目に見えない悪意

招かれた朱雀の部屋に、澄姫の冷ややかな声が落ちる。
暫くして、その問い掛けに額を押さえていた朱雀が不気味に笑い始めた。

「なんだ、ばれてた?」

掌で顔を覆い、指の隙間から覗いた瞳は狂気に歪んでいた。
ゾクリと背筋を悪寒が駆け抜けたが、澄姫はフンと鼻を鳴らした。

「当然でしょう?私は学園一優秀な生徒よ?馬鹿にしないで頂戴」

そして自信満々にそう言い放つが、朱雀は笑うのを止めない。

「学園一優秀、ね…そんな優秀な君が、何か裏があるとわかっていながら男の部屋にのこのこ入るなんて…ひょっとして特攻?それとも切り込み隊長?」

「トッ、コウ?キリコ、?」

くつくつといやらしく笑う朱雀の口から零れた耳慣れない言葉に首を傾げていると、彼はそうか、と小さく呟いて、素早く彼女に手を伸ばした。
しかしそんなことは彼女も予測済だったようで、さっとその手をかわすと踵を返し部屋から飛び出した。
彼女を追って飛び出した朱雀が、楽しそうに問いかける。

「追いかけっこがしたいの?困ったお姫様だなぁ」

まるっきり棒読みの朱雀の言葉を聞いて、澄姫は顔を顰めた。身軽さには自信があったが、朱雀の瞬発力が思った以上に凄く、じりじりと距離を詰められているのを背後で感じる。

夜の闇に紛れ、学園を飛び出し裏山に逃げれば勝機はいくらでも見出せる…そう思った澄姫の体が突然がくりと後ろに引かれた。

「あぐっ!!」

後頭部に感じた衝撃でバランスを崩した彼女の体は運悪く塀から地面に叩きつけられた。
痛みに顔を顰めながらも体勢を立て直そうとした彼女の顔に、はらはらと何かが掛かる。
肌触りのいいそれは、数本の彼女の髪の毛だった。

「捕まえた」

それに意識をとられたほんのわずかな隙に、彼女の体に襲い掛かる圧迫感。
にやにやと哂う朱雀が、彼女の体に圧し掛かっていた。

「髪、長いのも考え物だね」

朱雀はそう言って、まだ数本彼の指に絡み付いている澄姫の髪の毛を忌々しげに取り去る。
そっと彼女が周囲を伺うと、そこはまだ学園の敷地内…しかし幸いなことに長屋や校舎からは離れた池の傍だった。

何とか朱雀の拘束を振り払おうと必死にもがく澄姫だったが、思いのほか強い彼の力に締め付けられた手首が先に悲鳴を上げてしまい小さく呻いた。

「ぐっ…何故、こんなことを!?一体何が目的なの!?」

抵抗の合間にそう問いかけると、朱雀は実につまらなそうに溜息を吐いた。

「あーぁ、やだやだ。そーゆーのほんと嫌い。自意識過剰ウザイよ」

がらりと変わった朱雀の口調に、澄姫は目を見開く。
そしてぐらりと揺れた視界に、一瞬思考が止まる。

「あ?殴られないとでも思ったの?」

朱雀のその言葉で、彼女は自分が殴られたことを理解した。
続けざま渾身の力で顔や腕、腹など全身至るところを殴られる。

「っがは…けほ、けほ…」

髪を掴まれ、彼と地面の間に挟まれながらの打撃は、力を逃がす場所がなくすべて彼女の体の中に響く。
ぐわんぐわんと揺れる視界と、激しい耳鳴り。口の中に滲む血の味が不快で仕方ない。

「邪魔なんだよ、お前なんか知らない、いなくていい!!」

癇癪でも起こしたように、朱雀はそう叫びながらも彼女を殴る。
ぐったりとしてしまった澄姫が虚ろな目で彼を見ると、彼は哂った。

「姉上には、手を出さないでくださいってさ」

その言葉で、沈みかけていた彼女の意識が急速に浮上する。
生気が戻りかけた瞳を見て、朱雀は楽しそうに喋り続けた。

「どんだけシスコンだよって話。黙って耐えてさ、自己犠牲が美学とか思ってんの?馬鹿みたい!!あんたもあんたよ!!その顔で、その体で、仙蔵たち誑かしたんでしょ!!ハーレムみたいに侍らして、馬鹿みたい!!あーやだ、嫌、いや、いやぁぁーーーー!!!」

