『閉鎖教室』

階段を駆け上がった6人は、先駆けた長次と三郎を見つけぎょっとする。
彼等は廊下の壁にへばりつき、顔を擦り付けるようにして何かを探していた。

「おいおい…」

若干顔を引き攣らせた仙蔵が呟き、懐中電灯を持って近づくと、長次はそれをひったくるように奪い、低い声で彼に囁いた。

「…仙蔵…見ろ…」

促されて視線を壁に向けた仙蔵の切れ長の瞳が、訝しげに細められる。

「…元あった何かを切り取り、新たに板を…張り付けた跡だ…」

「…『閉鎖教室』の扉か」

「…だろうな…」

全てを察した仙蔵が確信をもって呟けば、長次が肯定を示し、三郎も無言で頷いた。
噂の閉鎖教室の場所が判明したので、やっとこれですべてが終わるとホッとしたのも束の間。先程の『血塗れの自習室』よりも厳重に封印されている教室にどうやって入ればいいのだろうかと彼らは途方に暮れた。
そもそも扉がないので、壁を破るしかないのでは…そんな考えが誰かの頭をよぎるが、壁を破るにしても道具がない。
どうしたものかと困惑する7人。
するとふと、廊下の壁に手を当てて佇む三葉が彼らの目に留まった。

「あれは、ここから漏れ出していたんですねぇ…」

悲しそうな瞳でぽそりと呟いた少女は、懐から苦無を取り出し、ためらいなく壁に突き立て始めた。
突然の行動を呆然と眺めていた7人だが、暫くしてからりと床に落ちた木の板を目で追い、視線を戻した彼らの喉は次の瞬間引き攣り、守一郎がその場にどたりと尻餅をついた。

「初めましてぇ。私、怪しいものではありませんよ」

笑顔で開いた穴に声をかける少女の顔、首、頭にぞろりと伸ばされたのは、真っ黒な腕の様なもの。
何本も何本も開いた穴から伸びてくるそれに、伊作の項の毛が逆立つ。
悲鳴すらも喉につかえて出てこない仙蔵はその場で立ちつくし、喜八郎は目を見開いて、少女と人ならざるものの腕を見つめていた。

「…そうですかぁ。そうだったんですねぇ」

パニックを起こしている彼らをよそに、三葉は平然と、何かと言葉を交わしている。
足の震えが止まらない兵助が何とか喉を震わせて、なんだそれはと呟けば、三葉が振り返り、なんとも呑気に微笑んだ。

「ここに集う、負の塊みたいなものです」

そんなものに触れられて大丈夫なのかと聞きたいが、誰も声が出ない。
そのうち話が終わったのか、三葉はちょっと待っててくださいねと断ってから、懐からお守り袋を取り出す。
中には守り珠がふたつ。うちひとつは、ひびが入っている。
それらを手のひらにころんと乗せた少女は、何とも無邪気な笑顔で、それを差し出した。

「あげます。どうぞ」

少女にそう促され、真っ黒な腕はゆっくりとお守り珠に触れる。
すると黒に触れられた瞬間、お守り珠はふたつとも、音もなく静かに細かく砕けてしまった。
それにどんどん伸ばされる黒い腕。腕の数分砕け散ったのか、それらが出てこなくなるころには、少女の手のひらには何もなくなっていた。

「あや…なくなっちゃった。戻ったら三ちゃんに謝らなくちゃ」

まるでお菓子を食べきってしまったかのような口調で呟いた三葉は、まだ固まっている7人に帰りましょうかと声をかける。

「もう全部、終わりましたから」

そう言われて廊下の壁を見れば、いつの間にか開いた穴はどこにも見当たらなくなっていた。
まるで狐につままれたような気持ちで玄関に向かった彼らは、恐る恐る扉に手をかける。
するとテコでも動かなかった扉は嘘のように簡単に開き、見慣れた街の明かりが目の前に広がっていた。
これで終わった、家に帰れると歓喜した彼らは、三葉の手を取り感謝の言葉を述べる。
それが全員分終わった時だろうか…少女の耳を、どこか聞き覚えのある声が擽った。

