きみと、はじめての
ある休日の朝早く。眩しい日差しが部屋に差し込む4年長屋で、私服に身を包んだ綾部喜八郎は同室の友人の前でくるりと回り、首を傾げて問い掛けた。
「ねえ滝、僕変なところない?」
「喜八郎…お前それを朝から何度私に聞くんだ…」
起きてから通算十回目の身だしなみチェックに滝夜叉丸は深く息を吐いて、それでもどこか微笑ましそうに、彼に大丈夫だと告げる。
それを聞いても尚不安なのか、喜八郎は袴をさかさかと手で払い、珍しく年相応に唇を突き出し拗ねたような表情で呟く。
「だって、三葉に恥ずかしい思いなんてさせたくない」
見事に恋する少年な友人を微笑ましく見ていた滝夜叉丸は、彼にばれないようにそっと笑って大丈夫だと癖のある前髪を撫でてやった。
「ほら、もうそろそろ時間じゃないのか?三葉が待っているかもしれんぞ」
「あっ、本当だ。じゃあ滝ちゃん、行ってくる」
太陽の位置で時間を確認した滝夜叉丸の声に驚いた顔になった喜八郎は、慌てるあまり昔のあだ名で彼に出かけることを告げ、部屋を飛び出していった。
あっという間に消えた背中を見送った滝夜叉丸は、あれは相当舞い上がっているなと笑いを零しながら、心の中で親友の初デートにエールを送る。
そう、今日はなんと、綾部喜八郎とその想い人の時友三葉が初めて二人きりで町へ出掛けるのだ。
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待ち合わせ場所の正門に喜八郎が駆けつけると、ちょうど反対側からトコトコと三葉が歩いてくるところだった。お互いに気が付き、手を振り、笑顔で朝の挨拶を交わす。
「綾ちゃん、おはよぉ。とってもいい天気だねぇ」
「おはよう三葉、お出掛け日和だね」
喜八郎の笑顔に驚き固まっている小松田さんがぎこちなく差し出した出門票にニコニコとサインをした二人は、のんびりと町へ歩き出した。
昨日の授業の話をしたり、出された宿題の文句を言ったり、土手に咲いているタンポポを見つけてちょっとだけ寄り道してみたり、晴れ渡る空を飛んでいく鳥を眺めて微笑みあったり…
「綾ちゃん綾ちゃん、とっても気持ちがいいね」
「そうだね三葉、晴れてよかったね」
普段通りの彼女と、普段と全然違う彼。学園の誰かが見ていればあれは一体誰だろうと目を疑うだろうが、今の喜八郎にそんなことは関係ない。
三葉が笑えば嬉しくて、三葉が綺麗だと言えばそれはとても綺麗で、彼女が楽しそうにしているだけで、彼の世界は眩く輝く。
そうこうしているうちにあっという間に町につき、今度はお店が三葉の視線を奪っていった。
「綾ちゃん、お団子屋さんがあるよ」
「じゃあ、あとで寄ろうか。お昼は何を食べたい?」
「うーんとねぇ、うーんと…親子丼!!」
「うん、いいよ。じゃああそこのお店でお昼にしよう」
それでも喜八郎はとても嬉しかった。何故なら、視線を奪われても三葉は一緒にいる彼の名前を呼ぶから。嬉しそうに、興奮のあまり少し赤くなった頬を緩めて、彼の袖を引いて名前を呼ぶから。
食べなれた親子丼だって、お団子だって、彼女においしいねと言われれば本当に世界一おいしくなる。
これが幸せの味なのかなと柄にもないことを思った喜八郎は、ふと恥ずかしくなって目の前の少女から視線を外した。
その時、目に留まったとても小さな見世物小屋。はてあんなものが町にあったっけと首を傾げた彼は、三葉に問い掛ける。
「おやまあ、三葉…あんなところに見世物小屋があるよ?」
「本当だぁ…なんだか、すごく繁盛してるねぇ?」
そういって三杯目の大盛り親子丼を平らげた三葉は、ちょっと行ってみようよと彼の袖を引いた。
勘定を済ませた2人が見世物小屋のあったところへ向かうと、そこでは落ち武者のような恰好をした男性が客引きをしていた。
「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。夏先取りのお化け屋敷、入らにゃあ損だよー」
