準備完了

眠ってしまった1年生たちと三郎を別室へ運び、忍術学園からの援軍を待つ間に伊作は手潟さんと薬草を摘みに、雷蔵は先生達と巡回に出掛け、留守番を任された澄姫は縁側でのんびりとお茶を啜っていた。
腕を上げた拍子にふと薬の匂いが微かにして、湯飲みを置き袖を引っ張る。
鼻に近づけたそれからはほんのりとだが穏やかな友人からいつもする匂いがし、ついつい笑ってしまう。
ぽかぽかとした日差しに瞼が重く感じて来たその時、彼女の隣がぎしりと軋んだ。
警戒などせず、ゆったりと視線を向けると、そこには大きな深緑色の影。
小脇に抱えていた木箱をそっと置いて、彼女の隣に腰を下ろした。

「あら、早かったのね長次」

若干だが舌足らずにそう言われ、長次は視線を彼女に向けこくりと頷いた。

「…用具委員会を筆頭に、到着した…」

「そう、なの…」

「澄姫…眠いのか…?」

「う、ん…少し、だけね…」

暖かな陽気と、安心できる気配、加えてまるで子守唄のような低く小さな声に、澄姫はゆっくりと体の力が抜けていくのを止められない。

「まだ、時間がある…少しだけ、眠るといい…」

そう囁いて、長次は彼女の体を自分に傾けさせる。がっちりとした胸板に頭を預けた澄姫の瞼は既に半分以上くっついており、細い体からはすっかり力が抜けていた。
あっという間に眠りに落ちた彼女をそっと抱き寄せて、いつもよりももっともっと小さな声で、彼は呟いた。

「…目が覚めたら、この忍装束の理由を…詳しく、聞くぞ…」



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暖かな真綿に包まれて幸せな夢を見ていた澄姫は、唐突に聞こえた『起きろー!!』という声でびくりと体を震わせた。
一刻も眠っていないと思うが、それでも少し寝たお陰で頭はすっきりと冴えている。
不快な声の元を探すべく顔を上げると、思った以上に近い位置に長次の顔があり彼女は仄かに頬を染めた。

「長次…やだ、見てたの?」

寝顔を見られていたことが恥ずかしいのか、澄姫は慌てて俯いた。
伏せられた彼女の視界に、長次の無骨な手が映る。その指は彼自身の装束をしっかりと掴む彼女の小さな手を指していた。

「…動くに、動けなかった…」

「ご、ごめんなさい!!私ったら、無意識に…!!」

元より動く気などなかったのだが、という胸の内はこっそりと飲み込み、長次は彼女の顎に指を添え、ついと上向けた。

「…おはよう、澄姫」

かっちりと視線を合わせ、うっすらと微笑を浮かべた長次にそう囁かれ、澄姫は今度こそしっかりと頬を染めて、蚊が鳴くような声でおはよう、と呟くのが精一杯だった。

しかし、そんな甘い雰囲気が一瞬にして壊される。
どたどたと別室で眠っていた1年生を引き連れて、文次郎が2人のところへとやってきた。

「お前達もギンギンに働けーィ!!」

元気よくそう言って腕を突き上げている文次郎の後ろには、まだ眠そうな1年生。まるで日曜日の早朝に子供を叩き起こして遊びに誘う迷惑なお父さんのようである。
耳をすませば、屋敷の外からは大勢の話し声が聞こえる。おそらく学園の皆が勢ぞろいしているのであろうその騒がしさに、澄姫は口角を上げた。
1年生たちを外へ送り出し、戦の準備に取り掛からせた文次郎がふと踵を返し、彼女に向かって片手を挙げる。

「おう、起きたか」

「えぇ、誰かさんの大きな声のお陰でしっかり目が覚めたわ」

仄かに嫌味を滲ませて同じように片手を挙げると、文次郎は苦虫を噛み潰したような顔になった。しかしそれも一瞬で、不思議そうな顔をして彼女の装束を指差した。

「お前、装束どうした」

「…乱太郎を園田村まで護衛する途中に手練の曲者に襲われて…破損したの。これは伊作の予備の予備を借りたの」

「怪我は」

「かすり傷一つもつけられてないわ。悔しいけどそれくらい実力差があった」

「そうか」

そう短く答えると、文次郎は再度くるりと踵を返し屋敷の外へと歩き出した。
敷居を跨ぐ直前に、彼は振り向かずに良かったな、と小さく呟いた。
その一言に、澄姫は首を傾げる。
普段なら鍛錬が足りんと怒鳴り散らす文次郎の珍しい一言に、妙なものでも拾って食べたのかと思案する彼女の隣で、長次は意外と優しくおせっかいな友人に小さく小さく笑みを零すのだった。


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用具委員会が体育委員会と共に逆茂木を仕掛け終わり、先生達が作戦会議をし始めた夕暮れ時。
近くまで迫ってきているというタソガレドキ軍からの攻撃に備え、保健委員は村の奥のお堂に救護所を設置した。
その周辺で逆茂木を設置し疲れ果てた下級生たちは体を休ませ、4年生の天才トラパーこと綾部喜八郎は嬉々として村のあちこちに塹壕を掘っていた。
加藤村の馬借づてに手潟さんの要請を受けた佐武村の鉄砲隊も到着し、着実に準備が整い始めている。
佐武鉄砲隊が到着した時に、タソガレドキ軍が功を焦り逆茂木を仕掛けていた1年生を銃撃しようとしていたこともあり、夜の警戒は5年生と6年生で行うことになった。
別件で動いている勘右衛門を除く5年生4人は二組に分かれて側面の警戒、6年生は救護班の伊作を除き村の裏にある森の警戒に当たることとなった。

赤く染まっていく空を尻目に澄姫が森に入ると、木の枝から文次郎が降りてきた。

「異常なしだが、じき日が暮れる。警戒を怠るな」

「わかったわ」

こつん、と拳を突き合わせて、彼女は先程まで文次郎がいた枝の上へと跳び上がる。
早速気配を殺し警戒を始めた澄姫と勢いで突き合わせてしまった拳をじっと見やり、文次郎は頬を掻いた。

「あの装束だとどうも調子が狂うな…」

悟られないように小さく呟いて、文次郎はそそくさと森を出た。


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