羊の皮を被った狼は25歳

じとー…と、普段はつぶらな瞳が精一杯恨みがましく睨みつけるのは、美貌の女。

「だから、ごめんなさいってば…」

彼女は冷や汗を流しながら、小さな井桁たちに必死に謝る。
学園長秘蔵の和菓子を奪った罰として全学年に下された課題を、澄姫はなんとか合格し夏休みを奪取するため、1年は組を訪れた。
そこで11対のつぶらな瞳に睨まれている、というわけだ。

「でもなんで1年は組なんですか?」

冷静な庄左ヱ門が相変わらず冷静にそう聞くと、澄姫はあっけらかんと消去法よ、と答えた。

「流石に既婚者の先生を相手に愛を語るわけにはいかないもの。土井先生は独身だし、まだお若いから狙い目だと思って」

その答えになるほど、と頷いた井桁たちの中で、猫目の少年を名指しする。

「ということで、きり丸くん。お手伝いしてくれる?」

「イヤです」

即効で拒否をした猫目の少年、きり丸を、は組全員が一斉に「夏休みなくなると稼げないぞ」「バイトできないぞ」と諭す。
それでも嫌がるきり丸に、乱太郎が見かねて言い方を変えるよう澄姫に伝えようとした時、澄姫は胸元から数枚のブロマイドを取り出してきり丸に差し出した。

「きり丸、手伝ってくれたらコレあげるわ」

「全力でお手伝いさせていただきます!!」

目を銭にしたきり丸に、すっ転ぶは組の面々。
幸先不安すぎるが、こうして彼らの夏休み奪還作戦第一弾は幕を開けた。

「ところできりちゃん、珍しいね、学園長先生のブロマイドじゃ絶対断るのに」

「ん?あぁ澄姫先輩のは凄い値で売れるからな、入手困難だし」

「そうなんだ…で、誰がそんな高値で買うの?」

「そりゃ中在家先輩に決まってるだろ」

「…意外というか、一途というか…」

ルンルンのきり丸を、少し呆れた乱太郎が見送った。



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(何でこんな面倒なことに…)

半助は痛む胃を押さえながら、きり丸と手を繋いで賑やかな町を歩いていた。
きり丸を挟んで歩くのは、普段よりも少し濃い目の化粧をした平澄姫。
誰もが振り向く美貌の彼女と、教え子のきり丸と、教師である自分は何故か仲良く家族ごっこをしている。

(授業が…補習だってまだ…)

ギリリと痛む胃…しかし、孤児であるきり丸に涙ながらに「父と母の夢を見てしまった、寂しいから町で家族のように振舞って欲しい」なんて頼まれて、性根の優しい半助が無碍にできる訳がなかった。
それが例え、くだらない課題をクリアするための嘘だとわかっていても。
半助は大きく溜息を吐いて、気持ちを切り替える。

「きり丸、あそこの甘味処で少し休憩しましょうか」

団子ののぼりを指差して、澄姫が優しく笑ってきり丸の手を引く。
3人で暖簾を潜ると、愛想の良い店主がすぐ席に案内してくれた。
まるで本当の母子のように寄り添いお品書きを見る澄姫ときり丸に、半助の頬が自然と緩む。
それを見た店主が、注文を聞きに来たついでとばかりに半助の肩を肘で突いた。

「えらく別嬪な女房じゃないですか、若いのになかなかやりますなぁ、お父さん」

「い、いや…私はその…ははは」

笑って誤魔化そうとした半助は、袖をくいくいと引っ張られ視線を落とす。
そこには、嬉しそうに頬を染めたきり丸が笑顔でお品書きを指差していた。

「とーちゃん、俺、これがいい!!これにする!!」

不覚にもそんな可愛い笑顔と「とーちゃん」発言にときめいた土井半助(25/独身)は、無意識に彼の小さな頭を撫でながら、にこにこと楽しそうな澄姫に微笑む。

「折角だからお前も好きなものを頼みなさい」

「あら、ありがとうございます。あなた」

「いやいや、仲の良いご両親だな、坊や!!」

「まぁね」

彼女個人を指しての「お前」という発言をしっかり逆手に取られ、半助はすっ転んだ。



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甘味処で小腹を満たした3人は、川原まで歩き、その近くの茶屋に腰を下ろした。

