崩壊

医務室での騒動があった日の夜。
3年長屋の伊賀崎孫兵の部屋に、ろ組の富松作兵衛とは組の三反田数馬がこそこそと入っていった。

「ん?作兵衛に数馬じゃないか、どうかした?」

恐らく生物委員会の仕事であろう、虫かごの修理をしながら、孫兵はその珍しい組み合わせに首を傾げた。

「孫兵、忙しいのにごめんね…ちょっといいかな?」

数馬のいつに無く真剣な眼差しに、孫兵は素直に虫かごを文机に置いて、2人に座るよう促して、自らも姿勢を正した。

「実は、天女…に、ついてなんだけど…」

作兵衛がぎこちなく、口を開いた。

「実はな、今日三之助と左門をそれぞれ委員会まで送って、俺も委員会に向かってた時に、天女にバッタリ会ったんだ。今までなら声掛けても無視、聞かれることといえば“上級生どこ”だったろ?」

「そうだね」

「なのに、今日は“暇なら一緒に遊ばない?”って誘われたんだよ」

まぁ断ったけどな、と作兵衛は鼻で笑った。

「僕のところも、今日医務室に天女…心愛さんが来てね、伊作先輩を探してたらしくて。居ないといつも帰るのに、今日は医務室で待つって言って…そこで、左近とちょっと言い合いになっちゃって…怒った心愛さんが、左近をぶとうとして…結果的に伊作先輩が止めてくれたからよかったんだけど…」

数馬が俯いて話したその内容に、作兵衛と孫兵は顔を見合わせる。

「…でね、それとは関係ないと思うんだけど、僕ね…心愛さんに笑いかけられた時に、一瞬だけ、ちょっと、おかしな気分になって…」

俯きながら、小さく呟いたその内容に、孫兵と顔を見合わせていた作兵衛は慌てて数馬の肩を掴んで激しく揺すった。

「なっ!!何でだよ数馬!?大丈夫か!!?」

「あわわわわ…」

それを止めもせず、孫兵はなにやら難しい顔つきでその麗しい眉根を寄せて“なるほど”と呟いた。
その呟きに数馬を揺するのを止めた作兵衛が、疑問符を浮かべて孫兵を見る。

「生物委員会委員長の澄姫先輩が6年生と話してるのって、それか…」

「え?え?孫兵なんか知ってんのか?」

「多分ね」

くるくると目を回してしまった数馬から手を離して、作兵衛は孫兵に詰め寄る。
それに少し驚きつつも、孫兵はゆっくりと話し始めた。

「あの女が学園に来た時、澄姫先輩は忍務で学園を離れていた。その時の上級生の様子、覚えてるだろ?」

「え?ああ、一部の上級生が天女に纏わりついてた時のあれか?」

「そう。澄姫先輩が戻ってきて…まぁ、色々されて…元通りになったけど、先輩曰く、あれは幻術か薬が原因じゃないかって話をこっそり聞いたんだ」

「こっそりって…まさか孫兵、上級生の部屋にこっそり忍び込んで!!?」

「まさか。そんなのすぐバレるよ。ジュンコを探してた時に偶然聞こえたんだ」

「あぁ、ジュンコを…」

「これは僕の推測だけど、あの女、集ってた男を澄姫先輩に取り返されて、かなり怒ってるみたい。あの手の女は、そっちがダメならこっち、って思考だと思うよ」

「つまり、それって…」

「上級生がダメなら、僕たち下級生ってこと…?」

いつの間にか復活したらしい数馬が、作兵衛と共に、顔を青褪めさせて呟いた。

「恐らくね。あくまで僕の憶測だけど、下級生を狙って作兵衛に声を掛けたのに、川西は叩こうとするなんて…勝手な女。まあでも、その話はいずれ澄姫先輩の耳に入るから、僕たちは身を守ることを考えようか」

「そ、そうだね。僕は藤内に伝えておくよ」

「俺も、三之助と左門に注意してやらねぇと」

2人は孫兵にありがとう、とお礼を言い、各々の部屋に帰っていった。
それに軽く手を振り、孫兵はまた虫かごの修繕に着手する。




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どうやらその噂は翌日すぐに蔓延したらしく、心愛はしぶしぶ警戒の薄い1年生の近くで昼食を取っていた。
楽しそうにきゃいきゃいと騒ぐ声が、戯れるその姿が、全てが苛立った心愛の癪に障る。
視線を上げると嫌でも目に入る、楽しそうな顔。
それぞれが友人と、後輩と、先輩と、とても楽しそうな笑顔を浮かべている。
そして、ちらほら見える桃色と深赤色が、心愛を益々苛立たせる。
はにかみながらお互い近くに座る群青色と深赤色、甲斐甲斐しく水色の世話を焼く桃色、そして、

深緑や群青や紫、萌黄、色とりどりに囲まれた、深赤色。



ぐちゃりと、心愛の頭の中で、何かが潰れる音が聞こえた。


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