断罪の刻

ニタニタと笑いながら、意味のわからないことを呟いている朱雀。
そんな彼の頬を、何かが通り過ぎた。
とす、と軽い音を立てて木の幹に刺さったそれは、瓢刀。

「…何を、笑っているんですか」

普段の温厚さは微塵も感じられない声が、長次の背後から聞こえた。続いて茂みから姿を現したのは、瓜二つの顔。そして、更に後ろには踏み鋤を抱えた泥だらけの姿の天才トラパー。
彼らの姿を捉えると、朱雀は尚更嬉しそうに笑った。

「…あは、あはは、仲良し双忍はいつでも一緒だね。喜八郎は、あぁ、滝夜叉丸の仕返しかな?ほら、やっぱりね、やっぱりそうじゃない」

くすくすと口元に手を当てて笑う朱雀の姿は、まるきり異質なもの。彼は思い切り仰け反ったと思ったら、がくりと体を前方に丸めて、ゆっくりと顔を上げた。

「やっぱりいらないのはあの女だよ。死んで当然だ」

朱雀の口から零れた言葉に、なりを潜めていた長次の怒りが瞬く間に燃え上がる。憎悪を込めて投げられた縄標は、朱雀の肩を貫く。
一度手元に手繰り寄せ、今度は彼の体を拘束するようにもう一度投げる。
身を翻したが片手を拘束されてしまった朱雀は、よろけながらも踏み止まり長次の引き寄せる力に抵抗した。

「…いらなくない…彼女は、澄姫は…私の大切な…」

歪む表情をそのままに長次が呟くと、今までにやにやと笑っていた朱雀の表情が一変した。

「違う!!長次が大切なのは小平太!!あんな女なんかじゃない!!伊作だって留三郎のために怒って、必死で看病してた!!文次郎だって大切な仙蔵を傷付けられて怒った!!なのになんで長次は小平太のためじゃなくてあの女のために動くの!?違うでしょ!!そうじゃないでしょ!!あんな女出てこないじゃない!!いらないじゃない!!」

そう喚き散らして、朱雀はがむしゃらに腕を振る。
そして、長次がバランスを崩した瞬間に縄標を外し、その場から駆け出した。

「っ逃がすかよ!!」

朱雀の豹変振りに驚きはしたが、三郎が慌てて瓢刀を構えたその時、黙ってじっと立っていた喜八郎が、珍しく懐から手裏剣を取り出し、朱雀の頭上に向かって打った。
ぶちりと何かが切れる音が聞こえ、続いてとすんと地面に何かが落ちる音。

「ぅあっ!!」

朱雀の悲鳴が聞こえ、ばき、しゅる、がこり、と立て続けに不穏な音が彼らの耳に飛び込んだ。

「さっきから勝手なこと言ってるけど」

ぱきり、と小枝を踏み潰し、喜八郎が一歩、また一歩と朱雀が駆けていった方向へ歩き始めながら小さく呟く。
その顔は相変わらずの無表情だし、声に抑揚は感じられない。しかし、纏う空気は禍々しく、彼が怒っていることが感じられる。
大きな木をよけ、少しだけ開けた場所に出ると、そこでは木の枝から宙吊りにされている朱雀と、彼の下に大きく開いた深い穴があった。
喜八郎はとことこと逆さ吊りの朱雀の傍まで歩き、穴の一歩手前で立ち止まって彼の顔に自らの顔をぐいと近付けた。

「意味、わかんない。どうして澄姫先輩が死んで当然なの?どうして滝と1年生に暴力振るったの?なんで食満先輩に大怪我させたの?なんで…

立花先輩 刺したの?」

不思議そうに首を傾げて問い掛けていた喜八郎は、最後の一言で珍しく顔を歪ませて、抱えていた踏み隙で思い切り朱雀の顔面を殴った。
悲鳴を上げた彼は両手で殴られた顔を押さえる。その手の隙間からぼたぼたと鮮血が滴り、大きな穴へと落ちていく。

