仮面を奪う小さな手

普段ならばどの教室でも授業が行われている昼前の時間帯。
しかし教鞭を振るう教師の姿はどの教室でも見られない。

いつも厳しくも優しく、暖かく生徒たちを見守る黒い忍装束の教師たちは、搬送を手伝ってくれた委員会の委員長たちを教室に帰し、各々担当している学年の学級委員長に自習を言い渡して、医務室でその瞳を悲しそうに伏せていた。
その中でも特に憔悴しきった顔をしているのは、学園の校舎裏で暴行を受け倒れていた1年は組の担任、そして、発見者の土井半助。

てきぱきと手当てをしていく校医の新野先生の背中をずっと見つめ、新野先生が移動するたび痛々しく顔を歪めている。
そんな半助の肩を、伝蔵がぽんと軽く叩く。
ゆるゆると視線を上げた半助の虚ろな瞳に、厳しい顔をした伝蔵が映っていた。

「半助、我々はこれから学園長の庵で話をしてくる。あんたはここでこの子達を見ていて、誰か1人でも気が付いたら私を呼びなさい。話を聞かなければならんからな」

「山田、先生…」

いいね、といつもは吊り上った目をやんわりと細めて、伝蔵は他の教員と共に医務室を出て行った。
そんな伝蔵の気遣いに、半助は内心お礼を述べながらも、またくるりと視線を子供たちに戻した。
あっという間に人が減った医務室で。
しばらくすると、新野先生が黙って処置を続けていた手を止めた。

「う、うぅん…」

と同時に、まだ声変わり前の幼い呻き声が医務室に響いた。

「きり丸!!」

思いのほか大きく響いてしまった悲鳴を、新野先生は咎めはしなかった。
半助は足が縺れんばかりに大慌てで、目を覚ましたらしい大事な大事な生徒に駆け寄る。

「気が付いたのか!?大丈夫か!?どこかひどく痛むところはないか!?一体何があったんだ!?」

「土井先生、落ち着いてください」

矢継ぎ早に問い掛ける半助を今度こそ新野先生が窘め、体を起こそうとしているきり丸をそっと布団に押し戻す。

「土井、先生…新野先生…ここ、は…?」

「医務室ですよ。気分はどうですか?どこか酷く痛む場所はありますか?」

優しく問いかける新野先生に、きり丸は首を横に振った。

「背中と腹は痛いけど、大丈夫です」

案外しっかりとしたその返答に、新野先生はにっこり笑って頷き、半助は胸を撫で下ろした。
油断すれば涙が浮かんでしまいそうな半助を、きり丸が猫のような目でじっと見つめる。

「土井先生、そのほっぺた…」

「頬…?あ、あぁ、これは…」

純粋な濃紺の瞳で見つめられ、静かに問い掛けられた内容に、半助は答えるべきか一瞬戸惑う。
それは羞恥などではなく。人一倍感情に敏感なきり丸にあの時の焦燥っぷりを伝えてしまえば、この子はきっと悲しそうに瞳を伏せてこう言うだろう。

「心配、掛けてすみません…」

色々と頭の中で考えて、出てきた結論。しかしそれとほぼ同時に、きり丸は今しがた半助が想像した顔で、予測通りの言葉を呟いた。
甘えたい盛りの幼い頃に、甘えられる存在を亡くしてしまったこの子は、人に甘える、ということが極端に下手で。
まだまだ子供なのだから、痛かった、怖かったと、そう泣けばいいものを、ぐっと堪えてしまう。
半助は片手で自らの瞳を覆い隠し、必死に口を歪ませて、小さく呟いた。

「本当だよ…まったく、…無事で、よかった…ッ!!」

その言葉に、きり丸の顔がどんどん歪んでいき、その大きな瞳からぼろぼろと涙が零れ始める。

「先生…先生…っ、おれ、ひっく、おれ、すごく痛かったっ、怖、かったよぉ…!!」

「よしよし、もう大丈夫だ。大丈夫。きり丸、何があったか、話せるな?」

傷まるけの細い腕で顔を覆い隠し、小さく震えながら泣きじゃくり始めたきり丸の頭を優しく撫でてやりながら、問い掛けにしっかりと頷いた姿を見て、半助は一度大きく深呼吸をした。

「いい子だ。山田先生を呼んでくるから、待っていなさい」

そうきり丸に言い聞かせ、医務室を出た半助は学園長の庵へと全力で駆けて行った。



−−−−−−−−−−−−−−−−
一方その頃。
学園長の庵では渋い顔をした学園長、大川平次渦正の目の前に、神妙な顔で正座している教師たちの姿があった。

「…ここ数日で、怪我人…しかも重傷者が13人とは、のぉ…」

いつもは飄々としている学園長も、さすがに眉を顰めて眼光鋭く畳を睨みつけている。その隣で、ヘムヘムが悲しそうに丸くなっていた。

「学園長先生、のんびりしている場合ではないですぞ!!6年生の2人はともかく、まだ小さい1年生にあんな大怪我をさせるなど言語道断!!」

木下先生が怖い顔を更に怖くしてそう怒鳴る。その言葉に、庵にいる教師全員が頷いた。

「先日の見回りで不審な者は見かけなかったですし、ひょっとして…」

最悪の事態を小さく呟きかけた日向先生を、学園長は鋭く制した。

「憶測でそんなことを言うもんではない。とにかくまずは怪我をした生徒に話を聞いてから…」

そこまで喋ったところで、庵の外から土井先生の声が飛び込んだ。

「失礼します、学園長先生。1年は組摂津のきり丸が目を覚ましました」

扉越しに聞こえた朗報に、教師たちがホッと安堵の息を吐いた。

「そうか、それはよかった…伝蔵、半助と共に医務室へ」

「はい」

学園長もまた顰めていた眉を下げ、山田先生にそう告げて退室を促す。
一目散に医務室へ戻っていく半助と伝蔵を見送り、庵に残っている教師に向かってひとつ頷いてから口を開いた。

「今後の対応は半助と伝蔵が戻り次第じゃ。今は不安そうに待っている生徒たちのところへ行きなさい。特に1年生は動揺しているようじゃから、はよう安心させてやらねばのう」

学園長のその言葉で、安藤先生と斜堂先生は大慌てで自分たちが受け持つ教室へと走っていった。

「…それと、な。木下先生、んー…そうじゃのぉ、久々知兵助をよこしてくれんかの?」

「は、久々知ですか?…わかりました」

そして、庵を出ようとしていた木下先生にそう呟くと、頼んだぞ、と学園長は庵の奥へと戻っていった。


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