砕かれた正義

(ねぇ、聞いた?澄姫先輩、昨晩大怪我したらしいよ)

(聞いた聞いた!!あの6年に編入した先輩がやったとか…)

(えー、怖い!!一体なんでそんなこと…)

(俺も聞いた、食満先輩もあの先輩にやられたって)

(本当!?)

(本当。だって見たって1年生がいたもん)

食堂で朝食を取っていた朱雀の耳に、そんな声がかすかに届いた。
ガチャンと乱雑に食器を置き、朱雀は足早に食堂を出る。
彼の顔に浮かぶのは、焦燥。

「(見られてた!?1年生に!?一体誰!?)」

自分に向けられる疑惑の視線…恐らくこの噂を聞きつけた先生が、自分のところに事情を聞きに来るだろう…どうしよう、早急に手を打たなくては…そう考えて廊下の角を曲がると、井桁が三つ並んでこちらを見ていた。
無視して通り過ぎようとした朱雀だったが、ついと装束を引かれて視線を向ける。
すると、俯いた井桁のひとつが恐る恐る話しかけてきた。

「あの、私、1年は組の猪名寺乱太郎です。ちょっとお話、いいですか?」

柔らかそうな赤毛を揺らして、恐々と、でもしっかりとした瞳でそう言われ、朱雀は内心ほくそ笑んだ。

「いいよ、でもここだと人が多いから、ちょっと場所を変えようか」

にっこりと笑顔でそう言って、三つの井桁を連れて校舎の裏へと向かった。



−−−−−−−−−−−−
「で、話って何かな?あ、ひょっとして噂のこと?」

俯いたままの井桁に痺れを切らして、朱雀からそう問いかけてやると、三つの井桁は目に見えてびくりと大袈裟に肩を揺らした。

「あの、あの、私たち、昨日かくれんぼしてて…そしたら、たまたま見ちゃったんです…先輩が食満先輩を…」

小さな声でそう呟いた乱太郎に続き、しんべヱもおずおずと話し出した。

「あの、僕は昨日の夜…おトイレに起きて…そしたら澄姫先輩と先輩が喧嘩してるとこで…こ、怖くなっちゃって…」

そこまで聞いてグスグスと泣き出したしんべヱに、朱雀は苛々した感情を隠せなくなってきていた。
まさか、一番厄介なこの三人組に見られていたとは…一体どうしたものかと思ったが、朱雀の脳裏に一瞬で答えが浮かぶ。

−滝夜叉丸のように、殴って脅せば黙るって−

まるで悪魔が囁くように、心にすとんと落ちるそれ。
その言葉のまま、朱雀はしんべヱのふくふくなほっぺを殴り飛ばした。

「しんべヱ!!」

「うわぁぁん!!痛い、痛いよぉぉ!!」

「しんべヱに何すんだよ!!このぉ!!」

驚いた乱太郎が泣き喚くしんべヱに駆け寄り、きり丸が朱雀に飛び掛る。
しかし、力も弱く体も小さい1年生が太刀打ちできるわけもなく、きり丸も同じように頬を殴り飛ばされて地面に倒れこんだ。

「きり丸!!」

「ひぐっ…きり丸に何てことするんだぁ〜!!」

気を失ったのか動かない友人に顔面蒼白で駆け寄る乱太郎、その隣で泣きじゃくっていたしんべヱが、きり丸の姿を見て渾身の力で朱雀に体当たりを食らわした。
見た目に反して威力のあったそれに一瞬バランスを崩すも、すぐ体勢を立て直した朱雀に蹴り飛ばされる。
きり丸の隣まで吹き飛ばされて、同じように動かなくなってしまったしんべヱに乱太郎はがくがくと震える手を伸ばした。

「黙ってろよ」

その時耳に飛び込んだその言葉に、乱太郎の手が止まる。

「いい子に黙ってたら、痛いことしないからさ」

そう言ってぐちゃりと笑う朱雀に、乱太郎は叫んだ。

「ふ…ふざけんな!!お前なんか先輩じゃない!!こんな酷いことする奴絶対に許さない!!学園長先生に抗議して編入取り消してやる!!」

涙を流しながらそう叫ぶ乱太郎に、朱雀は溜息をひとつ零して残念だ、と呟いた。そして、ひゅっと手を振り上げる。
殴られる、そう覚悟しぎゅっと目を閉じて来るべき衝撃に備えた乱太郎だったが、痛みを感じないままばちん、と激しい音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、目の前には自分と同じ井桁が三つ。

