不可解な言葉

不穏な呟きを残して、朱雀は医務室を飛び出した。
彼の手には、真っ赤に染まった苦無。

騒ぎを聞きつけ集まった先生が飛び出した彼を捕らえ、新野先生は大慌てで怪我をした仙蔵の止血処置をする。
騒然とした医務室は血の臭いで溢れ返り、その中心では、小平太がぼんやりと佇んでいた。
そんな彼の頬を、ばしりと長次が打つ。

「…しっかりしろ。学園長の庵へ行くぞ…ここに居ては邪魔だ」

「あ…あぁ…」

そう言われ、ハッとした小平太は医務室の惨状を見渡す。
壁のあちこちに傷ができ、床には血だまり。床に凭れ掛かるように気を失っている留三郎に、新野先生に止血処置を受けている仙蔵、そして、血塗れの手拭を腹に乗せたままの澄姫。
出入り口では震える井桁を宥める先生たち。
唐突に脳裏に蘇った、彼の言葉。

『−こんな世界、全部ぶっ壊してやる−』

彼の言う“世界”というものが、この学園だとしたら…
そこまで考えて、小平太の瞳孔がぎゅっと縮まる。まるで威嚇するように犬歯を剥き出して、激しい怒りそのままに低く唸る。

「そんなこと、させるか」

そうして、急いで踵を返して彼は学園長の庵を目指した。

そんな小平太を横目で見送り、長次は邪魔にならないようにそろりと部屋を進む。
しゃがみこんだその先には、痛々しい怪我が目立つ澄姫。普段から色白だが、更に真っ白な顔色をしている。その美しい顔も左半分が赤黒く腫れあがり、彼女が今鏡を見たら卒倒してしまうだろう。
視線を下げて、彼女の豊満な胸…その更に下、抱くたびに毎回折れそうだと思う細い腹には、血に汚れた手拭。
脳裏に浮かんだ不吉な言葉を、長次は頭を振って散らした。
あの男の血に汚れていない右手で、そっと彼女の右頬に触れる。ぞっとするほど冷たい体温に自分の体温を分け与えるように、そっとそっと摩る。

「………」

普段の澄姫なら、彼が触れるだけで幸せそうに頬を染めて笑うだろう。しかし、無反応の彼女に長次は目頭が熱くなるのを感じた。
そして同時に湧き上がる、あの男への激しい殺意。
友人である留三郎に大怪我を負わせ、大切な大切な澄姫にも大怪我を負わせた挙句に暴行未遂。果てにはまだ小さい一年生たちに暴力を振るい、今しがた自分の目の前であんなに仲良くしていた仙蔵に躊躇いなく苦無を突き刺した。
ぐるぐると体を巡る憎悪。
彼女の頬に触れていた手を離し、彼もまた学園長の庵へと歩き出す。

「長、次………?」

すれ違いざまに医務室へと水を張った桶を持った伊作が戻ってきて、友人の名を呼び、硬直した。
普段は伊作と同じように温和な長次の瞳には、冷たい冷たい憎悪の色しか伺えなかった。





−−−−−−−−−−−−−−−−
長次が学園長の庵に着くと、そこでは数人の教師に囲まれて朱雀が学園長と対峙していた。その光景を黙って見ている小平太の隣に立ち、彼もまた朱雀に視線を向ける。
深緑色の忍装束を赤黒い血で染めた朱雀は、先程とは違い大人しく正座したまま、ぼうっと俯いている。

「…のう、朱雀。お主何故こんなことをしたんじゃ…短い期間とはいえ共に学んだ友人に怪我を負わせるなど…」

沈黙の中、学園長が悲しそうに問い掛ける。
ぎゅっと口を噤んだまま、朱雀は小さく肩を震わせた。ゆっくりと顔を上げて、彼はその整った顔を歪ませる。
しかし、それは友人たちや後輩を傷付けてしまったという後悔からの表情などではなく。

