とある少女の物語(中)

いつの間にか眠ってしまっていた朱雀は、小鳥の囀りで目を覚ました。
見慣れない天井に、嬉しさは募るばかり。
意気揚々と身支度を整えていると、扉の外から男の人の声がした。集会があると言われ扉を開けると、厳つい顔をした先生が立っていてついてきなさいと言われた。
連れられた先は校庭で、そこでは既に学園長が長々と話をしていた。そして促されるまま横に立つと、全校生徒の視線が一気に朱雀に向く。
その視線であの出来事を思い出してしまった朱雀は、一気に緊張した。
数人の生徒が突然突き刺すような刺々しい視線を向けてきたが、空想人物【青龍院朱雀】の生い立ちを話すと、向けられた視線は幾分か和らいだ。

自己紹介を終え、集会は解散。その後色々と生活における注意事項などを聞いていた朱雀は、ぐぅ、という腹の音でそういえばここに来てから何も口にしていないことを思い出した。

「そうか…そういえば昨日は疲れて眠っていたからな…よし、食堂に行って何か食ってきなさい」

ほんのりと頬を染めて恥ずかしそうにしていた朱雀に、厳つい顔の先生は一枚の紙を握らせた。

「あ、でも、お金…」

「子供が妙な気を遣うもんじゃない。ほら、食堂はこっちだ」

遠慮がちに問い掛けた朱雀に、厳つい顔を柔らかく綻ばせて、先生はまたついて来なさいと言って廊下を歩き出す。
そんな先生の後姿を見て、朱雀は嬉しそうに笑った。

(学園の先生は、こんなに優しい…向こうとは大違いだ…)

胸に広がる暖かな気持ちを感じながら、朱雀は食堂に着いた。そこには朱雀と同じ色の装束を着た人物が2人、早めの昼食を取っていたようで、先生はその2人に近づくとなにやら一言二言交わし、朱雀の肩をぽんと叩いて食堂から出て行った。
出入り口で唖然と突っ立っていた朱雀に、食堂の中から声が掛かる。
振り向くと、6年は組の同室コンビが笑顔で手招きをしていた。

(一緒にご飯食べてる!!)

内心滾る何かを抑えながら朱雀は2人に呼ばれるまま近付いていく。

「えーっと、初めまして。僕は6年は組善法寺伊作です」

「俺は食満留三郎、伊作と同じ6年は組だ。木下先生からお前のこと頼まれたぜ、食券持ってんだろ?出入り口のメニュー決めたらおばちゃんに渡せばいい」

片やにこり、片やニカリと笑って、自己紹介ついでに食堂の仕組みを教えてくれた。朱雀は留三郎に言われた通りメニューを決めて食券を渡すと、食堂のおばちゃんが笑顔でおいしそうなご飯を用意してくれた。
彼らと同じ机で話しながら本当に驚くほどおいしいご飯を食べていると、きゃいきゃいと楽しそうな声と共に、青空のような井桁装束がわらわらと食堂にやってきた。

「こりゃ賑やかしくなるな」

楽しそうに呟いた留三郎の言葉通り、朱雀に気付いた1年生たちは食事もそこそこにあっという間に朱雀に群がって質問攻めを始めた。
矢継ぎ早に投げかけられる質問に戸惑いつつも、悪い気はしない。
しかし、突如聞こえた声によって、1年生たちはわらわらと散っていった。
朱雀が顔を上げると、そこには見たこともない深赤色をした忍装束を纏った美しい少女が立っていた。

確かに、朱雀は朝の集会で見たこともない顔の生徒が何人も混じっていることに気が付いていた。所謂モブと呼ばれる者たちだろうと、そのときは気にもしていなかったが、美しい少女は伊作と留三郎はおろか、仙蔵とも親しげに話し、あろうことか文次郎に自分の食事を運ばせていた。
あまりに出張っているその姿に不快なものを感じ、眉を顰めて彼女を見ていると、突然文次郎に声を掛けられた。

