沈黙のSOS

相変わらず妙な噂は蔓延しているものの、澄姫はいつもと変わらない日常を送っていた。
相変わらず時間を見つけては朱雀と談笑し、彼の相談に乗る。
授業はいつもどおり優秀な成績だし、委員会の生き物たちも(勝手に散歩に出かけるものの)元気だ。

しかし彼女はひとつだけ気になることがあった。
ここのところ、彼女の弟である滝夜叉丸が顔を見せない。
学園内で顔を合わせると、どこか慌てた様子で周囲を気にし挨拶もそこそこにそそくさとどこかへ行ってしまう。
前ならば考えられないその行動に、違和感を感じつつも澄姫は何も出来ないでいた。
聞き分けのいい彼にも反抗期と言うものが訪れたのだろうか、とショックを受けたりもしたが、どうもしっくりこない。
姉とはいえ異性である自分がどこまで強く出ていいものなのか図りかね、聞くに聞けない状態で数日が経過してしまっていた。

「…、澄姫ってば」

突然すぐ傍から聞こえてきた低い声に、珍しく彼女の肩がびくりと跳ねた。
慌てて視線を上げると、にこにこと機嫌良さそうに笑う朱雀の顔があった。

「どしたの?考え事?」

「あ、ご、ごめんなさい、ぼうっとしちゃって…なんでもないの」

「ふぅん?そんな風には見えないけど…あ、ねぇ、いつも相談に乗ってもらってるんだからさ、何かあったら俺に相談してよ」

朱雀が輝く笑顔でそう言い、彼女の手をがっしりと握って鼻先がつきそうなほど彼女に近寄った。
あまりにも近すぎるその距離にたじろいだものの、彼のその好意に澄姫は気になる弟のことを掻い摘んで話した。
朱雀は暫く黙って話を聞いていたが、話し終わった彼女の不安そうな様子に唐突に噴き出した。

「心配しすぎだよ、澄姫」

「そう、なのかしら…」

「彼ぐらいの歳の頃は、色々あるんだよ。女の子…っていうか、まぁ肉親なら尚更言えない事とか内緒にしたいこととかさ」

「やっぱり皆そういうものなの?朱雀もあった?」

「勿論」

彼の力強い頷きに、澄姫はほっと息を吐く。

「それでも気になるって言うなら、俺がこっそり聞いてあげるよ」

朱雀が彼女の頭をぽんぽんと撫で、囁いたその言葉に澄姫はゆっくりと首を振った。

「ありがとう、でもいいわ。滝が言いたくないって言うのなら、無理に聞きたくないもの」

特に自尊心の強い滝夜叉丸のことだ、影ながら姉が探りを入れていたなんて知ったら恐らく彼のプライドは粉々になってしまうだろう。
不自然にならないタイミングで澄姫は朱雀から一歩下がり、にこりと笑った。



−−−−−−−−−−−−

暫くして彼女は委員会の当番があると去っていった。
遠くなっていく後姿に向けて手を振っていた朱雀だったが、彼女の姿が完全に木々に紛れ見えなくなると、くるりと踵を返して満面の笑みで一歩を踏み出した。
彼が向かう先には、校舎からも運動場からも微妙に離れた普段誰も使わない…保健委員でさえそうそう落とし紙の追加に来ない厠。

「滝夜叉丸くーん、遊びましょ」

生い茂った雑草を掻き分けてそう言うと、虚ろな目をした滝夜叉丸がじっと黙って立っていた。

「偉い偉い、本当に誰にも言ってないんだね…そんなになってまで」

そう笑って、朱雀は滝夜叉丸が無意識のうちに押さえていた腹を指差した。
彼の手の動きに敏感に反応した滝夜叉丸がびくりと体を強張らせると、朱雀の口元がゆっくりと三日月のように歪んだ。

「お姉さん、心配してたよ?君が最近そっけないって、俺と喋ってる時にもぼうっとしちゃってさぁ」

ダメじゃないか、大事なお姉さんに心配かけちゃ。そう言いながらも、朱雀の長い脚が勢いよく滝夜叉丸の太股にぶつけられる。
声も出せないまま倒れこんだ彼の背中を強く蹴り飛ばしながら、朱雀は静かに笑う。

