絶望の医務室

学園長の一言で硬直していた上級生たちだったが、斉藤タカ丸がハッとして思わず叫ぶ。

「はっ、排除って…!!」

「…何も殺せといっているわけではない。わしはのぅ、謝罪の言葉がひとつでも欲しかったんじゃ。だが…あやつの目は淀んでおる。次は恐らく怪我などではすまん事が起こるじゃろう。編入当初はあんな目はしとらんかった…いや、このわしにもわからんほど隠しておったのかもしれん。しかし、理由はどうあれ“あんなこと”を口走るような輩をこの学園に置いておくわけにはいかん」

そう悲しそうに呟いた学園長は、タカ丸に向けていた視線をふと動かした。

「6年い組、立花仙蔵。6年ろ組、七松小平太、中在家長次。お主らに、青龍院朱雀の排除を命ずる。これから書く書状を持って、退学を通達せよ。聞き入れない場合…実力行使を許可する」

学園長の言葉に、静かに頷く3人。
黙りこくってしまった上級生たちに、学園長は向き直り頭を下げた。

「すまんかった…これは、あの者の素性もしっかり判明させぬまま編入を許可してしまったわしの失態じゃ。特に滝夜叉丸には多大な心労をかけてしまったの…誠に申し訳ない…」

「学園長先生…」

そんな学園長の姿を見て、ぐっと唇を噛み締め俯く滝夜叉丸。

「皆も、一度は友人として共に学んだ者にこの通告、複雑な思いを抱くかもしれん。しかし、この学園に通うもの皆が持つ“立派な忍者になりたい”という気持ちをあやつは持っておらなんだ。いや、持っておったかもしれん、しかしそれは歪んでしまったようじゃ。わしとて辛いが…許しておくれ」

辛そうにそう語る学園長に、上級生全員が悲しそうに目を伏せる。
暫くの沈黙の後、誰からともなく庵から退室し、話は改めて、と仙蔵に言われ自室へと戻っていった。



−−−−−−−−−−−−−−−−
翌日、学園長から書状を受け取った仙蔵は、一度だけぐっと眉を寄せてから、いつもの涼しげな表情で朱雀の部屋を訪れた。
しかし、いくら呼びかけても返事がない。
おかしいと思った仙蔵が扉を開けると、そこに朱雀の姿はなかった。
そして、それと同時に耳を劈くような悲鳴が学園中に轟く。
一瞬驚いたが、なんだか嫌な予感がして仙蔵は声のほうへと駆け出した。

悲鳴が聞こえたのは医務室。仙蔵が扉を開けると、入り口付近であちこち怪我をした井桁が固まって震えていた。

「なにごとだ!!」

「立花先輩!!澄姫先輩が、澄姫先輩がぁぁ!!」

悲鳴のようなその言葉に混じった名前に、仙蔵は項の毛が逆立つように感じた。大急ぎで奥の部屋の扉を開けると、そこには必死に苦無で攻撃を受け止める伊作の姿と、そんな彼を今にも貫かんばかりに全力で襲い掛かっている朱雀。
そして、鼻に突く血の臭いを辿ってみれば、壁際にぼろぼろの体で必死に澄姫を庇う留三郎。
彼に庇われている澄姫は、腹からだくだくと鮮血を滴らせている。

「きっ、さまァァアア!!!」

その光景に仙蔵は声を荒げ、苦無を構えて朱雀に蹴りかかった。一瞬だけ反応が遅れた朱雀は壁にめり込むほどの勢いで飛ばされ、動けるようになった伊作が一目散に澄姫に駆け寄る。

「体力も戻ってないのにこんな深い傷…!!」

絶望交じりの伊作の呟き。更には必死に澄姫を庇っていた留三郎も動いたせいで傷が開いたのだろうか、激しく咳き込み脇腹を押さえて倒れこんでしまった。

「留三郎!!しっかりして、留さん!!!」

手元にあった手拭で澄姫の腹の傷を押さえながら、悲痛な声で呼びかける。しかし、留三郎は力なく呻くだけであった。
地獄絵図のようになってしまった医務室に、騒ぎを聞きつけた新野先生と小平太、長次が駆けつけて、さっと青褪める。

「平さん!!すぐに止血を…」

そう言って駆け寄ろうとした新野先生を、仙蔵の攻撃から起き上がった朱雀が物凄い速さで突き飛ばす。

「……さ…せない…」

そう唸り、新野先生に苦無を突きつけようとした朱雀の右手から、突然鮮血が迸った。
突然の出来事にきょとりとしている朱雀が自身の右手を見ると、そこには一本の縄が通っていた。遅れてやってきた激しい痛みに蹲ると、それを許さないとでも言わんばかりに物凄い力で顔面を覆われた。
そしてそのまま、彼は先程ぶつかった壁に再度叩きつけられる。
いつの間にやら右手からは縄が消えており、全く状況が判断できない朱雀はただ呻くばかり。
その隙に、新野先生は澄姫と留三郎に駆け寄りすぐさま処置を始めた。
漂ってきた薬の臭いに反応してか朱雀はじたじたと暴れ出すが、壁から離れることが出来ない。
もがきにもがいてやっと出来た隙間から目だけを動かすと、正面に見えたのは完全に瞳孔が開ききっている小平太の顔だった。
そして、ひゅんひゅんと言う風を切る音に続き、どかりどかりと重い音。小平太によって壁に固定されている朱雀の手足に、鈍い痛みが走る。

「ンぐ!!!」

顔全体を掌によって覆われているので、漏れたのはくぐもった呻き声だけだった。
すると、小平太の隣にすっと現れた仙蔵が、一枚の紙を朱雀に突きつける。

「青龍院朱雀。学園長先生に代わり、貴様に退学を通告する」

その一言で、朱雀の全身から力が抜けた。
小平太がようやっと手を離すと、彼の体は壁を伝いずるずると床にくずおれる。長次の縄標によって血塗れになった両手で、顔を覆い、大きな溜息を吐いた。

「あーあ………もう台無しよ」

そう呟いて立ち上がり、ふらりと一歩踏み出した。しかし、ぐらりと傾いた体は近くに立っていた仙蔵にぶつかる。
そんなふらふらな彼を学園長のもとへ連れて行こうと小平太が肩を掴むと、ふと表情を強張らせている仙蔵が視界に入った。

「仙蔵?」

首を傾げて小平太がそう呼びかけると、彼の整った顔が歪み、ごぷ、と口から鮮血が溢れ出す。
次の瞬間、まるで人形のようにばたりと倒れた仙蔵の腹から、夥しい量の血液が床にどんどんと広がっていく。

「…あ…?」

突然のことで頭が真っ白になった小平太が茫然と倒れた仙蔵を見ていると、彼の腹から溢れた血だまりにぽたぽたと落ちる同じ赤。
その元を視線で追うと、朱雀の手に握られた苦無が彼の目に入った。
そのままゆるゆると顔を上げ、朱雀と目が合う。
彼はゆっくりと、楽しそうに笑ってこう言った。



「こんな世界、全部ぶっ壊してやる」


[ 74/253 ]

[*prev] [next#]