潜む影、照らす煌き

激しい雨音が響く教室に、すん、と鼻をすする音がひとつ。
目尻と頬を真っ赤にした三葉がようやく収まりつつある悲しい気持ちを唾と共に飲み下せたところで、7人の男子生徒たちはほっと胸を撫で下ろした。
そして再び詰め寄って泣かせてしまわないうちに、彼らは三葉に、何故突然ここへ現れたのか、何処から来たのか、そもそも、君は人間なのかなどを問い掛ける。
その問いに時折しゃくりあげながら答え、勿論わからないことは正直にわからないと首を振った三葉は、そのついでに彼らの顔をくるりと見回し、ほぇ、と感嘆の声を漏らした。

「うそみたいなお話ですけど、でも、なんとなく状況は飲み込めてきましたぁ」

大泣きしたことで逆に冷静になれたのか、三葉はそう言って自分をしげしげと見下ろしている男子生徒たちに微笑む。

「私の知っている先輩たちと、皆さんは少し違いますね」

場所も、ものも、みたことないものばっかりです。そう笑って教室においてある椅子や、誰かの私物のシャープペンシルなどを手に取り、ふしぎですねえと興味津々な少女に、一番に頭を抱えたのはやはりというかなんというか、立花仙蔵だった。

「…だめだ、すまん。話を聞いたはずなのに脳が勝手に“幼女が迷子になった”と変換してしまう…」

悔しげに呟かれた彼の言葉。だがしかし、それを否定する人物はここにはいない。
わかる…と目だけで同意した鉢屋三郎と久々知兵助、中在家長次は不躾だと承知の上で三葉をしげしげと眺めた。その視線に照れたのか、少女は赤くなった頬を恥ずかしそうに押さえ、構いませんよと眉を下げて笑った。

「私、よく迷子になっちゃいますし…ひょっとしたら今回も、落とし穴に落ちる寸前に≪なにか≫にここへ≪ひっぱられた≫のかもしれませんから」

大したことではないように呟いた三葉は、自分が落とし穴に落ちる寸前のことを思い出す。けれどそれは、なんだか不自然につなぎ合わされているような、そんな気がしてならない。

「…足元に穴が開いて、滑って、落ちるって思って、それから…それから、どうしたっけ?気付いた時には、もうここにいた気がするなぁ」

独り言のように少女の口から零れたそれに、気付けば7人は目が点。

「ちょっと待って、ごめんちょっと待って、脳の情報処理が低速になってる」

「善法寺先輩は優秀ですねぇ、私なんかもうフリーズしてますよハハハ」

掌を額に当てながら待って待ってと繰り返す善法寺伊作に、すっかり考えることを放棄してしまったのか三葉の頭巾を撫でながらご満悦の三郎。
はああ、と重苦しい溜息が5つ落ちた教室で、混乱する気持ちもわからなくはなくただただ困ったように笑っていた三葉。
けれど突然彼女は大きな目を更に見開いて廊下を見た。
そして直後、綾部喜八郎を振り返る。

「な、なに…?」

突然のことと、あまりの勢いについ押されてしまった喜八郎は驚いた声を上げたのと、教室に設置されているスピーカーから少しだけ歪んだチャイムが漏れ始めたのが、ほぼ同時。

「…もう…こんな時間か…」

小さな声で言った長次が時計を見れば、時刻は夜の9時。つられるように時計を見た久々知兵助が、心なしか顔色を悪くして伊作の袖を引いた。

「…あの、今日はもう、帰りませんか?」

「あ、久々知くん門限ある?」

「いえ、あの、そうじゃないんですけど…」

まだ学生である彼らは、学校が終わってからここの学習塾へ来る。すると必然的に帰宅時間は遅くなってしまうのだけれど、親の庇護のもとにある年齢なのであまり遅くならないようにと言い含められている生徒も多い。
ひょっとして兵助も…そう思った伊作が気遣わし気に見やれば、そうじゃないと首を横に振って、彼は言葉を濁した。
それに何かピンと来たのか、にたりと厭らしい笑みを浮かべた三郎が馴れ馴れしく彼の肩に腕を回し、おいおいまさか、と囁く。

「久々知くん、もしかして≪あの噂≫信じちゃってるタイプ?」

「そっ、そんなんじゃないのだ!!けど、でも…なんかこの時間になると嫌な感じがするんだよ…」

「別に恥ずかしがらなくたっていいじゃないか。私の後輩もよく言ってるぞ、大人になったって怖いモンは怖いんじゃーって」

からかうような三郎の言葉に、だから違うと眉を吊り上げた兵助。話がよくわからずに首を傾げていた三葉は、ちらちらと廊下を気にしながらも仙蔵の袖を引く。

「あの、仙蔵先輩…≪あの噂≫って、どの噂ですかぁ?」

「ん?ああ、ここの学習塾にある噂だ。この学習塾は時報のように昼の12時から1時間ごとに夜9時までチャイムが鳴るんだが、最後のチャイムだけは普通のチャイムと違っていて、それを聞いた人間はあの世へ連れていかれるらしい。まあ、よくある怪談話だな」

丁寧に説明してくれた仙蔵になるほどと頷いた三葉は、ぎゃあぎゃあと揉め始めた三郎と兵助を尻目に呆れ顔をしている喜八郎をじっと見つめる。

「おやまあ、久々知先輩は怪談が苦手なんですね。でも大丈夫ですよ、前に僕ひとりで9時のチャイム聞いてみましたけど、別に何も起こりませんでしたから」

あっけらかんと言ってのけた彼に、三郎が勇気あるなと呟く。
けれど、続いた言葉がその場の空気を凍てつかせた。

「起こってるよ」

はっきりとした可憐な声。愛らしい声なのに、おどろおどろしい意味合いを含んでいるそれにぎくりとしたのは、久々知兵助だった。
ガガン!!と、大きな音が教室に轟く。
何も動いても倒れてもいないのに聞こえた大きな音に、なんだ、と長次が不安そうに呟く。
三葉の大きな瞳が、不思議な煌きを湛えた。

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