とある少女の物語(前)

これは、とある少女のお話。

少女の名は宇賀原寿々子(うがはらすずこ)、年齢は14歳。

彼女は同じクラスの女の子たちが楽しそうに話すアイドルや俳優の話よりも、ゲームや漫画、アニメが好きなちょっと大人しめの性格だった。
人数は少ないが、クラスにも数人同じような趣味の友人もいて、平穏な学生生活を送っていた。
ある日、彼女は友人たちと共有していたお絵かきノートを落としてしまい、それをクラスでは目立つタイプの女の子に拾われてしまった。

目立つタイプの女の子は、ノートをぱらぱらと見て、少女の前でこう呟いた。

「へた。それになんか気持ち悪い」

禁止されているはずの化粧で彩られた瞳で、女の子は少女を見下す。
その日から、少女はクラスでひそひそと噂話をされるようになった。
陰口の混じる噂話はあっという間に広まり、いつしか少女はクラスでいじめられるようになった。
最初は励まして傍にいてくれた友人たちも、ひとり、またひとりと巻き込まれるのが怖くなったのか少女の傍に寄り付かなくなっていった。
後ろ指を差され、くすくすと耳に残る少女を哂う声、時には酷い罵声を浴びせられることもあり、少女は学校に行くのが怖くなって自室に引篭もるようになった。

両親や担任が説得するも、彼女はそれをひたすらに拒否し続けた。
何故なら、彼らは少女にこう言ったからだ。

『あの子達にも、話をしてみるから』

少女は知っていた。両親がそんなことに時間を割いてくれないことを。担任が軽い注意だけで有耶無耶にしようとしていることを。

そして、少女は自室でゲームをしたり、漫画を読んだり、アニメを見たり、インターネットをしたりして過ごす日々を繰り返した。
その頃だろうか、少女はひとつのキャッチフレーズを見かけた。

【友達がいれば、ぼくらは無敵】

それは、少女がまだ小さな頃からずっと続いているアニメの劇場版用宣伝広告だった。
それを見て、少女はぼうっと考えた。
こんな世界…こんな友達がいたら、私は辛い思いをしなくてもよかったのかな?そう考えて、仲良くしていたと思っていた友人たちの顔を思い出そうとする。しかし、どうしてももやが掛かったように、思い出せなかった。

それから彼女はそのアニメを見るようになった。楽しそうに学園生活を送るアニメの中の少年たちに憧れ、いつしか少女は空想にふけるようになった。
空想の中で少女はとても見目麗しい美少年で、運動神経もよく、学園の6年生に編入する。そして、たくさんの友人や後輩たちに囲まれて毎日を楽しく過ごすのだ。
少女の空想は日に日に膨らんでいった。
もとより『やおい』と呼ばれるものが好きだった少女の空想は、いつしかそういったものへと変わっていった。
特に気に入っていた6年生の同室たちをノートに書き綴り、思いを馳せてはそこを楽しそうに覗く自身の分身を書き添える…。
前より少し楽しいと思える日を過ごし始めた時、唐突に少女の携帯電話がメールの着信を知らせる。
不思議そうに首を傾げて携帯を手に取った少女は、表示された名前に硬直した。
画面には、少女が友人だと思っていた女の子の名前と、可愛い絵文字でデコレーションされたメッセージが表示されている。

『すずちゃん、みんな寂しがってるよ。はやく学校に来てね』

暫く硬直していた少女は、まるで錯乱したかのような叫び声をあげて携帯を床に叩きつけ、部屋を飛び出した。
マンションの部屋を出て、階段を駆け上がり、住んでいるマンションの屋上へと辿り着いた少女は、息を切らしながら涙を零した。
先程届いたうわべだけのメールを思い出し、少女の脳裏に笑い声が蘇る。
少女はそれを振り払うように、がしゃがしゃと屋上に設置されている転落防止用のフェンスを乗り越えて、空を仰ぐ。