「団蔵、金吾、虎若…」

見慣れたは組力自慢三人組の後姿にそう呟けば、ぐいと腕を引かれた。
驚いて振り向くと、そこには頼れる学級委員長、庄左ヱ門が真剣な顔で立っていた。

「乱太郎、早く!!こっち!!」

「庄左ヱ門…!!」

立ち上がるついでにくるりと周囲を見渡すと、倒れていたきり丸は三治郎と兵太夫が、しんべヱは喜三太と伊助がそれぞれ必死に担ぎ上げ、朱雀から距離を取ろうと必死に歩いていた。

「み、みんな…」

「泣くのは後!!早く逃げよう!!」

庄左ヱ門がそう叫んで乱太郎の手を引くと、その脇を物凄い勢いで虎若が転がっていった。

「虎若!!」

「いってて…さすが腐っても6年生…」

慌てて2人が駆け寄ると、虎若はそう唸ってがくりと倒れた。
そして続くように聞こえた叫び声と共に、団蔵と金吾も同じようにゴロゴロと転がされぱたりと動かなくなる。

「あーぁ、可哀想」

地面を踏みしめる音と共に聞こえた呟きに、乱太郎の目に再び涙が浮かぶ。庄左ヱ門もガタガタと震え、それでも必死に乱太郎の手を引いて逃げようとしていた。

「助けになんか来るから、全員痛い思いするんだよ」





−−−−−−−−−−−−−−−
カーン、と甲高い鐘の音で、授業開始が告げられた。
しかし出席率花丸と名高い1年は組の教室は、もぬけの殻。

「よーし、今日も元気にお勉強…って、誰も…いない?」

1年は組の教科担当である土井半助が教室を訪れると同時に目を点にする。
首を傾げて黒板を叩いても、天井を突いても、元気な笑顔は一つも現れない。
妙な胸騒ぎがして、半助は出席簿とチョークケースを放り職員室へ急いで戻り、同じく1年は組の実技担当である山田伝蔵と共によい子達を探しに出た。

「隠れることはあっても、サボるなんてありえません!!なんだか嫌な予感がします!!」

「確かに。私は長屋のほうを見てくるから、半助は校舎の方を!!」

そう言って二手に分かれ、半助は校舎の周りをぐるりと回った。
すると、丁度日陰の一角、あまり人目につかない場所に、目に馴染んだ井桁を見た気がして、駆け寄った。

「お前たち、授業始まってるぞ!!一体何し、て…」

見付かった安心感から口をついで出た言葉は、途中で音をなさなくなった。
あちこちに倒れている、まだ小さな子供たち。
その井桁模様の装束は砂埃で汚れ、顔には涙の痕。
酷い者は柔らかい頬が痛々しく腫れあがり、鼻血が出ている子もいる。
可愛い可愛い自分の生徒たちの、あまりにも残酷なその姿と凄惨な光景に、半助は喉を引き攣らせて思わずがりりと頬に爪を立てた。

「や、まだ、先生ぇぇぇぇえええ!!!」

完全に取り乱した半助のその叫びを聞いて、駆けつけた伝蔵も凍りついた。
無邪気に笑って、いつも騒動を呼び込んでくる、それでも絶対に憎めない可愛い1年は組のよい子達…変わり果てたその姿に、膝から力が抜ける。
がっくりと膝をついてしまった半助に、何とか気を持った伝蔵が怒鳴る。

「半助!!医務室に運ぶぞ!!急げ!!」

「あ…!!」

その激励にハッとした半助も、三治郎と喜三太をしっかりと抱えてしんベエを抱いた伝蔵の後を追った。
いつの間にか集まった生徒の中から飛び出した各委員会委員長と委員長代理も、それぞれ後輩を抱きかかえて医務室へと駆け出した。

「乱太郎!!乱太郎!!」

「金吾!!しっかりしろ金吾!!」

「大丈夫か兵太夫!!」

「団蔵!!ックソ!!」

「きり丸…」

「おい伊助!!」

「すぐ医務室連れてってやるからな、虎若!!」

「庄左ヱ門!!聞こえるか!!」

各々が声を張り上げて、後輩たちに呼びかける。
突然のことに怯えている下級生や、何かを睨みつけるような鋭い視線の4年生。
騒然としているその場に、青龍院朱雀の姿はなかった。


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