被害者:浦風藤内

件の騒動から一月ほどが経ち、すっかり空気も冷たくなって、いよいよ冬だと誰もが支度を始めた頃。
忍術学園に、ひとつの怒号が響き渡った。

「もういいわよ!!長次の馬鹿!!大嫌い!!」

美しい顔を怒りに歪ませて、澄姫は訪れていた恋仲の部屋を飛び出した。
バターン、という激しい音を立てた扉を呆然と見ながら、今しがた怒鳴られた長次はぱちぱちと瞬きをしながら、彼女が去っていった方角を見つめるしかできない。

「なんだ、痴話喧嘩か?澄姫があんなに怒鳴るなんて珍しいな」

廊下から野次馬のようにそう言って顔を覗かせた仙蔵が長次に問い掛けるも、彼は茫然としたまま微動だにしない。
片眉を下げた仙蔵が訝しげに呼びかけるも、無反応。

「…ショックのあまり固まっとるのか…」

苦笑しながら、仙蔵は小さく呟いた。



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長次の部屋を飛び出した澄姫は、ドスドスと足音荒く廊下を歩いていた。
そんな彼女が曲がり角に差し掛かると、突然腹にぼすりと衝撃を感じて視線を下げた。
そこには鼻っ面を押さえた3年生の浦風藤内が尻餅をついており、彼の横には忍たまの友が落ちていた。

「あら、ごめんなさい」

「わぁぁ!!平澄姫先輩!!す、すみません!!予習に夢中で気付かなくて…!!」

どこか不機嫌に、しかしちゃんと謝った彼女に藤内は驚き、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。

「勉強熱心なのは良いけれど、歩きながらというのは感心しないわね」

「す、すみません…明日の授業でわからないところがあって不安で…」

まだ怒りが収まらないのか、どうしても刺々しくなってしまった彼女の言葉に、藤内はしゅんとして忍たまの友を拾い上げ胸に抱える。
そんな彼に幾分かの罪悪感を抱いた澄姫は、少し身を屈めて藤内に視線を合わせた。

「…もし、迷惑じゃないなら、教えてあげるわよ?」

驚いて顔を上げる藤内に、にっこりと微笑む。

「い、いいんですか!?」

「ええ、同じ委員会の孫兵の勉強をたまに見ているし、あ、でも仙蔵のほうがいいかしら?」

「いいいいえ!!あの、是非お願いします!!」

仙蔵の名前を出した途端にサッと青褪めた藤内は、ぶんぶんと首を振ってキラキラとした瞳で澄姫を見つめて頭を下げた。
ドSの作法委員会唯一の良心と謳われている浦風藤内の、本当に素直な眼差しを受けて、彼女はにっこりと笑って、藤内の手を引いて日当たりのいい裏庭へと向かっていった。



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ぽかぽかと暖かな日差しはあるものの、吹く風はやはり冷たく、勉強を教えてもらっていた藤内はくしゅりと小さくくしゃみをした。

「いやだ、ごめんなさい、冷えちゃったかしら?」

「ふぁっ!?大丈夫です!!これくらい平気ですかりゃっ…ぷしょ!!」

澄姫の問い掛けに勢い良く両手を振ったが、言葉の途中で再度出てしまったくしゃみに、藤内は恥ずかしそうに頬を染めた。
そんな彼のまだ成長途中の体を、彼女はひょいと持ち上げ膝の上へと乗せる。

「これならちょっとは暖かいかしら?それとも、もうお仕舞いにする?」

恥ずかしさと驚きで固まってしまった藤内にそう言うと、彼はちょっと思案した後、ここだけ、と言って忍たまの友を指差した。

「本当に、勉強熱心ね」

澄姫はそう笑って、藤内の指差した部分を読み上げて説明を加えてやる。彼の背後から忍たまの友を覗きこむ形になっているので、藤内の耳元に心地よい女性の声が飛び込んでくる。
ちらりと視線を横にずらすと、そこには澄姫の薄い唇があって、藤内の胸はどきりと跳ねた。
どきどきとうるさい心音に戸惑いつつも、彼女の唇から目を離せなくなってしまった藤内は、額に浮かぶ汗の意味も理解できないまま、その身を強張らせた。
その瞬間、見蕩れていた唇が魅惑的に弧を描き、ふるりと開かれた。

「ねえ、ほら…わかる?」

そして零れ落ちたその言葉に、藤内の頭からぼしゅりと蒸気が吹き出た。

「あわわわわかりましたありがとうございましたぁぁぁ!!!」

まるで転がり落ちるように、藤内は勢い良く彼女の膝から飛び降りて、ぺこりと頭を下げた後、目にも止まらぬ速さで走っていってしまった。
そんな様子をきょとんとして見ていた澄姫だったが、くすくすと笑い始め、その笑いは次第に大きくなっていった。

「ふふふ…あっはははは!!まだまだお子様ね、可愛い反応だこと」

そんな楽しそうな彼女の背後から、ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

「また趣味の悪い事をされていますね」

「あら、川西左近。覗き見とは随分いい趣味ね?」

振り返らないまま澄姫がそう言うと、裏庭の木の陰から保健委員会の川西左近が真っ赤な顔で飛び出してきた。

「だっ、誰が覗き見なんてしますか!!それよりそれ、どうしたんですか!!」

そう怒鳴りながら、左近は彼女の右手を指差した。つられる様に視線を落とすと、右手首の部分に擦り傷ができている。
じわりと血が滲んでいるそれを見て、澄姫は細い眉を吊り上げた。

「…どうしたの、かしらね」

突然の変貌ぶりに内心驚いたものの、左近は大股で彼女に近付き、怪我をしていない左腕を小さな手で掴んでぐいぐいと引いた。

「…医務室行きますよ。手当て、しますから」

なにが恥ずかしいのか、俯きがちにそう言って手を引く左近の姿に、笑みが零れる。

「はいはい、保健委員さんに見付かったなら仕方ないわね」

「茶化さないでください!!ほら、行きますよ!!」

頬を染めて、それでもぐいぐいと腕を引く左近に言われるまま、澄姫は医務室へと連れて行かれた。





お題:確かに恋だった

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