仮面の下の

青龍院朱雀が編入し、妙な噂が蔓延し出した頃。
その噂は勿論澄姫の耳にも入っていたが、事実無根なので放っておいた。
幸い恋仲である長次にはあらかじめ朱雀から相談を受けていること、それは長次たちには言えない内容であること、彼に対して恋愛感情は皆無であることをしっかりと告げていたので、これといった喧嘩をすることなく、普段通りに過ごしていた。

そしてその日も、澄姫は朱雀から実は彼の好みや性格が本当は女性寄りであること、それを昔からかわれたことがあるなど相談を受けて、彼女と朱雀は裏山にある池の傍で話をしていた。

まるで同い年の、同性の、友人の相談を受けているような気分で、いつものように楽しくおしゃべりを交えながら彼の悩みを和らげていると、ふと背後に気配を感じ取った。
よく慣れ親しんだ気配はガサガサと葉を揺らし、ひょっこりと草むらから顔を覗かせた。

「あら、小平太。委員会?」

「いや、体育委員会の面々で自主練だ!!2人はこんなとこで何してる?」

「お悩み相談室よ」

「えっちな話か?それなら私も混ぜろ!!」

「バカなこと言わないで頂戴。それより滝たちは?」

自主練という名の拷問に付き合わされている哀れな弟とその後輩たちがなかなか顔を見せないことを疑問に思い、彼女はそう問いかけた。
すると小平太はきょろ、と周囲を見回して、遠目に必死な後輩たちを発見した。

「おーい、お前らー!!遅いぞー!!」

「あの子たちが遅いんじゃなくて貴方が早すぎるのよ」

呆れたようにそう言って、ジト目で小平太を睨みつける。
そうこうしているうちにようやっと滝夜叉丸を筆頭に体育委員会の面々が姿を現し、呼吸も整わないまま2人に挨拶をしていく。
すると、比較的息切れも少ない滝夜叉丸が朱雀にこそりと近付いた。

「あの、青龍院、先輩…」

「朱雀でいいよ」

「いえ、青龍院、先輩。失礼ですが、夜に、少し、お時間、いただけますか?」

「いいよ」

「ありがとう、ございます。夕食後、第二運動場に、来てください」

「うん、わかった」

小さな声で、真剣な眼差しでそう囁く滝夜叉丸に朱雀もまた小さな声でそう答えると、滝夜叉丸はぺこりと頭を下げて小平太の元へと戻っていった。
元気よく自主練を再開して裏山の奥へと消えていった体育委員会の面々を見送り、澄姫は首を傾げて朱雀を見た。

「滝、何て?」

「ん?何か話があるみたい」

笑顔でそういう朱雀を、彼女はじっと見つめ、失礼かもしれないけど、と前置きして口を開いた。

「あの子私の弟なの」

「そうなんだ、そういえば似てるよね」

「…合意なしは駄目よ、許さないから」

澄姫のその一言に、朱雀は声を上げて笑った。



−−−−−−−−−−−−−−
その日の夕食後。渋る喜八郎を風呂へ押し込み、滝夜叉丸はこっそりと第二運動場へ向かった。
隅の木下には既に朱雀がおり、滝夜叉丸は慌てて彼に駆け寄った。

「お呼びたてした上お待たせしてしまい、すみません」

「いいよ、そんなに待ってないから」

にこにこといつになく上機嫌な朱雀を少し不思議に思いながらも、滝夜叉丸は単刀直入に本題を話し始めた。

「大変失礼なことと存じますが、姉上と少し距離を置いてはいただけないでしょうか?」

その一言に、朱雀の柳眉がぎゅっと吊り上る。
その表情の変化を感じ取った滝夜叉丸は、慌てて理由を付け加えた。

「すみません、あの、今学園中で噂が広がっていまして。その…姉上は中在家先輩とお付き合いをしているのですが“青龍院先輩に乗り換えた”“阿婆擦れだ”などと言う輩がいるのです。誤解とわかっているのですが、やはり心苦しくて…」

