決着の刻?

「おやまあ、不運代表の善法寺伊作先輩。今日も今日とて見事な落下をありがとうございまーす」

競合地域のど真ん中にでかでかと口をあけた穴に向かい右手を上げながらそう言った4年い組の綾部喜八郎は、穴の中で泥だらけになりながら強かにぶつけた尻を摩りながら少しだけ涙目になっている6年は組の善法時伊作に無慈悲な視線を送っていた。

「妙な労りはいいから、手を貸してくれ…」

彼の言葉を嫌味と取った伊作は、少し前に無駄だと悟ってやめてしまった抗議の言葉を無理やり飲み下し、右手を伸ばす。
素直にその手をとって穴から引きずり出してやった喜八郎は、目の前に這いずり出てきた深緑を感情の読めない瞳で見つめたまま、ふうと息を吐き出す。
冬が近い空気に溶けた彼の吐息は白く掻き消えて、木枯らしに混ざる前に見えなくなった。
その様子にぶちぶち文句を言いながらも気が付いた伊作は、彼がなにやら言いたそうにしている空気を感じ取り、どうかしたのかいと問いかける。
対して喜八郎は、そう聞かれたことに少しだけ驚いたのかピクリと眉を動かし、けれど懸命に動揺を隠すかのように普段どおりの無表情を装って、口を開いた。
いつもなら、なにがですか、なんて憎らしい言葉が返ってくる。
けれどその日は何かが違っていて、喜八郎は戸惑うように口を開いては閉じ、脳内で言葉を転がし、選び、そして意を決したように、喉を震わせた。

「…冬が、きますよ」

2人の間を駆け抜けた冷たい風に乗って、言葉は伊作に届く。
そしてその意味を正しく理解した伊作もまた、同じように躊躇い、困惑し、けれどそうだねと呟いた。
どこと鳴く剣呑な雰囲気を纏いだした深緑と紫が、彷徨わせた視線を同時に絡めて睨み合う。
善法時伊作と綾部喜八郎。
罠に嵌る側と嵌める側という印象が強い彼ら2人は、1人の少女を想って常に牽制しあっていた。
しかし、この冬が終わる頃に6年生である善法時伊作は卒業し、学園からいなくなる。

「…言わないんですか、三葉に」

お互いが一番の恋敵で、恋敵だからこそその気持ちが痛いほど理解できる喜八郎は冷たい地面に座ったままの伊作を見て呟いた。

「…言うさ。ただ今はタイミングが、ね…」

そう言って、視線をそらして作り笑いをする伊作に、喜八郎が悔しさを隠しもせず唇を噛む。
善法時伊作という男は、こういう男なのだ。
どこまでも穏やかで、忍に向いていないなんていわれるくらい優しくて、心の底から時友三葉のことを好いているくせに、目の前に立つ生意気で可愛げの欠片もない紫に対して、でも後輩だからなんて気持ちから遠慮している。
喜八郎としてはさっさと告白して玉砕するか、もしくはくっついてこの気持ちに蹴りをつけさせて欲しいと思っているのだけれど、彼の優しさは真綿のように喜八郎の首にまとわりつき、なかなかとどめをさしてくれない。
けれど、そうはいうものの紫の少年だって同じことで、伊作を苦しめているのだけれど。
周囲の人間からしてみれば、もういい加減に牽制しあっていないで正々堂々正面から当たって砕けろと呆れてしまっているのだけれど、砕けたくない彼らは最後の一歩が踏み出せないでいた。
しかし、それももう許されない時期にさしかかってきている。

「本当に、意気地のない先輩ですね」

「度胸のない後輩に言われたくはないね」

お互いに悪態をつきながら、正々堂々、恨みっこなしの勝負だと瞳で語る恋敵。競合地域にびしびしと迸る稲妻さえ見えてきそうな雰囲気だったがそこに、なんとも気の抜ける声が突然かけられた。

「綾ちゃぁん、伊作せんぱぁい」

とことこと呑気に手を振りながら駆けてくる桃色の装束。見ただけで柔らかいとわかる灰褐色の髪を弾ませて2人の名を呼ぶ少女こそ、共通の想い人である時友三葉。
はあはあと息を弾ませて競合地域に足を踏み入れた三葉は、泥だらけで地面に座る伊作を見てあややと呟きながら苦笑した。

「伊作先輩、またターコちゃんに落ちちゃったんですねぇ。お怪我はしてませんか?」

声をかけながらも装束についた土をぱっぱと払ってくれるその優しさに破顔した伊作は、平気だよと微笑んで優しく、けれどしっかり少女の手を掴んだ。
先手必勝とばかりに笑った彼に喜八郎は出鼻を挫かれてしまったけれど、気を取り直して出方を伺う。

「三葉ちゃん、僕らになにか用事かい?」

「ほへ?あ、いいえ、たまたま見かけたので…ひょっとして、お邪魔でしたか?」

「いやいや、大丈夫。じゃあちょっといいかな?少し聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと、ですか?」

優しい笑顔の中に真剣な空気を巧みに混ぜ込んだ伊作の言葉に気付いているのかいないのか、普段通りぽややんとしたまま首を傾げた三葉。
どこまでも愛らしい少女に頬を緩ませた彼は、小さな手を掴んだまま、穏やかな口調で問いかける。

「三葉ちゃんは、好きな人って、いるの?」

今まで散々回りくどい方法で少女の気を引こうとし、悉く失敗してきた経験をいかしてストレートに聞いてみた伊作に、三葉の頬が見る見るうちに赤くなる。

「え、と…その、あの…い、一応……」

「「そうなの!?」」

そして蚊の鳴くような声で呟かれた返事に、伊作と喜八郎は衝撃を受けた。
ポジティブなタイプの人間ならば、この返事に一縷の希望を見出せたかもしれない。けれど伊作も、喜八郎も、そこまで能天気な性格をしていなかった。
せっかく強気に出ていた伊作も、それは誰なのかと聞きたいのに混乱のあまり語彙力が死んでしまって母音を連発するだけの機械に成り下がってしまった。
だが、ここ最近はっきりさせたいと願って、心の準備も少しずつだがしてきた喜八郎は何とか踏み止まり、そっかと力なく呟いて伊作の手から小さな手のひらをそっと奪い取る。

「そう、なんだ…」

本音を言えば、ずっと一緒にいたい。
これからも守ってあげたい。
隣で笑っていて欲しい。
しかし、それは喜八郎の気持ちであって、三葉がそれを望んでいないとすれば、おのずと道は別れてしまう。
相手を知りたいけれど、憎しみが勝ってしまいそうで聞けない喜八郎は、喉を締め付ける痛みを享受しながら三葉の瞳を見つめて不器用に微笑んだ。

「三葉、好きな、…んだ…」

痛みのせいで、うまく言葉が出てこない。
でも本当に大好きな少女の気持ちを最優先して、祝福して、応援してあげたい。

「…がんばって」

恋とは、甘くて楽しくて苦くて痛い。そのことを嫌というほど知っている喜八郎は、必死に笑って少女に言った。
その言葉を受けて、三葉が雷に打たれたような表情で固まり、次の瞬間こくんと頷く。
意を決したように喜八郎の手をぎゅっと握った三葉は、これ以上ないくらい真っ赤な顔で、正面から彼を見つめて叫んだ。

「あ、ありがとう!!」

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