「俺ちょっと遊んでくる!!」

何処で拾ったのか手頃な木の枝を引っ掴み、元気よくきり丸が駆け出す。

「あまり遠くに行くなよ」

半助の一言にはーい、と返事をして、きり丸は川原へと降りて行った。
一連の様子を見ていた茶屋の女将が半助と澄姫にお茶を差し出し、微笑む。

「あの年の頃はやんちゃで大変でしょう?」

「うふふ、でも男の子は元気が一番ですから」

お茶を受け取り、澄姫が半助にぎゅっとくっつきながらそう言って微笑む。

「しかしあれだねぇ、両親の顔が良いと、生まれてくる子も顔が良いもんなんだねぇ!!今の子は母親似かね?旦那さん似の子もう1人ぐらい産んだらどうだい?」

「もっと言ってやってくださいな。私はまだ欲しいんですけどね、この人ったら仕事が忙しくてなかなか仕込んでくれないんですよ」

そう言って快活に笑う茶屋の女将と、こーんなに愛してるのにねーぇ?なんて妖艶に笑ってご自慢の胸を押し付けてくる澄姫に、半助は派手に咽た。

「ちょっと失礼!!!」

ごほごほと咳き込みながら、半助は目を吊り上げて澄姫の腕を引っ掴み厠の裏の藪へ引き込んだ。

「澄姫、あまり大人をからかうんじゃない」

静かにそう呟いて、彼女の細い体を木の幹に押し付ける。
木漏れ日が微かに反射する涼しげな瞳は、驚きに見開かれていた。

「土井、先生…?」

どこか背徳的に震えるその薄い唇に、ひたりと親指を添える。
澄姫の脚の間に膝を割り入れ、ぐっと体を寄せて、半助は彼女の耳元で囁いた。


「本当に、仕込んであげようか…?」


手を添えた細腰が、びくりと揺らめいた。

その時、半助の耳に風を切る音が聞こえ、咄嗟に体を離す。
彼の頬すれすれを掠め、真っ赤な顔で佇む澄姫の頭上にドカリと刺さったそれは

「げ…」

寡黙な図書委員会委員長が愛用している、縄標。
そして藪から姿を現したのは、きり丸を連れた中在家長次その人だった。

「…す……せ…」

「え!?」

相変わらずもそもそと何を言ってるのかわからない長次に、半助が聞き返す。
すると隣に立っていたきり丸が手を上げて、同時通訳を開始した。

「「やりすぎです、土井先生」と言っています」

「いや、これは…その…なんというか…」

「「1年課題は合格なので学園にお戻りください」と言っています」

「…わかった、澄姫を頼む。それと、すまない…大人げなかった」

ふるふると首を振った長次が澄姫を支えたのを見届けて、半助は頭上にはてなを浮かべているきり丸の手を引いて、学園に帰るべく歩き出した。



その背を見送り、長次は澄姫を抱き上げる。
すっかり腰が抜けている彼女は未だ冷めやらぬ頬を押さえ、気まずそうに長次を見た。
そんな彼女にひとつ溜息をついて、呟く。

「…澄姫、夏休みが欲しいのはわかるが、あまり男を侮るな」

「…えぇ、特に土井先生の印象は改めるわ」

「…大人しそうに見えても、男は皆…獰猛だ」

「肝に銘じておきます……ところで、長次はどうして町に?」

「………たまたま、用事で…」




心配なのと嫉妬心でこっそり後をつけて来ていたことは黙っておく長次だった。

→何はともあれ、1年生の課題見事合格!!


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