和菓子の恨み
さんさんと照りつける太陽。
夏の到来に喜び駆け回る井桁を微笑ましく横目で見ながら、澄姫と八左ヱ門と孫兵は額の汗を拭いながら飼育小屋の掃除に明け暮れていた。
「ハチ、栗と桃の小屋は私がやるから、秋雨たちのほうをお願い」
「わかりました、おフクたちはどうします?」
「おフクたちは温厚だから1年生に任せましょ。孫兵はきみ太郎や大山兄弟の面倒しっかり見るのよ」
「大丈夫です」
的確に指示を飛ばし、澄姫は一際大きな山犬の小屋に足を踏み入れる。
背後では八左ヱ門が元気に駆け回る1年生を大声で呼んでいた。
「栗、桃、掃除するから良い子にしてるのよ」
栗と呼ばれた黒毛の山犬と、桃と呼ばれた赤毛の山犬はフンフンと鼻を動かし、のっそりと起き上がって小屋の隅の古布の上に仲良くくっついて小さく丸まった。
「お利口さんね」
従順なその様子に満足そうに頷いて、彼女は竹箒で掃除を始めた。
その様子を見ていた好奇心旺盛な虎若が、ちょこちょこと小屋に近付く。
「あ!!やめろ危ないぞ!!」
気付いた八左ヱ門が止めるも既に遅く、栗と桃は素早く小屋を抜け出し虎若に飛び掛った。
「うわぁぁ!!」
さっきまで従順だった山犬の恐ろしい変貌ぶりに驚き、虎若が悲鳴を上げる。
それに益々興奮した山犬が虎若の腕に噛み付こうとした、その時。
「誰が小屋を出て良いと言ったの?」
振り向きもせず、ぼそりと呟いた澄姫の一言に、栗と桃の大きな体躯がびくりと震えた。
一瞬にして尻尾を丸め、その場に伏せる2匹。ぷるぷると小刻みに震え、上目遣いで彼女の姿を見上げるその姿はまるで子犬のよう。
「いけない子ねぇ…『また』嬲られたいのかしら?」
薄ら笑いで振り向いた澄姫の表情に、ブブブブと超高速で震え出す山犬。
2匹は飛び出した時と同じような速度で慌てて小屋に飛び込み、古布に頭を埋めた。
そのやりとりを呆然と見ていた虎若は、助け起こしてくれた八左ヱ門に恐る恐る問い掛ける。
「竹谷先輩、栗と桃って大人しいんじゃないんですか?」
「いや、あぁ…散歩の時は澄姫先輩が傍にいるから大人しいだけで、あいつらは元々気性が荒いんだ。犬っていうのは群れの中で順位付けっていうのをしてな、自分より上位の奴にしか従わない。この生物委員会の委員長である澄姫先輩が頂点、つまりボスで、その次に俺、栗、桃、秋雨、孫兵、そんでお前らだ」
「なるほど…」
「勿論、力があればその生態系に割り込むことも出来る。七松先輩や立花先輩には絶対服従だし、動物好きな雷蔵の言う事も聞いてたな」
「でも自分よりも体の小さい、力も弱い者だと、服従させにかかってくるわ」
虎若と視線を合わせて話していた八左ヱ門の背後から、竹箒を持った澄姫がやってきた。どうやら話し込んでいるうちに掃除を終わらせたらしい彼女は、虎若の頭をそっと撫でて微笑んだ。
「怪我はしていない?好奇心も結構だけど、警戒心を忘れちゃダメよ」
くすくすと妖艶にそう言って、虎若の鼻先をちょんと突く。
やんわりと叱られた虎若は、素直にぺこりと頭を下げて謝った。
「澄姫先輩、ごめんなさい。ありがとうございました」
「ふふ、いい子ね。さぁ、おフクたちの小屋の掃除をしてあげて頂戴」
はーい、と元気よく返事をして、虎若は心配そうに見ていた三治郎たちのいる梟小屋に駆けて行った。
きゃっきゃと楽しそうに掃除を始める1年生をしばらく眺めて、八左ヱ門も水を張った桶を抱えて気合を入れる。
「よーし、俺も秋雨の小屋掃除してやるかぁ!!」
元気の良い彼の声に共鳴するように、山犬の秋雨がわぉんと嬉しそうに吠えた。
ボッサボサの髪を揺らして歩き出した八左ヱ門の背中を見送っていた澄姫。
そんな彼女の耳に、良く通る低い声が届いた。
「澄姫先輩」
呼ばれた彼女と、反射的に八左ヱ門も振り返ると、特徴的な髪を揺らして走ってくる尾浜勘右衛門の姿が見えた。
「勘右衛門、どうしたの?」
「学園長先生がお呼びですよ、俺と、澄姫先輩を」
不思議な組み合わせだが、忍務か何かだろうかと思い、澄姫は持っていた竹箒を八左ヱ門に預け、勘右衛門と共に学園長の庵に向かった。