眩しいほどに良く晴れた青空を一度だけ睨みつけ、少女は屋上から飛び降りた。

「もし生まれ変われるなら、あんな楽しい学園に行きたい…っ」

恐ろしい速さで近くなる地面を見たくなくて、少女はぎゅっと目を閉じて涙ながらにそう呟いた。
そして地面に叩きつけられる瞬間、少女の体はふとその存在を消したのだ。





いつまでたっても痛みも衝撃も襲ってこないことに、少女は恐る恐る目を開いた。
見渡す限りの青い空、それは自分が飛び降りた時睨んだものと変わらない。しかし、コンクリートや色々な建物が乱立していた見慣れた自宅周辺は、何故か一面の草原へと姿を変えていた。
首を傾げていた少女だが、脳裏にひとつの考えが浮かび、遠目に見えた池へと駆けた。
そっと覗き込んだ水面を見て、少女の顔に笑みが広がる。
そこには、少女がいつも空想していた【美少年】が嬉しそうな顔で映っていたからだ。

少女は立ち上がり草原を駆けた。今まで体験したこともないような身軽さで、思ったとおりに、空想の通りに体が動く。高い木の枝にだって、軽くジャンプするだけで乗ることができる。
嬉しくてどんどんと登っていく少女の目に、立派な鐘楼が飛び込んできて、はっきりと確信を得た。
少女は、理由や原因は全くわからないが、憧れていたアニメの世界へと来たのだ。
それが嬉しくて嬉しくて、少女は鐘楼が見えた方角へと足を進めた。
暫く歩いて、大きな門が見えてきて、その門の横に掛かっている看板を見て、少女は破顔しながらもひとつの決意を胸に抱く。

(私はここで生きていく。もうあの世界に帰れなくても構わない。未練もない。ここで皆と、一生楽しく暮らしていくんだ)

アニメで見た楽しそうな暮らし…その中に何度も溶け込ませた少女の空想人物。これから始まるであろう楽しい生活を思い描き、学園の門に手を触れた少女の耳に、突然、何度も聞いた声と台詞が飛び込んだ。

「そこの人〜!!学園に入るなら入門表にサインしてくださ〜い!!」

少女が驚きつつも嬉しそうに振り返ると、どどどど、と地響きのような音を響かせて『事務員の小松田さん』が走ってきているところだった。
彼の後ろには、ぞろぞろと列を成して歩いている色とりどりの装束が見える。

「すみません。編入希望なんですけれど、手続きはどこでしたらいいですか?」

「あ、編入希望なの?えっと、じゃあもうすぐ学園長先生が…」

少女が嬉しそうに問い掛けると、小松田さんも同じようににこにこと笑って入門表を引っ込めた。
徐々に到着した生徒たちに訝しげな視線を向けられたが、少女は見慣れたその顔に嬉しさを隠せない。
そして、生徒に混じっていた学園長を見つけると颯爽と歩み寄った。
ひくりと眉を動かした学園長の前に傅き、芝居が掛かったような仕草で恭しく頭を垂れる。

「初めまして、学園長先生。私は青龍院朱雀と申します。この度忍術学園に入学したく思い、馳せ参じました」

あっけにとられる生徒たちに囲まれて、少女は頭の中でもう何度も繰り返した台詞を告げる。
それを聞いた学園長はほんの少しだけ眉を顰めて、数人の先生と共に庵へ来るようにと言って正門をくぐって姿を消した。

後を追うように、先生に囲まれながら少女が案内されたところは、アニメでも良く見る庵だった。
そこで少女は空想の通り、編入希望であること、訳は明日詳しく話す事だけを告げて、必死に頭を下げた。
空想通り、とは行かなかったものの、何とか編入許可をもらえた少女は宛がわれた部屋で渡された忍装束に何とか着替え、これから始まる楽しい第二の人生に思いを馳せた。
この容姿なら馬鹿にされることもないし、身体能力も頭脳も申し分ない。空想通りの完璧な分身『青龍院朱雀』として、生きていこう。

「さよなら、【ウガハラスズコ】…」

小さく呟いて、青龍院朱雀は清々しく笑った。

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