被害者:方向音痴

澄姫が薬草園に駆けつけると、そこでは伊作が泥だらけになりながら手入れを終えたところだった。彼は救急箱を持った彼女を見て首を傾げたものの、いつもの穏やかな笑顔でどうかしたかい?と問い掛けた。
そんな彼につかつかと歩み寄り、先程文次郎と小平太から聞いた話を伊作に告げ、すぐに運動場に来て欲しいと頼んだ。

「神崎左門と次屋三之助が喧嘩なんて珍しいね」

「そうね、私も驚いたわ…って、あぁ、伊作」

伊作の言葉に同意しつつも、彼女はぽん、と軽く手を叩き、可愛らしく首を傾げた。

「あの医務室にある『対文次郎&留三郎用お仕置き傷薬』って、何?」

「なんだ、見たのかい?あれはね、いつもいつもいつも無駄な喧嘩で医務室の貴重な薬を無駄使いする馬鹿2人につけるための超絶沁みる傷薬さ。効果は普通の傷薬なんだけど、刺激を与えるあらゆるものが調合されてるんだ」

えっへん、と自慢げにそう説明した伊作の頬に、澄姫は笑顔のままばしばしと往復ビンタをかました。勿論手加減なしで。

「ぶほっ!!な、なんで叩くのさ!!?」

「そんなもの後輩の手が届く場所に置くんじゃないわよ…本当に、冗談じゃないくらい、痛かったんですからね…」

「へ?え?って、まさか…君…」

「そのまさかよ」

「それは…その、なんていうか………ごめん…」

ヒクヒクと引き攣り笑いをしながら、威圧感たっぷりに伊作に詰め寄った彼女の身に一体何が起こったのかを悟った彼は、目を逸らしながらも素直に謝った。



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一通り伊作に注意をした澄姫は、彼に救急箱を渡して問題の運動場に駆けつけた。そこでは遠目からでもわかるほどに、ぎゃいぎゃいと言い争う萌黄が2つと、それを背後から羽交い絞めにしている紫と深緑、そして、周囲を取り囲むようにおろおろとした井桁と青。

「…想像以上に激しいわね」

呟いた彼女の言う通り、萌黄はお互いに隙あらば飛び掛ろうと暴れているし、それを何とか止めようとしている紫に至ってはあちこち傷だらけになっている。
伊作が慌てて乱入し、何とか宥めようと必死に話すが聞く耳持たず。文次郎と小平太が実力行使で首根っこを掴んでも、その闘志は折れないままじたばたと暴れるのをやめない。

「2人とも!!いいから落ち着いて!!喧嘩の原因は何!?」

伊作のその言葉に、一瞬ぴたりと動きを止めた神崎左門と次屋三之助は、お互いにぎっと睨み合い、同時に叫ぶように怒鳴った。

「「こいつが方向音痴だから悪いんだ!!」」

その瞬間、運動場に妙な沈黙が落ちる。文次郎は額を押さえ、小平太は大きな溜息を吐いた。
そんな雰囲気もお構いなしに、左門は小さな体をばたばたと動かして三之助に怒鳴る。

「いつもいつも俺に方向音痴って!!三之助が方向音痴なんだよ!!3年生の長屋はあっちだろ!!」

そう言って、左門はなぜか裏山を指差す。
それに対し、三之助も眉を吊り上げて怒鳴り返した。

「方向音痴に方向音痴って言って何が悪いんだよ!!大体、3年長屋はあっちじゃねぇ!!こっちだ!!」

びしっと三之助が指を差したその先は、何故か学園の正門。
それを唖然として伊作が、ぼそりと呟く。

「え、え?まさかそんなくだらないことで喧嘩してたの…?」

「「くだらなくない!!」」

「そもそも、3年長屋はそっちだ…」

「「…え…?」」

伊作の呟きに噛み付かんばかりの勢いで怒鳴った左門と三之助に、文次郎が呆れたように忍たま長屋がある方角を指差した。
お互いがお互いに全然違う方を長屋だと言い張って、いつの間にかヒートアップしてしまったのだろう。左門と三之助はぽかんとした後、罰の悪そうな顔で視線を絡ませた。

「…三之助、ごめん。おれちょっとむきになっちゃって…」

「や、俺も、何かごめん。酷い事言っちまって…」

先程までの怒りはどこへやら、突然仲直りした2人に、その場の全員がひっくり返った。

「と、とにかく、仲直りしたならよかった。手当てしようか」

そう言っててきぱきと怪我の手当てをしていく伊作を見ていると、額を押さえた文次郎が豪快に笑う小平太と共に彼女に近付いてきた。

「あー、その、すまんな。騒がせて」

「はっはっはっは!!意味わからん喧嘩だったなー!!」

申し訳なさそうな文次郎の姿と、何が面白いのか爆笑している小平太に、澄姫は苦笑いを零しながら緩く首を振った。

「いいわよ別に。あのくらいの歳の男の子って、あんなものでしょ?」

そういいながら、懐かしむように手当てされている弟を見る。
文次郎と小平太も思い当たることがあるのか、顔を見合わせてくしゃりと笑った。
なんだか急にほんわりとしてしまった澄姫だったが、急に肩をぽんと叩かれて振り返った。と、同時に、今までにこにことしていた顔が急に怒りに染まる。
そしてその感情のまま、彼女の肩を叩いた人物の顔面に拳をめり込ませた。

「うごふ!!」

「悪ふざけならタイミングが悪かったわね、鉢屋三郎」

突然の殺気にきょとんとしてしまった文次郎と小平太が振り返ると、そこには顔面を押さえた中在家長次…に変装した鉢屋三郎がのた打ち回っていた。

「こ、恋仲の顔を思いっきり殴るとか酷すぎませんか…!?もっと優しく…!!」

呻きながらいつも変装している同級生の顔に戻った三郎が、ブチブチと文句を言いながら殴られた鼻を摩る。その姿に、澄姫は舌打ちした。

「知らないわよ、あんな男!!それより何か用?くだらない悪戯だけだったらもう2、3発お見舞いしてあげるけど?貴方の言う通り『やさしく』、ね?」

「めめめ滅相もないです!!あの、えっと、そうだ!!いい菓子が手に入ったので、おさ、お誘いに来ましたです!!」

三郎はぶんぶんと両手を振りながら、必死で取り繕う。十中八九悪戯だけのつもりだったろうが、澄姫の絶対零度の瞳に命の危険を感じ取ったのだろう、盛大にキョドりながらも何とかご機嫌を取ろうと慌てている。

「ふぅん…ま、いいわ。御呼ばれしようかしらね」

心底ホッとした様子の三郎を引き摺って、澄姫は学級委員長委員会が会議室として使用している部屋へと向かって行った。

その後姿を呆然と眺めながら、文次郎はぽつりと呟いた。

「お、おい…聞いたか小平太、澄姫のやつ、長次と喧嘩でもしたのか?」

「私は知らん…が、長次のこと『知らないわよ、あんな男』って…言ってたな…」

小平太も同じく驚いた様子で呟いた。
2人は顔を見合わせて、手当てが終わった伊作を全力で引っ張って6年長屋に走っていった。




お題:確かに恋だった

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