そこから現れたのは、赤黒い汚れに塗れた彼女の背丈より大きなおどろおどろしい鎌。

「よく驚かれるんですよぅ。死神って黒いローブに骸骨の顔っていうイメージがあるらしくって…でもでも、私これでも立派な死神なんです」

階級だって結構上なんですよ、と無邪気に笑う三葉に、現状を徐々に理解し始めた伊作の笑顔が引きつりだす。

「……死神…?」

「はぁい」

「…ということは…」

「はい?」

「…僕…死ぬの…?」

「はい。今日このあとの帰り道に、飲酒運転の車に撥ねられまぁす」

とても明るい笑顔で伝えられた死の宣告。
幸せと希望に満ち溢れたクリスマス・イブの街のど真ん中で、どこまでも不運な青年の悲鳴が轟いた…。

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