滝夜叉丸は懸命に噂の内容と、自分が耳にした姉への暴言を朱雀に伝えた。
ここまで話せばきっと少し距離を置いてくれるだろう、そう思った。
しかし彼の耳に届いた言葉は、彼の予想をはるかに上回るものだった。

「うん、知ってる。だってね、その噂撒いたの、俺だもん」

驚いて顔を上げると、朱雀はにこにこと笑っていた。
予想外のことに思考が停止してしまった滝夜叉丸の顎を、朱雀が掴んで持ち上げる。
強制的に合わせられた視線の奥に、滝夜叉丸は得体の知れない狂気を見た。

「意味が、よく…」

「邪魔なの、澄姫って」

普段とは全然違う、濁った瞳の朱雀に、滝夜叉丸の背に悪寒が走った。

「あの女、偉そうに文次郎や仙蔵を侍らして、伊作と仲良くて、留三郎と楽しそうに話して、小平太にちょっかいかけられて、長次と付き合ってるんでしょ?邪魔なのマジで。そういうのいらないの」

彼の口から吐き出される言葉に、滝夜叉丸は絶句した。とても仲がよさそうにしていたのは、一体なんだったのか。
朱雀はぐっと顔を近づけて、まるで子供に言い聞かせるような優しい声色で滝夜叉丸に囁く。

「あの女なかなか長次と別れないし、いい加減苛々してたんだよね。俺年下興味ないし、もともと君嫌いだし」

そう言うと、朱雀は掴んでいた滝夜叉丸の顎から手を離し、すっかり力の抜けていた彼の腹に拳を叩き込んだ。
まるで丸太でもぶつかったかのような凄まじい衝撃に、声もなく崩れ落ちる滝夜叉丸の綺麗な髪を鷲掴み、とても楽しそうに笑った。

「ははは、一撃でこれ?超ウケる。ねぇ、このこと誰かに言ったらさ、君の大事なお姉さん、ボロボロにしてあげるよ。女に興味ないけど、モノは付いてるし」

その言葉に、はくはくと酸素を貪っていた滝夜叉丸の顔色が更に白くなる。
霞んでしまいそうな意識を必死に留め、ゆるゆると首を振る。

「やめ…姉、上には…」

「いっそ孕ませたら長次も別れるよね、そっちのが手っ取り早いかな?」

露骨過ぎる朱雀の発言に、滝夜叉丸の瞳に涙が浮かぶ。
ぎゅっと、唇を噛み締めて、彼は髪を掴まれたまま一切の抵抗を止めた。

「…て、ください…やめ、てください…言う通りに、しますから、姉上に、手を出、さないで…ください…」

小さく零れる滝夜叉丸の悲痛な声に、朱雀はにんまりと笑って力の抜けた彼の体を木の幹に投げつけた。
小さな悲鳴を上げて強かに背中を打ちつけた滝夜叉丸は、幹に沿ってずるずると地面に座り込んだ。

「聞き分けいいね、じゃ」

楽しそうにそう言って踵を返した朱雀の背を見送り、滝夜叉丸は木の幹に背を預けたまま両手で顔を覆った。

彼に殴られたとき、まるで七松小平太に間違って蹴り飛ばされた時と同等の衝撃を受けた。あんな力では、きっと澄姫は満足な抵抗すら出来ずに彼に穢されてしまうだろう。
そして先程彼が言ったように、もし最悪孕んでしまったら、彼女の幸せは全て潰されてしまう。
しかし滝夜叉丸は男だ。多少殴られようが蹴られようが、怪我はいずれ治る。
自分が殴られるだけで大好きな姉を守れるならば、こんなに名誉なことはない。

「鍛錬だと思えば、これぐらい…」

そう自分に言い聞かせるように呟いて、滝夜叉丸は浮かんでしまった涙を拭う。

「姉上の幸せは、私が守る…!!」

歯を食いしばり、空にぽっかりと浮かんだ月を睨みつけて、滝夜叉丸は痛む腹を押さえて誰にも悟られないよう平然を装い自室へと戻っていった。

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