なんとも聞きなれた口上…しかしそれがやけに気になって、どんどんと中に入っていく客たち。それをぼんやり眺めていた三葉は、ふと影が出来て顔を上げる。
「そこの可愛いお嬢ちゃんも、どうかな?」
いつの間に寄ってきたのか…目の前に立ち、ニチャリと不気味な笑顔でそういう客引きに、ひっとか細い悲鳴を漏らした三葉は反射的に喜八郎の背中に隠れ、しがみつく。
「おやまあ、大丈夫?」
「う、うん…」
よほど驚いたらしい三葉はそのまま喜八郎の背中に顔を埋め、小刻みに震えだしてしまった。見かねた喜八郎が客引きを追い払い、ふわふわと揺れる綿毛のような髪を優しく撫でながら、今までの笑顔をかき消してふるりと首を振った。
「彼女、怖いの嫌いだから。僕たちはいいです」
冷たく言い放った喜八郎に、客引きはわざとらしく肩を竦めてそれは残念と呟く。
その一言が、何故か突然喜八郎の胸をざわつかせた。
どんどん見世物小屋の中に入っていく客を尻目に、喜八郎はとてもゆっくり、そして小さな声で客引きに問う。
「お客さん、すごく入ってますね」
「ああ、ありがたいことだよ」
「ひょっとして、入場料が安いんですか?」
「いいや、うちはね、入場料なんてとっていないよ」
「おやまあ、そんなんで、よく潰れませんね?」
「ははは、うちは人件費がかからないからねぇ」
まるで何かを探りあうような会話。背中で震え続けている三葉。おかしいと確信した喜八郎は、ニタニタと気味悪く笑っている客引きから距離を取って、最後に聞いてもいいですかと呟いた。
「なんだい?」
「………この見世物小屋の、出口は、どこですか…」
「ああ、君はとても勘がいいねえ」
ぐちゃりと笑った客引きは、ぐっと彼の耳に口を寄せて囁く。
「この見世物小屋に、出口なんてありはしないよ。だから人件費がかからないんじゃないか」
答えを聞き、狂ったように笑い出した客引きの男。喜八郎はやっぱりなと視線を鋭くし、三葉の手を引いて一目散に駆けだした。
見知ったはずの、見知らぬ町。すぐそばには大通りがあるはずなのに、いつまでたっても辿り着けない。けれども喜八郎は三葉の手を握り、何度も何度も曲がり角を曲がって、そのたびに振り返り不安げな三葉に笑顔を向けた。
「綾ちゃん、どうしよう、綾ちゃん」
「大丈夫だよ三葉、僕が守るから」
「怖いよぅ、綾ちゃん、怖いよぅ…!!」
「怖くなんかないよ三葉、僕がいるから、大丈夫だよ」
いつも彼女だけが見ている優しい笑顔。ふわりと花が綻ぶように暖かく微笑む彼に、怯えていた三葉がつられてふっと微笑んだその瞬間、彼らはいつもの喧騒の中に飛び出した。
気付けば空は夕暮れで、カラスが帰宅時間を告げるように鳴いている。
2人は顔を見合わせほっと胸を撫で下ろすと、お団子を買って帰ろうかと一歩踏み出した。
その帰り道。三葉はとても悲しそうに笑って零す。
「私とお出掛けすると、いっつもこういうことに巻き込まれちゃうね…」
けれど喜八郎は、そんな三葉の瞳をじっと見据え、猫のような目を優しく細める。
「僕は、それでも三葉とまた、出掛けたいよ」
小平太のように退けられるわけでもなく、仙蔵よりも寄せ付けない力が弱い喜八郎はしかしこの少女だけは絶対に守ってみせると心の中で誓い続け、まだ震えが止まらない小さな手をきゅっと握る。
夕暮れの帰り道、地面に伸びた二つの影は、いつもよりも少しだけ、その距離を縮めていた。
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相互リンクのお礼として、≪ポンツク≫のパンタ様へ。喜八郎と三葉のほのぼの(ホラー可)ということでしたが、結果は混ぜるな危険でした…リクエストに添えているか不安なところですが、宜しければお納めくださいませ。
それから改めまして、今後とも末永く宜しくお願いいたします!!仲良くしたってくださいませませ!!
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