天使降臨

ざあざあと激しい音を立てて、雨が降っている。時折光る空を見て、澄姫は溜息を吐いた。

「久々に洗濯しようと思ったのに…なんなのかしら、この季節外れの雷雨は…」

そう。もうそろそろ年末。本格的に冬が訪れたというのに、まるで嵐のような天候。ここのところ立て続けに入ったお使い(という名の忍務)が忙しく、溜まってしまった洗濯物を休みの今日片付けようと思っていた澄姫は、くノ一長屋の自室から暗い空を見上げていた。

と、その時。

「……ん…?…なに……?」

激しく地面を打つ雨の音に紛れ何かが聞こえた気がして、耳を済ませて周囲を伺う。
その瞬間、一際大きな音で雷が轟き、続いてどぉん、と音がした。これはどこかに落ちたな、と一瞬意識を雷に向けた彼女の耳に、再度、今度はさっきよりもはっきりとした“何か”が聞こえて、慌てて傘を引っ掴んで部屋を飛び出した。

くノ一長屋からはぐるりと建物を回らないと正門に辿り着けないため、彼女は事務員の小松田さんに怒られるのを覚悟の上で、足元に気をつけながら塀を飛び越えた。

「どこ…!?」

学園を囲む塀を背に、周囲を注意深く伺う。雨のせいで酷く視界が悪いが、それどころではない。彼女は確かに聞いたのだ、小さな子の、泣き叫ぶ声を。
神経を研ぎ澄ませ、目を凝らす。
すると、まるでここだと主張せんばかりの甲高い泣き声が聞こえ、彼女は声のほうへと走った。


幾分も走らないうちに、彼女の目に飛び込んだ光景…それは、雨の中傘も差さず、まるで火のついたようにひたすら泣き叫ぶ小さな女の子の姿だった。
どてりと地面に尻餅をつき、小さな手で着ている着物を握り締め、泣きじゃくりながらも懸命にとうさま、かあさまと呼んでいる。

「どうしたの!?こんな雨の日に…父様と母様はどこ?」

澄姫は驚いたが、びしょ濡れのその子を抱き上げた。周囲を伺うが、この子の両親らしき者の姿はおろか、何の気配も感じない。
学園の裏山と知らずに迷い込んだこの子を探して別の場所にいるのか、それとも山賊にでも襲われて逸れてしまったのか…色々な考えが頭を巡ったが、腕の中から小さなくしゃみが聞こえてハッとした。

「大変…早く着替えさせないと…」

そう呟いて、この子の保護を優先すべきだと判断した彼女は、懐から取り出した手拭を被せて、学園の正門に向かって走り出した。


正門付近では出門表を抱えた小松田さんがきょろきょろとしており、澄姫を見つけるや否や困り顔で駆け寄ってきた。

「あぁぁ!!澄姫ちゃん!!困るよ、学園の外に出るときは出門表にサインしてくれないと!!」

「小松田さん、すみません。でも今それどころじゃないんです!!」

「ほぇ?って、え、その子…どこの子?」

「わかりません、親御さんも見当たらないのにすぐそこで泣いていたんです!!とりあえず急ぐので、ごめんなさい!!」

そう言って乱暴に小松田さんから筆を取り上げ、殴り書きのように出門表と入門表にサインをすると、彼女は一目散に医務室に駆け込んだ。


「新野先生か伊作はいる!?」

「はいはい、伊作は僕ですよ…って、どうしたの澄姫!?」

乱暴に扉を開け放った彼女に暢気に返事をした伊作が、彼女の抱えているものに目を剥いて驚いた。

「…澄姫ちゃん、いつの間に…これはいかん、すぐ尊奈門に祝いの品を用意させよう」

「雑渡さん、冗談なら後にしてください!!伊作、早くお湯!!それから着替え!!」

遊びに来ていたらしいタソガレドキ忍軍忍組頭、雑渡昆奈門の本気か冗談かわからない言葉を一蹴して、彼女は伊作に怒鳴るように指示した。
大慌てで風呂場からお湯を持ってきた彼が冷え切った少女を桶に入れ、ついでに慣れた手つきで体中を見ていく。

「大分冷えているけど、怪我はないみたい」

その一言で、澄姫は安堵の息を洩らす。
寒かったのか大人しく湯に浸かっていた少女がしっかり暖まったのを確認し、とりあえず間に合わせの1年生用忍装束の上着を着せてやる。
顔色も良いし、風邪を引く心配もなさそうなその姿を見て、伊作は澄姫に問いかけた。

「で、この子一体どうしたの?まさか留三郎が…?」

「案外酷いこと言うのね…違うわよ。この雨の中学園の外で泣いていたの。周囲に親御さんの姿も見えないし、あのままじゃ風邪を引いてしまうと思って一旦連れて来たのだけど…」

そこまで話して、彼女は少女を見た。少しだけ色素の薄い髪をてっぺんでちょこんと結い、くりくりとした瞳は不思議そうに医務室内をきょろきょろと見回している。そして、彼女と目が合うと、少女はにぱと微笑んで抱っこをせがむように手を伸ばした。

「かあさま!!」

衝撃的なその一言で、雑渡さんがごふりと飲んでいたお茶を噴いた。

「澄姫ちゃんが母様って…やっぱり…」

「違いますよ!!」

疑惑の目を向けてくる雑渡さんを一喝しながらも、彼女は少女を抱き上げた。きゃっきゃっと嬉しそうにはしゃぐその姿に、伊作がでろりと表情を緩める。

「かーわいいー、ねえ、お名前言えるかな?歳はいくつ?」

「いっちゃんね、いろはっていう!!みっちゅ!!」

澄姫に抱かれて上機嫌な少女は、小さな指を2本立てながら元気良く答えた。

「ぶふっ…指違う…あー、確かに可愛いなー…」

その姿に雑渡さんまでもが可愛いと呟いて、医務室にほんわかした空気が流れ始める。

「そっかー、じゃあいろはちゃん、父様と母様のお名前はー?」

「とうさまねー、ちょーじー、かあさまはー、澄姫ー!!」

しかしそんなほわりとした空気を、少女の発した言葉がぶち壊した。

「は…あ!?え!?」

驚きのあまり伊作があんぐりと口を開く。そして、ゆーっくりと彼女を見た。

「………えーっと、どういうこと?」

「………私が、知るわけないでしょう」

嬉しそうにぎゅうっと抱きついてくるいろはと名乗った少女を抱えて、澄姫は何ともいえない顔で呟いた。

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