女王



「くれぐれも気を付けて行くように」

月のない夜、忍術学園の校門前で黒い忍装束に身を包んだ男が告げる。
色は違うが、他にも数人の影がその隣に並んでいた。

「姉上、どうかお気を付けて」

濃紫の装束の少年は声に少し不安を滲ませているようだった。
心配そうなその少年の背を優しく撫でてやるのは群青色の装束を纏った体格のいい少年。


彼らの正面に立つは、同じく忍装束の女。
深い赤色の装束は忍術学園くのいち教室の上級生であることを示すもの。
女は少年に微笑を向けると、心配いらないとでも言うように優しく頭を撫でた。
数回撫でた後、するりとその白く細い腕を隣の群青色の肩に移しポンポンと軽く叩く。

「ハチ。私が不在の間、委員会の子達を頼んだわね」

ハチと呼ばれた群青色の装束を纏った少年はコクリと頷く。


その表情を見てにこりと微笑んだ女は一歩下がり、静かにその様子を見守っていた黒い装束の男に向き直った。

「お任せください。この澄姫見事先生の期待にお応えしてみせましょう。何故なら私は忍術学園一のくのいちのたまご、澄姫。この程度の任務容易いものです」

自信満々に答え深い森に消えたその女に、男…忍術学園教師山田伝蔵は苦笑いをひとつこぼした。
その隣で群青色に肩を抱かれた少年は、あっという間に見えなくなった女の背を見つめて輝く瞳で

「さすが忍術学園一の戦輪使い、全てにおいてナンバーワンのこの滝夜叉丸の姉上!気高く美しいそのお姿!この滝夜叉丸は貴女の弟ということをとても誇りに思います!!」

と、叫んだ。



「さすが澄姫先輩…」

「姉弟そろってあの性格とは…」

ハチこと竹谷八左ヱ門と伝蔵の呟きは、虚しく風にさらわれた。



深い森を駆け抜ける女の名は平澄姫。
彼女はくのいち教室最上級生として、今宵忍務へと発った。
内容は6年生らしく少し難易度の高いものであったが、その実力を見込まれ澄姫に白羽の矢が立った。

遠方のため移動に日数はかかるものの、彼女にしてみればそんなことよりも自分の力が認められこの忍務を任されたことの方が大きい。
前日までに委員会のことを後輩の八左ヱ門に任せ、性別は違うが同級生たちに自慢し、可愛い弟にはこれがどれほど名誉なことかをとくと語った。


(忍務が終わったら、私の素晴らしさをまたとくと語ろう)


こそりと口角を上げ、澄姫は颯爽と闇夜を駆けた。
そんな彼女の前にざっと降り立った深緑色の二つの影。気配に気づいていた澄姫は足を止め、その二つの影の名を呼んだ。

「仙蔵に、長次。どうかしたの?」

「いや、ただ見送りに来ただけだ」

さらりと長い髪を風に遊ばせ、お前の恋仲を誘ってな、と隣に立っていた男の背を押した。

「…遠方の…忍務と聞いた…」

風にかき消されそうな小さな声で、長次は澄姫を気遣わしげに見やった。
仙蔵よりも大きな体躯、傷が目立つ厳つめの顔からは想像も出来ない小さな声と、優しげな瞳。その全てが澄姫にはとても愛しく思える。
澄姫は高鳴る心をぎゅっと抑え、小さく頷く。

「ええ。でも私には問題ない忍務よ」

いつものように自信満々な物言いとはどこか違い、恥らう乙女のような声に思わず仙蔵はくつくつと喉の奥で笑ってしまう。
いつもならば癪に触る仙蔵の態度だが、桃色の世界を作り上げている澄姫には聞こえていなかったようで、もそもそと囁くような長次の声を聞き逃すまいとじっと彼を見つめていた。

「…無事に…学園に戻って…来るのを、待っている…」

淡く頬を染めた長次のその言葉に、澄姫は喉の奥が燃え上がるような歓喜を感じた。
そしてその喜びを抑えもせず、今まで見せた事のない満面の笑みで長次に告げた。

「ま、待っててね!すぐ戻るからね!」

初めて見る彼女の素直なその姿に、仙蔵はとうとう堪え切れず噴き出した。

未だ笑いを止められない仙蔵と、どこか優しい雰囲気の長次に見送られ、澄姫は大きく跳躍する。
浮かれる心のままに軽々と宙を舞うその姿は美しく、まるで闇の女神のようであった。




夜が明け、腹ごしらえにと町に立ち寄ればざわめきと羨望の眼差しが彼女に注がれる。
昨晩とは違い太陽の光に照らされる彼女の容姿はとても見目麗しく、すれ違うもの皆が振り返り見とれてしまう。
前髪はくるりと独特の癖があるものの、長く真っ直ぐな艶のある少し色素の薄い焦茶色の髪を靡かせ颯爽と歩く。
体躯は全体的にすらりとしている。
髪から視線を下げると意思の強そうな大きい瞳。ふっくりとした血色の良い唇。透き通るような白く細い首。そして、大きな胸のふくらみ。
まったくといって良いほど非の打ち所のない、正真正銘の絶世の美女。
そんな澄姫の容姿に惹かれる者は数多だが、中にはよからぬ考えを持って彼女に近づく者も多い。
しかし、彼女は美しくも逞しいくのいちのたまご。




今回の忍務も問題なく遂行し、軽い足取りで忍術学園の愛しい人の元へと帰還するのであった。




彼女が居ない間に、学園に災厄が降りたとも知らずに。

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