デルタ△ガール

さわ、と綻びかけのタンポポが春風に揺らめく裏山の丘で、時友三葉はしゃがみこみ小さな体をぎゅっと抱き締めてじっと自分の爪先を見つめる。
真っ赤な顔をした少女の脳内を占めるのは、先日偶然聞いてしまった緑色の声。
とても仲の良い、ただの優しい先輩だとずっと思っていた三葉は、彼の告白を聞いてからこうして放課後になると、静かな場所で自分の心と向き合っていた。

「好きな人、かぁ…」

零れた言葉が耳に飛び込み、頭の中をぐるぐると廻る。
人より少しのんびりで、鈍感といわれる部類に入る少女は、けれど聡明で寄せられる好意に気付いていないわけではなかった。
だからこそ、今まで聞こえないふりや気付かないふりをしてきた。
自分に向けられる【好き】の気持ちと、自分がその人に返せる【好き】の気持ちが釣り合わなかったりしたら、とても悲しいから。

「私は、誰が好きなんだろう…」

痛みに敏感な優し過ぎる三葉は、晴れ渡る空を見上げて呟く。単純に【好きな人】と言われればたくさん名前を上げることができるのに、その中から【特別】を選べと言われてしまうと、言葉に詰まる。

「とくべつ、かぁ…」

小さく呟いて膝に顔を埋めた三葉は、ずきりと痛んだこめかみに顔を歪めた。どうしても頭から離れてくれない声に悩みすぎかなと溜息を吐いてから立ち上がり、なんとなくその場を離れた。

日当りのいい丘から移動した三葉が辿り着いたのは、人気のない崖のそば。暖かい風が届かないらしいそこは薄暗く、まだ肌寒い。
風邪をひいてしまいそうなその場所に長居はできそうにないが、なんとなく安堵の雰囲気を感じた少女は誰にでもなく少しだけと言い訳をして小ぶりな岩の上に腰かける。そしてまた、大きな溜息を吐き出した。

「…何か、悩みごとですか…?」

「ぴゃああああ!!?」

が、間髪入れず背後から聞こえた生気のない声に驚き飛び上がる。その勢いで岩から転げ落ちそうになったけれど、小さな体は途中でひやりとしたものでしっかりと支えられる。

「驚かせてすみません…大丈夫ですか…?」

「しゃしゃ、しゃ斜堂、先生ぇ…」

バクバク煩い心臓を押さえながら顔を上げた先には、心配そうな顔をしているような気がする教員、斜堂影麿の青白い顔。どうやらここは彼の憩いの場らしいことに気が付いた三葉は悲鳴を上げてしまったことを詫び、静寂を好む斜堂先生の為に早々に立ち去ろうとした…のだが、向けられる優しい目につい、足を止めた。

「…斜堂先生、あの…」

「…はい」

「もし、もしご迷惑でなかったら…少しお話を、聞いてもらってもいいですか…」

「…勿論、いいですよ」

か細いけれど、優しい声。促されるように顔を上げた三葉は、考えれば考えるほど深みにはまってどうにもならなくなっていた気持ちを斜堂先生に話し、縋るような瞳を向ける。
対して少女の話を最後まで黙って聞いていた斜堂先生は、最後にひとつ頷いてそうでしたかと話を締め括ってしまった。

「先生、私、どうしたらいいですか?」

「…どうしましょうねぇ…」

答えを求めて縋りついても、斜堂先生は控えめに笑って少女の言葉を鸚鵡返し。混乱を極めた三葉の大きな目にとうとう涙が浮かんできてしまったが、斜堂先生はそれでも、少女が探している答えを与えてはくれない。
わからない、とついには泣き出してしまった三葉。
そんな彼女の肩に、冷たくて優しい手がぽんと乗せられた。

「…大いに悩みなさい、時友三葉さん」

「…斜堂、先生…?」

「…答えがひとつではない問題は、これからどんどんあなたの前に立ちはだかるでしょう。そのたびにきっと、辛く苦しいでしょうね…」

ともすれば聞き逃してしまいそうなか細い声で、斜堂先生はゆっくりしっかりと、三葉の目を見て優しく語る。

「捨ててしまうものもあるかもしれない…零れ落ちてしまうものもあるかもしれない…でもそれをきちんと自分で悩み抜いて決めたのなら、三葉さんらしい結果が残ります…」

「私らしい、結果…?」

「ええ…だから、たくさん悩んでもがきなさい。三葉さんの求める答えは、三葉さんしか導き出せませんからね」

そう言って、頑張りなさい、と真っ白なハンカチで三葉の涙を拭いた斜堂先生はそれを小さな手に握らせて、いつの間にか赤く染まりゆく空を見上げた。

「もうこんな時間ですか…三葉さん」

「…はい」

「…今晩は、菜の花ご飯と聞きました…楽しみですね…」

「…はいっ」

何の脈絡もない斜堂先生の一言。
けれど三葉は渡された真っ白なハンカチをぎゅっと握り、晴れ晴れとした笑顔で大きく頷いた。

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