仕置

職員室に転がり込むように飛び込んだ伊賀崎孫兵が、たまたま居合わせた土井半助に早口で飼育小屋での状況を報告すると、半助は急いで下級生を教室へ戻らせ、呼びに行くまで決して出ないようにと孫兵に指示を出した。
ついぞ見ない緊迫した孫兵の様子に、下級生は不安そうに、それでも珍しく指示に従い教室へと戻っていった。
それを見届け飼育小屋に走ると、途中で同じ方角に向かう6年生と5年生に鉢合わせた。

「土井先生!生物委員会の飼育小屋の方から微かに殺気を感じましたが、一体何が?」

「立花…伊賀崎の話によると、生物委員会が斧を持った新木心愛に襲撃を受けている様だ」

「はぁぁ!!?斧!!?」

「たぶん食堂裏の薪割用の斧だと思う…」

凶器の所持に驚いた三郎が大きな声を上げる。
半助は、げんなりして頷いた。
そんな半助を気にも留めず、兵助が冷静に報告する。

「4年生を下級生の護衛に当てております。ハチがいるのでまだ大丈夫だと思いますが、なるべく早く生物委員会の1年生を現場から遠ざけましょう」

その言葉で、半助の胃はギリギリと痛み出す。

「そ、そうか…澄姫から早く遠ざけないとマズイ…」

痛む胃を摩りながら走ると、すぐ飼育小屋が見えた。
そこには確かに斧を持った新木心愛と、1年生を庇う竹谷と、笑顔の澄姫の姿があった。


「ヤバい、なんか澄姫既にキレ気味じゃないか?」

留三郎が青褪めながらそう言うと、半助がてきぱきと指示を出し始めた。

「長次は留三郎と共に澄姫の援護、小平太と文次郎は1年生を抱えて教室へ行け、仙蔵は新木心愛の退路を塞ぎ、5年生は全員で飼育小屋の生物を守れ」

「「「「はいっ」」」」

「え?あの、土井先生、僕は?」

「あー…い、伊作は医療班!!ここで待機だ!!」

「あ、はいっ」

「「「「(不運防止だな…)」」」」

違う意味で皆が心を一つにし、飼育小屋に飛んだ。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ずずっずずっと斧を引き摺り、心愛は澄姫に近付いていった。
その目は濁り、うわごとの様に先ほどからずっと「あんたのせい」と呟き続けている。
孫次郎を抱えた八左ヱ門は新たに一平を背負い、左右の足に虎若と三治郎をしがみ付かせて何とかこの女王様の逆鱗には触れないでくれと祈り続けていた。
しかし、そんな彼の祈りも虚しく、新木心愛はどんどん澄姫の怒りを買う行動をしてくれる。
力任せに振り回した斧で飼育小屋を傷付け、中の生物が怯えた。
1年生が(孫次郎だけだが)泣いた。
澄姫の特別可愛がっている山犬を(ちょこっとだけ)傷付けた。
勿論許されることではないが、これから起こる惨劇を考えると新木心愛に同情心も湧くものだ。
せめて可愛い1年生の心だけでも守らねば、と涙を呑む八左ヱ門の目の前に、救世主が現れた。

「まだ無事か!?」

「「「「「潮江先輩!!」」」」」

突然背中が軽くなり、驚いた八左ヱ門が振り返ると、そこには文次郎と小平太の姿があった。

「竹左ヱ門!!私たちが1年を連れて行く!!飼育小屋の生物を守れ!!」

「七松先輩!!ありがとうございます!!でも俺八左ヱ門です!!」

「細かいことは気にするな!!」

文次郎と小平太が1年4人を抱えその場を去り、飼育小屋の前に立ち塞がる同級生たちの姿を見つけると、八左ヱ門は一気にホッとして駆け寄って行った。

その様子をじっと見ていた澄姫は、新木心愛の背後にさっと立ち塞がった仙蔵に問いかけた。

「もう、行った?」

「ああ、1年生の避難は済んだぞ」

案の定返ってきた仙蔵のその言葉を聞き、澄姫はじゃらりと己の武器を取り出して、その長い鎖で地面をびしゃりと打つ。






「さあ、私に文句があるのよね?いいわ、かかってらっしゃい、醜女」




そう挑発的に吐き捨てると、空ろだった心愛の目がかっと見開かれ、叫び声と共に澄姫に飛び掛ってきた。

しかし生まれてこの方戦いなど経験したことのない心愛が、くノ一教室の中でもとび抜けて優秀な澄姫に敵うなど、天地がひっくり返ったとしてもある訳がない。
滅多矢鱈に斧を振り回す心愛の攻撃を、澄姫はひらりひらりと舞い散る桜のように優雅に避ける。同時に、決して致命傷にはならない、しかし確実に動きを鈍らせる傷を心愛に付けていく。

「このっ、このぉぉぉ!!!」

「あらいやだ、品のない女ね」

「品がないのはアンタでしょ!!どうせ皆寝取った癖に!!この淫乱!!売女!!」

「まあ、とんだ言い掛かり」

澄姫の武器の先端についている分銅が、がつんと心愛の足首を打った。

「きああああ!!!」

慣れない痛みに心愛は斧を取り落とす。
そのまま足首を抱えて地面に倒れる心愛に、遠慮なく澄姫の武器が振り下ろされる。

「何を寝ているの?ほら、早く立って」

「痛い、痛いぃ、も、やめてよぉぉ」

「先に始めたのは貴女じゃない、それに」

バキッと、今度は肩に打ち付けられる分銅。

「まだ文句、聞いていないわよ?」

「ひっ、も、もうやだっ!!いやだぁぁ!!」

そう言って泣き出す心愛を見て、澄姫は優しく笑った。

「そう、嫌なの。じゃあ仕方ないわね、『私は醜いゴミ虫です』って言ったら勘弁してあげるわ」

ひくひくと泣きながらも、心愛は恥も外見もかなぐり捨てて必死に痛みから逃れようと、澄姫の言葉を繰り返した。

「わ、私はみにくいゴミ虫です…」

とんでもない屈辱だが、これで終わる。そう思っていると、綺麗に笑った澄姫が告げた。

「え?風の音がうるさくて聞こえなかったわ」

その言葉に心愛の目の前は真っ暗になる。
しかしそんな心愛の心境など興味が無いとばかりに、澄姫は見蕩れるほど綺麗に笑って、砂糖よりも甘い声で至極楽しげに囁くのだ。

「そういえば、“あの時”の“お礼”もしなくちゃいけなかったわね」

「ひィ…っ!!」

「さぁ、続けましょ?」




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まるで拷問のようなその光景を前に、半助は遠い目をしていた。

「いつ見ても、えげつない…」

そう呟いて周りを見渡すと、5年生の5人は直視しないように顔を背けてちょっと震えていたし、留三郎は凄い汗をかいてやっぱり震えているし、あの仙蔵ですらちょっと引いているように見える。


ただ一人、長次だけが相変わらずの仏頂面でその光景を見ていた。


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