被害者:川西左近

左近に連れられて訪れた医務室には、珍しく誰もいなかった。

「新野先生は会議、善法寺伊作先輩は薬草園にいます」

きょろりと医務室を見渡した澄姫に、てきぱきと救急箱を用意しながら左近がぶっきらぼうに呟いた。

「そうなの。左近はお留守番していたはずなのに、どうして裏庭に?」

彼女の問い掛けに、左近はぎくりと肩を震わせて、恥ずかしそうに小さな声で裏庭にいた理由をぼそぼそと答えた。

「……干していた、包帯が…風に飛ばされちゃって…」

そのあまりにも保健委員らしい理由に、思わず澄姫は吹き出してしまう。それが気に入らなかったのか恥ずかしかったのか、左近は少々乱暴に彼女の右手を掴み、擦り傷にあらかじめ調合してある伊作特製の傷薬を塗りつけた。

「いっ、たぁぁあ!!」

何の覚悟もしないまま、突如襲い来る激しい痛みに、澄姫は思わず悲鳴を上げる。小さな手を振り解こうと反射的に腕を引くが、意外としっかり掴まれていた腕は開放を許されない。

「暴れないでくださいよ、ちょ…!!」

「なによこれどうしてこんなに痛いの!?伊作ったらなんて凶悪なもの作ってるのよ!!」

「痛い?これは沁みない薬の…ってあぁ!?これ対潮江先輩&食満先輩用のお仕置き傷薬!!?」

涙を浮かべて痛がる澄姫に驚いた左近が薬品壷に付けられているタグを見て飛び上がる。どうやら間違えた薬を塗ってしまったらしい。

「す、すみません!!すぐ拭います!!」

身を縮めてぷるぷると涙ながらに震える彼女を見て、さすがのツンデレ学年も大慌てで塗ったばかりの薬を清潔な布で拭い始める。
しかし、慌てているせいか、その手つきは大雑把になってしまったらしい。

「ぃぃ痛い、痛いったら!!左近、痛い!!もっと優しくしてぇ!!」

「うわわ、暴れないでくださいって!!大人しくしてないと…あっ!!」

「ぁああ!!入っちゃってる!!入っちゃってるってばぁ!!」

澄姫が暴れに暴れたせいで、薬は拭うどころかどんどん塗り広げられていき、ずっきんずっきんとした痛みが彼女を襲う。

「澄姫先輩!!大人しくしてくださいってば!!ほら、見てください!!」

そんな彼女の腕を掴んだまま、左近が傷口を見るように促す。無事に凶悪な傷薬は全部拭い取れたようだ。

「お…終わった…?」

「はい、ほら、良く見てください。大丈夫でしょう?」

「さ、左近が…ちゃんと、みて…?」

激しすぎる痛みですっかり心が折れてしまったのか、彼女は潤んだ瞳で左近にそう言った。
普段なら“何甘えたこと言ってるんですか”と冷たく突っ撥ねる左近も、自分に非があるので言われた通りに傷口を見てやる。

「まったく、6年生なのにぎゃーぎゃーと情けないですよ。初めてじゃないでしょう?」

「こんな凶悪なの初めてよ!!一体どうしたらこんなになるわけ!?」

しかし、投げかけられた言葉には優しさは見られず、澄姫は未だ脳裏に残る痛みも相まって声を荒げた。
すると、突然医務室の扉が物凄い勢いで開き、いや、開いたというか勢いのままどこかへ飛んでいった。

「なななな何をしとるかお前らぁぁぁぁ!!!」

「私も混ぜてくれ!!」

突然無くなってしまった扉を目を点にして見ていたら、真っ赤な顔をした文次郎と嬉しそうな小平太が飛び込んできて、澄姫は思わず額を押さえた。

「と、扉が…」

「日の高いうちから、ははは、破廉恥な!!!」

「私もヤリたい!!」

悲しそうな左近の呟きは、何を勘違いしたのか…まぁ大体想像はつくが…2人の大きな声に掻き消されてしまった。

「…盛大な誤解よ」

溜息混じりに澄姫がそう言うと、真っ赤な顔をして左近に怒鳴っていた文次郎はぴたりとその動きを止め、小平太は残念そうに医務室を見渡した。

「……ほんとだ、澄姫、服着てる」

「何を想像していたのか聞きたくもないわね。医務室に何か用事?」

ぶすくれる小平太に問い掛けると、ハッとしたように彼は再度きょろきょろと医務室を見渡した。

「滝夜叉丸と三木ヱ門が怪我したんだ、いさっくんは?」

「滝と三木が怪我?また喧嘩でもしたの?」

彼女の弟である滝夜叉丸と、そんな彼と犬猿の仲の三木ヱ門を思い浮かべ、澄姫は眉を顰めて小平太に問い掛けた。すると、両手で顔を覆っていた文次郎が思い出したとばかりに慌てて立ち上がる。

「いや、あいつらじゃない。珍しいことに会計委員会の神崎左門と体育委員会の次屋三之助が喧嘩したんだ。あいつらそれを止めようとして…伊作は?」

「薬草園にいるらしいわ。私が呼んでくるから、貴方達は先に行って頂戴」

そう言って、澄姫は左近に借りるわよ、と一声かけ、救急箱を手にした。
そしてふと、右手の怪我を見た。
痛みはともかくとして、しっかり効果もある傷薬によりすっかり血も止まっているそこを見て、左近に視線を戻す。

「左近、手当てありがとう」

首を傾げていた彼の頬にぷちゅっと唇を押し付けると、暫く呆けていた左近の顔が急に真っ赤になり、そのままころりと床に倒れた。

「まあ、純情なこと。それでえーっと…運動場?でいいのかしら?」

「…あぁ」

けたけたと楽しげに笑った澄姫はくるりと振り向き文次郎に問いかける。
彼は倒れた川西左近を可哀想な瞳で見ると、私も私もと喧しく騒ぐ小平太の首根っこを引っ掴んで医務室を出て行った。
そして彼女もまた、伊作を呼びに…ついでに先程の薬の置き場所を後輩の手の届かないところへ変えるように言い聞かせるために…救急箱を持って薬草園へと駆け出した。




お題:確かに恋だった

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