『入れなくって、本当に困っていたの。どうもありがとう』

「ほぇ?」

小さな小さな声はともすれば気のせいかとも思えるものだったが、三葉はきょろきょろと周りを見回して、声が聞こえたような気がした方向に向かって、どういたしましてと頭を下げた。





さて。ようやく事件は収束を迎え、家路につくことにした8人は、玄関を出たところで残っている問題を思い出した。
誰かが時間を確認すれば、時刻は現在8時前。
あの噂のチャイムの時間にもまだ早く、けれどもうあんなことに巻き込まれるのはごめんだとばかりに学習塾を後にした彼らは、とりあえず最寄りのコンビニを目指しながら三葉を見た。

「天使ちゃんのお蔭で妙な事件から脱することはできたけど、これからどうします?」

「どうすると言っても、放り出すわけにいかんだろう…」

「もう遅いし、警察に任せる?」

「……無責任…」

「ですよね。でも、泊まる場所…」

「三葉、お金って持ってるか?」

「小銭ならありますよ」

「うっわなんだこれ!?天界の通貨って日本の古銭なのか!?」

喜八郎、仙蔵、伊作、長次、守一郎、兵助が順に色々と話し合えば、懐に入っていた小銭を取り出した少女に三郎が驚く。
そこでぷくぅっと、三葉の頬が膨らんだ。

「もう、鉢屋先輩、ちゃんとお話聞いてくれてなかったんですかぁ?私、天使じゃなくて忍者で、すよっ!?」

おモチのように膨らんだ少女に和んだ彼らだが、言葉の最後に突然姿を消した少女に目玉が落っこちそうになる。
よくよく見れば、少女がいた場所にはなぜか蓋が外されたマンホールがあった。

「おやまあ、足元不注意。それでよく忍者なんて言えたもんだよ」

「言ってる場合か。おい三葉、大丈夫かー!!?」

呆れた顔で溜息を吐いた喜八郎を嗜めた仙蔵がマンホールの中に向かって叫ぶが、返事がない。
伊作と長次が覗き込むも、奥の下水の浅い流れが見えるだけ。
流されたとも思えない、けれど、姿はない。

「…なんだ、帰っちゃったのか」

とても残念そうに伊作が呟けば、その場に6つのため息が漏れた。
ほんの短い時間だが、圧倒的な存在感を彼らに植え付けた天使は、マンホールに呑みこまれ消えてしまった。
春の野原に揺れるタンポポの様な暖かな笑顔がまだ鮮明に思い出せる伊作は淋しそうに胸を押さえ、喜八郎は感情が伺えない瞳で、いつまでもマンホールを覗き込んでいた。





どてん、とおしりに固い感覚。
背骨に響いた振動に顔を顰めれば、すぐに頭上から慌てた声が聞こえてきたので、私はゆっくりと目を開けた。

「三葉、大丈夫!?」

「…綾ちゃん…」

見上げれば、そこには灰色のふわふわした髪。とっても心配そうに声をかけてくれたのは、私が知っている綾ちゃん。
落とし穴に誤って落っこちてしまったことを理解したら、彼がぴょんと降りてきてくれた。

「どこも怪我してない?痛いところは?ごめんね、目印が分かりにくかった?」

とても慌てた様子で私を抱き起して、あちこち確認してくれる心配性な彼に、どうしてかな、目の奥が熱い。

「…綾ちゃんだぁ…」

彼の名前を呼んで手を伸ばせば、触れる長いふわふわの髪と紫の装束。
何だかとても嬉しくてギュッとしがみつけば、鍛えられている背中に力が篭った。

「…どう、したの?」

戸惑いがちにそう言った彼に、なんでもないよと返したけれど

「…実はね、ちょっとだけね、ちょっとだけ、寂しかったの」

綾ちゃんと同じ顔をした、綾ちゃんじゃない綾ちゃんに、最後まで名前を呼んでもらえなかった。
それだけのことなのに、なんでかな?胸がすごく、痛いの。

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