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「学園長先生、平澄姫、参りました」
「尾浜勘右衛門です」
障子の前で傅きそう告げると、中から「入りなさい」と静かな声が聞こえた。
いつになく真剣みを帯びたその声に、若干の緊張を滲ませて、障子を開ける。
部屋の中央にはいつになく神妙そうな学園長が鎮座しており、澄姫と勘右衛門は音を立てずその正面に進み腰を下ろした。
ぶっふぉ、といつもの咳払いをひとつして、学園長はゆっくりと口を開いた。
「…暫く前にのぉ、わしの部屋から、ある大事なものが盗まれたんじゃ」
その一言に、澄姫はぴくりと肩を震わせる。
「学園長先生、ひょっとして、私たちを呼んだのはその盗まれたものを取り返すという忍務のためでしょうか?」
勘右衛門のその言葉に、しかし学園長は緩く首を振る。
「盗まれたものはなぁ、もう戻っては来ん」
「…?意味がよく…」
不思議そうに首を傾げる勘右衛門に、学園長は立派な眉毛をもたげて問い掛けた。
「尾浜勘右衛門、おぬし少し前に、平澄姫から菓子を貰わんかったか?」
「え?え…っと…あぁ、あの卯月堂の限定ギィ!!!」
学園長の問い掛けに馬鹿正直に答えてしまった勘右衛門の足を澄姫がこっそり、しかし恐ろしい力で抓るが、時既に遅し。
「やっぱり平澄姫!!おぬしの仕業じゃったなぁぁぁ!!!?」
「あぁぁん勘右衛門のバカぁん!!」
憤慨した学園長が立ち上がって怒鳴り、澄姫が妙に色っぽい声で勘右衛門を罵倒する。
状況が理解できない勘右衛門はにやける頬を押さえつつ、どういうことですかと問う。
「どーもこーもないわぃ!!おぬしが食べたその卯月堂限定白餡葛餅はわしのとっときだったんじゃぁぁ!!」
「えぇぇぇぇ!!?」
「もぅ、内緒にシてって言ったじゃない!!勘右衛門のバカぁん!!」
「澄姫先輩、誤変換がたまりません!!」
「えぇぇい!!バカぁんはおぬしじゃ!!」
地団駄を踏んで喚く学園長に、とりあえず澄姫は頭を下げた。
どうして自分が学園長の菓子など盗んだのか綺麗さっぱり覚えていないが、面倒なことになる前にさっさと謝って穏便に済まそうと彼女は考えた。
「申し訳ありません、学園長先生」
畳に額を擦り付けて必死に謝罪する澄姫を見て、勘右衛門もとりあえず頭を下げる。
しかしさすが若い頃は天才忍者として名を馳せた大川平次渦正。
彼女たちの“とりあえず精神”などお見通しである。
「しかし澄姫よ、よくあそこまで証拠を消したもんじゃのぉ…見事じゃわい」
「それはこの忍術学園一優秀な平澄姫、あれくらい大したことじゃありませんわ!!」
「ほほぅ、反省の色はないと、そういうことじゃな…」
「あ…い、いやー…あっはっは…」
うっかり乗せられボロを出し、笑って誤魔化そうとする澄姫の隣で勘右衛門があちゃぁ…と額を押さえた。
ばっかもーん!!!という学園長の怒号が忍術学園中に響き渡った。
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翌日、みんみんと騒ぎ始めた蝉の声があちこちから聞こえる校庭。
そこで全校集会が開かれていた。
全校生徒の前に立つ学園長と、その隣で不貞腐れている澄姫。
「と、いうことで、罰として1学年に1つ課題を与える。十日間で全て合格できなければ夏休みはナシじゃ!!」
えぇぇ、と(特に低学年から)悲鳴が上がる。
しかしそんなのお構いなしとばかりに、学園長は紙に書かれた注意事項を読み上げていった。
「ひとつ、課題全て平澄姫同行の元行うこと。ひとつ、十日間で全ての課題を合格しなければ夏休みは全員なしとする。ひとつ、学年で決められた課題にはその学年以外の参加は平澄姫以外認めぬ。これを前提とし、課題を言い渡す
1年生は担任に愛を語ること
2年生はタソガレドキに侵入すること
3年生は利吉さんに色仕掛けすること
4年生は伝子さんを褒めちぎること
5年生は会計委員長を捕まえること
6年生はくのいちを泣かすこと
以上じゃ」
高々と宣言されたどう考えてもただの思いつきに、全学年及び教員は全員膝から崩れ落ちた。
お題:こうふく、幸福、降伏。様[ 38/253 ][*prev] [next#]