笑っていた朱雀の顔が徐々に歪み、憎憎しげにそう叫ぶと彼女の髪を掴んでいた手を離した。
重力に従って地面に叩きつけられた澄姫の後頭部が、じわりと暖かくなる。
衝撃で再度ぼんやりしてきた彼女の耳に、恐れていた言葉が飛び込んだ。

「…ははっ、ホント、男って便利…悪く思わないでね」

霞がかる頭で必死に思考を巡らせる、より早く、下腹部に当たる何かに気が付いた。

「ひっ…や…っ!!」

上手く動かない手足をばたつかせ、必死に暴れるも、朱雀はまるっきり無視で彼女の装束の帯を解いた。
乱雑に捲られたインナーの下のさらしが、ブチブチと音を立てて引きちぎられる。

「いやっ!!いや!!離せ!!私に触れるな!!やめろぉ!!!」

ぶんぶんと振り回した澄姫の腕が朱雀の頬に当たり、怯んだかと思われたが、お返しとばかりに頬を殴られた。

「暴れんな、めんどい」

温度すら感じない彼の一言に、彼女を絶望が襲う。
下半身が外気に晒される感覚で彼女が目を見開いたその瞬間、朱雀の体が勢いよく吹っ飛んだ。
重みが消えた彼女の体に、ばさばさと8枚の装束が掛けられる。

「学園内で強姦紛いとは、いい趣味だな朱雀」

耳鳴りの中彼女の耳に聞こえたその声は仙蔵のもので、酷く怒りを含んでいた。
酷く痛みあちこち軋む体を何とか起こそうとした彼女の背に、そっと腕が触れる。
何とか首を回してその腕を辿れば、そこには顔を歪めた伊作。

「随分探したよ。遅くなってごめん、澄姫」

「い、さく…」

大丈夫だと、安心させてやりたくて彼の名前を呼んだら、口からぼたりと何かが溢れた。

「澄姫を医務室へ」

薄れゆく意識の中で愛しい声を聞いて、彼女は安心感からかくたりと意識を失った。
そんな彼女を抱え上げ、伊作は医務室へと駆け出す。
その後を久々知兵助が手伝いのために追っていった。

彼の背中を見送って、長次はぎっと目の前に蹲る男を睨みつける。
彼を筆頭に、中着姿の仙蔵、文次郎、小平太、八左ヱ門、雷蔵、三郎、勘右衛門がぐるりと朱雀を取り囲んだ。

「彼女に何の恨みがあってこんなことをした」

「ぶっ殺す」

「冗談じゃ済まされませんよ」

「食満先輩のこともね」

長次、小平太、雷蔵、勘右衛門が強い口調で朱雀を攻め立てる。
しかし、体を起こした朱雀は何故かへらへらと笑っていた。

「何笑ってんだ!!」

彼の表情に激怒した文次郎が、胸倉を掴み上げて怒鳴る。
すると、その手をばしりと払いのけて、朱雀は飄々と呟いた。

「あの女から、誘ってきたんだ」

その言葉に全員が唖然としたが、八左ヱ門が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「馬鹿いうな!!澄姫先輩はそんな人じゃねぇ!!大体嫌がってたじゃねーかよ!!」

「ね?自分から誘ってきたのに嫌がられて、危うく俺は強姦魔だ。女ってあざといね、もう少しで嵌められるとこだったよ」

「あんた、反省の色なしって」

三郎が拳を戦慄かせてそう言いかけると、朱雀は虚ろな瞳で彼を見た。そして、静かに呟いた。

「じゃあ、俺が悪いって証拠は?」

その言葉に、全員がぐっと言葉を呑む。
確実にこの男が悪いという確信はある。しかし、証拠、と言われてしまうと、口を噤まざるをえない。
あの状態になった経緯を、誰一人として見ても聞いてもいないのだから。

「ほら、証拠は?」

にやにやと腹立たしい笑みを浮かべて、余裕たっぷりにそう問いかける朱雀に、小平太が無表情のまま突然襲い掛かった。
しかし、その拳は仙蔵によって止められる。

「よせ、小平太」

「なんでだ!!」

「確かに証拠がない。しかし疑われるようなことをお前も学園内でするな、澄姫にも後で私から言っておこう」

暴れる小平太を長次に押し付け、仙蔵は朱雀にそう言って踵を返した。
悔しそうに彼の後をついていく文次郎、そして納得がいかないながらも渋々口を噤んだ5年生たち。
医務室に向かう彼らを勝ち誇った笑顔で見送り、朱雀もまた自室へと戻っていった。


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