その時、背後の雑草が音を立てて揺れ、2人は一斉に顔を上げた。
急いで朱雀が滝夜叉丸の腕を引き、立たせる。

「…ったく、どこ行きやがったあいつ…ん?」

ブツブツと顰め面で草の中から顔を出したのは、潮江文次郎と田村三木ヱ門。
文次郎は何故か頭に2本の苦無をくくりつけており、彼らの手には算盤が握られている。

「何やってんだこんなとこで」

2人に気づいた文次郎が不思議そうな顔をして近付くと、朱雀は先程とはまったく違う人の良さそうな笑顔でそっと滝夜叉丸の前に出た。

「彼からちょっと相談を受けててね、聞かれたくないって言うから、人気のないここに案内してもらったんだ。君は?」

「会計委員会の鍛錬をしていたら後輩が1人いなくなってな…探してるんだがどこにもいやしねぇんだよ」

がしがしと頭を掻く文次郎。その後ろで黙っていた三木ヱ門がひょこりと顔を出して口を開いた。

「青龍院先輩、左門を見かけませんでしたか?」

「さもん?」

「あ、えっと…3年生の神崎左門です。小柄で前髪が揃ってて…」

「うーん、多分見てないと思うな」

そう答えた朱雀の顔をじっと見た三木ヱ門は、文次郎をちらりと見てからそうですか、と小さく呟いた。
周囲をきょろきょろと見渡していた文次郎が、はぁ、と溜息を吐いてとても気まずそうに朱雀を見た。

「あー…悪いがちょっと手伝ってくれ」

そう言って、朱雀の返答も聞かないまま文次郎は彼の腕を掴んであっという間に姿を消してしまった。


しん、と静まりかえったその場に残された滝夜叉丸は、黙ったままじっと自分を見ている三木ヱ門に気が付く。

「…行かなくていいのか」

ぽそりと問いかけたが、三木ヱ門は何も喋らない。
いつもと違うライバルの態度に、滝夜叉丸はいたたまれなくなる。

「…どうした」

沈黙の続いていた空間に、三木ヱ門の少しだけ高い声が零れる。
彼の言葉に、滝夜叉丸の瞳が見開かれた。

小さな反応だったが、彼の反応に何かの確信を得たかのように、三木ヱ門はつかつかと滝夜叉丸に近付き、彼の装束の袷を無理矢理開いて前掛けを持ち上げた。

「な…んだよ、これ!!」

「っ見るな!!」

素早い三木ヱ門の行動に驚き抵抗が出来なかった滝夜叉丸は、慌てて彼の手を払い両腕で腹を隠す。
しかし、既に彼の赤黒く腫れあがった腹部をしっかりと見てしまった三木ヱ門は、ぶるぶると震える手で滝夜叉丸の腕を掴んだ。

「おい…おい、まさか…!!」

がくがくと揺すられて、そう問われる。
見る見るうちに血の気を失っていく滝夜叉丸の顔を見て、三木ヱ門はわなわなと唇を震わせて踵を返して駆け出そうとした。
しかし、その足は滝夜叉丸によってしっかりと掴まれた。

「離せ!!」

「…くれ……」

激昂した三木ヱ門がそう叫ぶと、小さな小さな声で滝夜叉丸が呟いた。
普段の彼からは想像も出来ないようなその弱々しい声に、三木ヱ門の頭に昇っていた血がすぅっと下がっていく。
三木ヱ門は一度深呼吸をすると、滝夜叉丸の傍にしゃがみこんだ。
覗き込んだ彼の顔には、涙の跡が一筋。

「言わないでくれ…誰にも、言わないでくれ…頼む…」

「言うなって…だってお前、その怪我…」

「頼む…言わないで、くれ…!!」

鬼気迫る滝夜叉丸の懇願に、三木ヱ門が眉を顰める。
初めて見る彼の必死な姿に困惑しながらも、とりあえず滝夜叉丸の腕を掴んで立ち上がらせた。

「とにかく、手当てをしよう。知られたくないなら尚更だ」

そう言って、よろめく彼の肩を貸してやりながらも、三木ヱ門の瞳の奥には揺らめく炎が見て取れた。


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