おなじひと、ちがうひと
「いたた…あれぇ?痛くないや」
ゴロゴロとまだ雷鳴が轟き、雨が激しく窓を打つ教室内に、間延びした声がやけに響く。
まさに唖然、といった具合に目をかっ開く6人の男子生徒たちは、突然動き出した十円玉硬貨を見た時よりも混乱していた。
そんな彼らをよそに、マイペースな三葉はきょろきょろと辺りを見回してこてりと首を傾げる。
「あれぇ?ここ、お外じゃない…雨も降ってるし…はっ!!」
しかしすぐにはっとして、上げかけていた腰を下ろした。
「お外じゃないなら、忍足袋を脱がなくちゃあ」
「そこじゃない」
マイペースなうえちょっとずれているっぽい少女に耐え切れなくなったのか、三郎がぼそりと呟く。それにより、唖然としていた5人も各々我に返った。
取り合えず三郎にツッコまれてきょとんとしている三葉を中在家長次がひょいと持ち上げ床におろす。
「大丈夫か、善法寺」
「うん、全然重くなかったよ。ありがとう」
「いやお前もそこではない」
そしてずっと少女の下敷きになっていた善法寺伊作を立花仙蔵が起こしてやったのだけれど、頓珍漢な返答をした彼に若干呆れ顔だ。
しかし状況が状況だけに、7人の男子生徒たちはぐっと顔を強張らせて目の前でやっぱりぽかんとしている少女をきつく睨み、警戒心を滲ませて問い掛けた。
「な」
「あ、こんにちはぁ」
「あ、こんにちは…」
のだが、なんだお前はと口にする前に無邪気な笑顔で挨拶されてしまい反射的に挨拶を返してしまったのは久々知兵助。真面目な性格が災いしたのだろう。
出鼻をくじかれた彼を押しやるように脇にのけた三郎が、ひょっとして変なものでも呼び出してしまったのだろうかなんてらしくないことを考えながら、それでも鋭い目つきで三葉を睨み、まるで威嚇でもするかのように大きな声で怒鳴る。
「ど」
「鉢屋、先輩?」
「どうしたのかな?」
つもりだったのだけれど、雰囲気から何かを察した三葉が恐々と名を呼べば、何故か反射的に猫撫で声を出してしまう。
その様子を完全に呆れた顔で眺めていた立花仙蔵がとうとう見てられんと前に出る。
「なんだお前は、一体どこから…」
「あっ、仙蔵先輩…」
三葉も三葉で、なんだかいつもと違うと感じ始めていたのだろう。様子が違う見慣れたようで見慣れない面子に不安を感じ始めたのか、一番懐いている先輩が前に出てきてくれたことに喜びもひとしお。
安堵の表情で彼の名を呼び、遠慮がちにその手を握った。
「すまない、ちょっとタイム」
「ほぇ?」
しかし仙蔵は冷静にその手を離させ、いつもの冷静な声でタイム、と言って三葉から少し距離を取った場所に状況が把握しきれない6人を呼び集めて円陣を組んだ。
「少し落ち着こう。我々は天使を呼び出してしまったらしい」
「いやちょっと待って立花が一番混乱してる」
「…幽霊の、類か…?」
「バカなこと言わないでくださいよ中在家先輩。どう見ても天使でしょ」
「いや、白くてふわふわだし豆腐の妖精かもしれないのだ鉢屋くん」
「鉢屋アホ郎くんと久々知バカ助くんは少し黙ろうか。綾部くんはどう思…綾部くん?」
現実逃避をしだしたのか、それとも本気でそんなばからしいことを考えているのか定かではないが、普段真面目で優等生な立花仙蔵と久々知兵助、そして人をこばかにした態度が透けて見える鉢屋三郎までもが妙なことを口走るので、慌てた善法寺伊作が3人を正気に戻そうとして、ずっと黙っている綾部喜八郎を振り返り、ぎょっとした。
「綾部くん!?」
慌てた声で名を呼んだ伊作。
それもそのはず。
得体の知れない少女の目の前に、綾部喜八郎はしゃがみこんでいたから。
「あ、綾ちゃん」
「綾ちゃん?……ああ、綾部だから、綾ちゃんか」
「髪の毛、どうしたの?それにここ、どこ?先輩たちも、なんだかいつもと違うねぇ?」
「ふうん?先輩たちってことは、やっぱり僕たちのこと知っているんだ」
「ふぇ?知ってるって、だって」
「ねえ、天使ちゃんは、どこからきたの?」
淡々と問い掛ける抑揚の感じられない声。けれど彼の瞳は、何故か楽しげな色を浮かべていて。
「…あなた、だれ……」
ふわふわとしていた声が少しだけ低くなり、威嚇を混じらせる。
「僕?僕は綾部喜八郎だよ」
「ちがう、綾ちゃんじゃないもん!!」
「君の言う綾ちゃんが誰かは知らないけど、僕は綾部喜八郎だよ」
勝手に僕を否定しないでよ、と呟いて向けられた視線に、三葉は肩を跳ね上げた。ずっと自分を優しい瞳で見つめてくれていた少年から初めて向けられた、敵意すら感じられる剣呑な視線。
「…ぅ……」
「え?」
突然ぐっと唇を噛んで下を向いた少女。眉を顰めた喜八郎が顔をのぞき込もうとした瞬間、ボタボタッ、と雨音にも負けない水音が教室に落ちる。
「ぅ、うぁぁ〜ん!!!」
「えっ!?」
「ここどこっ、綾ちゃんはっ?しろちゃぁん!!学園に帰りたいよぅ、綾ちゃあん!!こへえたせんぱぁい!!」
桃色の花柄装束の袴をぎゅっと握り、大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼして泣き出してしまった三葉。
忍術学園ではないところにいる、ということを理解したのか、恋しい人の名前を呼びながらわあわあと幼子のように泣きわめく彼女に驚いたのは喜八郎。
どうするどうすると一斉に慌てふためき出した男子生徒たち。
まるで三葉と連動するように再び強くなった雨を眺めながら、号泣する少女を前にとうとう現実逃避を始めてしまった鉢屋三郎は、とんでもないことになっちゃったな、なんて人ごとのように呟きながら、脳内でエンジェル様をやろうなんて気軽に言った2時間ほど前の自分をボコボコにぶん殴った。
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