「おい。滅多矢鱈に殺気を飛ばすな、獣に襲われるぞ」

その言葉に驚いたと同時に、背後に何かを感じて朱雀は目だけで周囲を伺う。すると、朱雀の首に宛がわれている細い何かと、懐に手を忍ばせている鋭い眼の留三郎と仙蔵、伊作の姿があり、あ…と小さく呟いた。

「ご、ごめん。俺殺気を隠すのが本当に下手で…」

慌ててそう言うと、宛がわれていた細い何かが引っ込んだ。
空想の【青龍院朱雀】が女を苦手としていることを説明すると、鋭い目で睨んでいた6年生たちは一斉に何かを察したように肩を揺らした。

事情を聞いた少女が自己紹介と共にできれば仲良くして欲しい、と控えめに笑っていたのを見て、朱雀はなんともいえない笑みで応じた。

しかし、その後楽しく話をしていると、どうしても聞き流せない言葉が仙蔵から飛び出してきたのだ。

「長次と澄姫は将来を誓い合った仲だからな」

聞き捨てならないその言葉に、朱雀の眉が吊り上る。こっそりと皆の顔を伺うと、誰もがにこにこと笑っていた。三禁がどうとか言っている文次郎も、長次と同室である小平太も、だ。

「三禁…」

ぽつりと口から零れた言葉に、仙蔵が楽しそうな顔で文次郎みたいなことを言うな、と笑ったが、朱雀の腹には何か黒いものが渦巻き始めた。

(…なに、この女…長次と付き合ってるってこと?そんなのがいるなんて知らない…長次は小平太と仲良くしてる筈なのに…)

せっかく憧れの世界に来られたのに、予期せぬ邪魔者に朱雀はしょんぼりとした。しかし、暫く考えてひとつの案を思いつく。

(そうだ…この世界の異端は私も同じだ。ということは、この女の気を私が引いてしまえば、長次はこの女と別れて元通り小平太と…)

思いついた朱雀なりの名案に新たな意気込みを滲ませつつ、朱雀は日を重ねるごとに学園に馴染んでいった。
それは授業で小平太と手合わせをした事がきっかけになったり、歓迎会と称された飲み会で留三郎のオープンな発言が聞けたことなど色々あるが、ともかく、学園に馴染んだ朱雀は空想通り楽しい学園生活の中でひとつだけ、空想通りにいかない澄姫を懐柔し、自分に惚れさせる作戦を実行し始めた。
それは彼女に自分を意識させてみたり、周囲に妙な噂をまいて長次に誤解させようとしたり、色々なものだった。
だが、全くといっていいほど効果は見られない。
周囲の人間がほんの少しだけ彼女の悪口をいったりする程度で、当の本人たちは相変わらず仲良く幸せそうにしている。
その姿を見るたびに、朱雀は腹に渦巻く黒いものが膨張していっているように感じた。

(空想じゃこうじゃないのに…私の思い描いた学園はこうじゃないのに…)

そしていつしか、そう考えるようになってしまった。




日に日に大きくなる黒い感情を隠しつつ、嘘の相談を澄姫にしていたある日、裏山で偶然遭遇した体育委員会の面々、その中で一際目を引く美しい顔立ちの少年、滝夜叉丸に、朱雀は小声で話しかけられた。
話したいことがある、という滝夜叉丸に、朱雀はあまり良い印象を持ってはいなかった。
そして、それがどうしてなのかを理解した彼は、冗談なのか本気なのかわかりかねる忠告を彼女から受けて、その夜、約束の第二運動場へと出向いた。
そこで滝夜叉丸から告げられた言葉に、とうとう彼の黒いものはひとつぱちんと弾けてしまったのである。

不快な感情に従って蹴り飛ばした彼を見て、朱雀の気分は幾分か晴れた。
姉の幸せを壊さないでくれ、姉には手を出さないでくれと必死に耐える滝夜叉丸を殴ったり蹴ったりする度に、胸がすっとしていく。
それと同時に、朱雀は強くなった自分に妙な喜びを感じていた。

(私は強い。強いから、何をしてもこいつは抵抗しない)

無意識のうちに芽生えた“弱者は強者に従う”という考えは、朱雀をどんどんと蝕んでいった。

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