「…あんたたち大人はいつもそう。可愛がっているほうを信じて、目立っているほうを優先して…」

歯軋りをしながら、朱雀は憎憎しげに呟く。

「私“も”仲良くなれると思ったのに…“ここ”ならいじめられないと思ったのに…せっかく強く綺麗になったのに結局何も変わらない!!どこに行ったって、何一つ変わらない!!どうしていつも私ばっかりがこんな目に遭うの!?どうして私の思い通りにならないの!!思い通りにならないならいらない!!全部全部いらない!!」

彼はそう叫ぶと、渾身の力で傍にいた教師を突き飛ばし、庵の外へと飛び出した。

「待て!!」

朱雀の言葉に全員が茫然としていたが、いち早く小平太が彼を追って庵を飛び出す。
突き飛ばされた教師…土井半助が、彼に押されたところに触れながら、首を傾げた。

「…彼は、一体何を言っていたんだ?」

その言葉に、長次も同じように首を傾げる。“仲良くなれると思った”“いじめられないと思った”…そう、言っていた。
しかし、彼は編入初日から伊作や留三郎と、1年は組に囲まれて昼食を取っていたと長次は澄姫から聞いていた。その後も、特に授業で小平太と手合わせをしてから彼は一躍有名になり、尊敬の眼差しを向けられていたはずだ。
苦手だという女性…澄姫とも、相談事とかで一緒にいるところをよく見ていた。それは、彼が理由を聞かされていても嫉妬するほどに。
確かに一部では妙な噂が流れていたが、それはどちらかと言えば澄姫に対しての悪口だったと記憶している。
それとも、ただ単に彼の知らないところで、誰かに何かを言われたのだろうか?

そこまで考えたが、長次はふるりと首を振った。

例えそうだとしても、心ない言葉を投げられたのだとしても、彼のしたことは明らかに度が過ぎている。到底許されることではない。

ふと深い溜息が聞こえ、長次が視線を向けると、彼の隣にいつの間にか学園長が立っていた。

「…残念じゃ」

そのたった一言を聞き、長次は小さく頷き小平太の気配を追って庵を出た。

“残念”…それは、最後まで彼が一言も謝らなかったこと。そして、せっかく学園の仲間として迎え入れた彼に、これから危害が加えられること。
走りながら、長次はこれから何が起こるのか、うっすらと理解していた。彼もまた、朱雀をどうしても許せないうちの一人なのだから。





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正門を出てすぐ、裏山のほうから慣れた殺気を感じて、長次は茂みを掻き分けて走る。
学園からそう離れていない場所に、彼はいた。微かに血の臭いを漂わせていたから、あっけなく小平太に見つかってしまったのだろう。
気配を消さずに、更に足音を立てて現れた長次を一瞬だけ見て、2人は睨み合いを続ける。

突如長次の背後から聞こえた小枝を踏み割る音で、小平太と朱雀は同時に地を蹴った。
長次に負わされた怪我がある分朱雀の動きは悪いが、それでも小平太の攻撃を何とかかわしている。
しかし着地の瞬間足に痛みを感じたのか、一瞬だけ朱雀の動きが止まった。小平太がそれを見逃すはずもなく、彼の体は大きく蹴り飛ばされる。

「立て。まだ許さん」

地面に倒れた朱雀に、小平太の冷たい声が投げ掛けられる。普段の人懐こい姿はなりを潜め、射抜くようなその鋭い瞳は怒りだけを浮かべていた。
そんな小平太の姿を目の当たりにしながらも、無表情で立ち上がった朱雀の瞳を見て長次は少し驚く。
そんな彼の背後から、ひとつの影が躍り出た。
影が突き出した獲物を紙一重でかわし、朱雀は一度後ろに飛んで距離を取る。

「そこは俺の間合いだ、バカタレ」

影はそう呟いて、袋槍をぶんと振った。矛先は見事に朱雀の左太股を貫く。
しかし彼は悲鳴すら上げず、真っ黒な目で影を見てニタリと笑った。

「仙蔵の仕返しにきたの?君等も大概夫婦だよね」

「あァ?何馬鹿なことほざいてやがる」

「長次も小平太が心配で駆けつけてきたんだよね?」

そう言って、朱雀はくたりと首を傾げて長次に視線を向ける。そのあまりに暗い瞳に、長次は眉を潜めた。

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