「答えてよ。なんで?」

こてん、と首を傾げ、可愛らしく問い続ける喜八郎に薄ら寒いものを感じた朱雀は、ひっ、と小さな悲鳴を洩らした。

「だっ…だって、だって、あの女が皆侍らして…女王様みたいに振舞って…皆の仲を裂こうとするから…滝夜叉丸はあの女の弟だし、1年生は私のこと先輩じゃないなんて言って受け入れてくれないし、留三郎だって、仙蔵だって、私に、私に、」

「なにそれ」

先程の態度とは逆に、完全に怯えた顔でしどろもどろ話す朱雀に対して、喜八郎は冷たく言った。

「つまりただ単に自分が気に入らないから、思い通りにならないから、邪魔だからってあんなことしたの?」

その言葉で、小平太と長次は顔を見合わせる。学園長の庵で彼が言っていたのは、別に心ない言葉を投げかけられていたとか、自分たちの知らないところでひどいことをされていたとか、そんなことではなくて、完全に自己中心的な理由だったのだろうか。



「………もういい、帰る」

「くっだらねぇ…」

小平太と文次郎が、一気に興味が失せたとでも言わんばかりに踵を返した。それに続くように、雷蔵と三郎も溜息を吐いてくるりと背を向ける。

「自分勝手にも程があるよ」

「餓鬼以下だな」

吐き捨てるようにそう呟いて、学園に戻っていってしまった。
それを見送り、長次は再度朱雀を見る。完全に喜八郎に怯えている彼は、逆さ吊りにされているにも拘らず顔面蒼白で震えながら、まるで縋るような目で長次を見ていた。
普段の優しい彼ならば、間違いなく綾部を止めて朱雀を開放してやっただろう。もう二度と学園に近付かない、という約束は取り付けるだろうが、怯えきっている者にこれ以上の仕打ちなどしない。


だが、彼はゆっくりと朱雀に背を向けた。

「…綾部。私は学園長先生に報告しに行く。命じられた“青龍院朱雀に退学を通達し、学園から出て行かせた”と…」

「はい、わかりました」

「…大丈夫か?」

「はい。いずれは通る道ですから」

「………そうか…」

小さく喜八郎に語りかけ、まるで何かを確認するかのように、問い掛ける。そんな長次に、喜八郎は無表情のまましっかりと答えた。
それを聞いて一歩を踏み出した長次の背中に、朱雀の悲痛な声が刺さる。

「、ま、待って!!いやだ!!このままじゃ殺されちゃうよ!!助けて!!長次!!」

何かを察したのか、必死に縋りつくように助けを求める朱雀の言葉を聞いて、長次は振り返った。ホッとしたように緩んだ彼の顔。しかし、それは一瞬にして青褪める。
振り返った長次の瞳には、激しい怒りと憎悪が浮かんでいた。

「…ふ、ざけるな…嫌だ?助けて?…彼女には…澄姫には死んで当然だと言っておきながら、自分は死にたくないとでも言うのか?澄姫には生きる権利がなく、お前にはあるとでも言うのか!?」

激しい怒号に、朱雀の顔が悲しそうに歪む。初めて見る怒り狂った長次の姿を相変わらずの無表情で見つめていた喜八郎は、あーぁ、と大きな目を伏せた。

「おやまあ、本当、救いようもないね」

そう呆れながら呟き、近くにあった大きな岩を踏み鋤で叩いた。
かーん、という音が響いた直後、ぱん、という軽い発砲音が遠くから聞こえ、それとほぼ同時に朱雀を吊るしていた縄がぶちりと切れた。
彼は叫ぶ間もなく、重力に従い大きな穴へどさりと落ちる。

「おやまあ、三木ったら良い腕」

感心したように呟いて、喜八郎はひょいと穴を覗き込む。つられて長次も覗き込むと、その穴は相当深く、軽く見ても2丈はありそうだった。
しかも底にいくほど広がっており、相当の実力者でも道具がなければ這い上がることは不可能な構造になっている。

「い、いやだ!!出して、助けて!!何でもするから!!助けてぇ!!」

穴の中で反響して響く声。しかし、喜八郎と長次はくるりと穴に背を向けた。

「…………」

「そこから這い上がってこれたら、どこへでも行けばいい。ま、ちょっと難しいかもしれないけどね」

底冷えするような声でそう告げて、喜八郎と長次は学園に向けて歩き出した。
彼らの胸中に、もう朱雀の存在などない。

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