羽音

真夏の、立ち眩みを起こしそうな日のこと。
2日前くらいに買いたいものがあるからと弟に買い物に誘われていた三葉は、町へ行くための準備を済ませて正門へと向かっていた。
その途中、同じく出掛ける支度をした伊作に出会い、話を聞けば買い物に行くという彼に笑顔で一緒に行かないかと誘われ、少女は少しだけ視線を彷徨わせた。
彼、6年は組の善法寺伊作は学園でも群を抜いた『寄せる』体質。それが同室の先輩との相乗効果でとんでもないことになりかけたことは片手では数えきれないけれど、今日は少女の弟も一緒だし、周りを見ても同室の先輩の姿は見えない。彼1人ならなんとかなるか、と結論を出した少女は、笑顔でこくりと頷いて、彼の手を取り正門へと歩を進める。

「あ…」

「わぁ…」

まさかそこに、弟と手を繋いだ彼の同室が現れるだなんて、想像もしていなかったけれど。
偶然にも合流してしまった善法寺伊作とその同室、食満留三郎は呑気に奇遇だななんて笑っているけれど、三葉とその弟、四郎兵衛はなんとも言えない顔で笑いあい、気を付けて出掛けようねと約束した。
時友姉弟を間に挟んで手を繋いだ4人は道中仲良くすっ転ぶなどはあったものの、大きなトラブルには見舞われることなく町へと行くことができた。
目的のものを買いそろえ、時間があるからとお茶屋さんでお団子をおごってもらい、暗くなる前に学園へ帰ろうかと帰路についた頃。
学園の所有する山に入るか入らないかのところで、四郎兵衛がふと背後を振り返った。
同じタイミングで、三葉もきょろきょろと周囲を伺う。

「どうした?」

対『人』であれば頼れる留三郎が、繋いでいた小さな手に力がこもったことに気が付き声を掛ける。

「今、あの、なにか…」

「虫でもいたか?」

「そうじゃなくて…あのぅ…」

どことなく不安そうに四郎兵衛が呟く。それを聞き、三葉が警戒し周囲や足元、果ては空までもを仰いでいると、少女の手を握っていた伊作が、安心する優しい声で大丈夫だよと微笑んだ。

「三葉ちゃん、虫苦手だもんね」

「あぅ…あの、しろちゃんが…」

そわそわと弟を見やり、心配そうな目で見上げてくる少女に頬を染めた伊作は、ドンと胸を叩いてもう一度大丈夫だよと繰り返す。

「山賊が出てきたとしても、留三郎もいるし、僕だってこう見えて結構強いから平気だよ」

と、好きな子へのアピールを失敗なく済ませた彼の耳に、羽音。
それはそばを歩く留三郎にも聞こえたようで、6年生の2人は顔を見合わせてくしゃりと笑った。

「藪蚊か、虻か…懐かしいな、俺たちも低学年の頃は夏の山が苦手だった」

「夏の虫って大きくて、羽音が気持ち悪いんだよね」

遠い昔のように思える過去を思い出し、留三郎は四郎兵衛を、伊作は三葉を抱きかかえて、恐らく近くに水場でもあり、そこから虫が湧いているんだろうと踏んだ彼らは歩を速めてその場から遠ざかる。
しかし、学園が所有する山に差し掛かっても、学園が近くなっても消えない羽音に首を傾げ始めた。

「偉くしつこい蚊だな…?」

「ここまで纏わりつかれるなんて…留三郎、ちゃんと汗流したかい?」

「俺を汚いみたいに言うなよ!!」

軽口を叩きあいながらついに走り出した彼らは、そこでやっと気付く。

「四郎兵衛…三葉…?」

「どうしたんだい?顔が真っ青だよ!?」

しっかりと抱きかかえられた2人は、強い力で耳を塞ぎながら青い顔で震えている。心配になった伊作が三葉を下ろし、具合を見ようとしたその時。

「先輩、おねがい、走ってください、早く!!」

「学園に、帰りたいんだなぁ…!!」

今にも泣き出しそうな顔で泣きつかれてしまい、青褪めた。
意識を向ければ、風の音すらかき消すくらいの羽音が聞こえる。けれど、虫の姿はない。そして異常に怯える四郎兵衛と三葉。
2人が怯えているのは虫ではないと気付いた留三郎と伊作は持てる力全てで走り、あっという間に学園の正門まで辿り着く。
四郎兵衛を抱いたまま留三郎が強く指笛を吹けば、異常を察知した小平太と文次郎がすぐさま正門まで駆け付け、手が白くなるまで深緑の装束を掴み怯える後輩を見るなり何があったと問い質す。
小平太が四郎兵衛を、長次と共に遅れて駆けつけた仙蔵が三葉を奪うように抱けば、2人はやっと耳を押さえていた手を離し、涙の滲んだ瞳で、唇を戦慄かせながら安心する先輩にしがみ付いた。

「山の中で聞こえた羽音みたいなものに、偉く怯え始めたんだ」

「羽音…?」

困惑する伊作が言えば、仙蔵が眉を顰めて繰り返す。
それにぶるぶると首を横に振った三葉が、小平太に抱かれて安心したのか泣き出してしまった弟を見ながら羽音じゃないと呟いた。

「伊作先輩、本当にあれは、虫の羽音のようでしたか…?」

「え…」

潤んだ瞳に戸惑った伊作は、同行した留三郎と顔を見合わせてよくよく思い出してみる。
耳に纏わりつくような、風を切るような音…だったよなと視線で確認した2人は、直後背筋を駆け抜けた悪寒に目を見開いた。

「…そうだ、あれは、違う…山の中で耳元で聞こえたから羽音だと思ったけれど、あれは…」

「風切音なんかじゃねぇ…あれは、確かに女の…」

冷静になれば、思い出せる。羽音のように聞こえていた甲高い悲鳴。
のどに詰まってしまったように言葉にはならなかったけれど、2人の耳には、まだ鮮明に羽音(だんまつま)がこびりついていた。



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パンタ様
こんにちはパンタ様、祭です。
この度は70万打overの企画参加だけでなく、お祝いメールにプレゼントまで本当にありがとうございました!!いつももらうばっかりですみません!!本当にすみません!!
今回もまた愛情だけはたっぷり詰めさせていただきますので(中身が釣り合うかは微妙ですが…)お楽しみいただければ幸いです!!
相も変わらずのろのろ運営なサイトではありますが、今後とも仲良くしてやってくださいませ!!
リクエストありがとうございました!!

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