発覚

新木心愛は、言いつけられた仕事もせず、朝食のあと自室に戻っていた。
自分を無視して、楽しそうに笑う6年生や5年生、辛辣な4年生。
悔しそうに下唇を噛み締める。
唯一笑いかけてくれた伊作も、あの甘い笑顔ではなくどこか事務的な笑顔だった。
つい先日まで、新木心愛が居た場所。
今やそこは、あの憎らしい平澄姫がふんぞり返っている。
そう恨めしく考える心愛は気付かない。
それが正しいことだと、今までの光景だと。
自分がやってきたことが、異質なことだとは、決して考えない。

「…こうなったら…」

爪を噛みながら、部屋の隅で彼女は呟いて暗く笑った。



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放課後。
委員会活動があるので、同級生をいつものように縄で繋ぎ、作兵衛は校庭へ向かっていた。

「滝夜叉丸先輩!!三之助連れて来やした!!」

「ん?あぁ、いつもすまんな、作兵衛…」

別に1人で大丈夫なのに、とぼやく三之助の腰の縄を滝夜叉丸に渡し、踵を返して会計室を目指す。

「こっちだー!!」

「違ぁう!!会計室はあっちだ!!」

そんないつものやりとりをしながら、作兵衛は左門を引き連れて会計室の扉を叩いた。

「すいやせーん、左門連れて来やした!!」

「ああ、いつもすまない、作兵衛」

扉を開けて顔を出した三木ヱ門は、いつも喧嘩ばかりのライバルとほとんど同じ事を言って、作兵衛から左門の縄を受け取った。

「作、ありがとう!!委員会頑張れよ!!」

そう言って無邪気に笑う左門に、作兵衛は呆れたような照れたような笑みを浮かべて「おう、お前もな」と告げ、ひらと手を振り用具委員会の活動している倉庫に向かって駆けていった。
急ぐ作兵衛が廊下の角を曲がったところで、ふいに妙な臭いが鼻を突いた。
その異臭に首を傾げ、くるりと周辺を見回すと、廊下の先から見慣れない薄紅色が歩いてくるのが見え、作兵衛は思わず顔を顰めた。

「あっ、えーっと、留三郎くんとこの…なんだっけ?けまつくん?」

「富松ですよ!!」

「あ、そうそう富松くん!!ねーねー今暇?もしよかったら一緒に遊ばない?」

食満先輩との合体ネームに思わずツッコんでしまい、会話を引き伸ばしてしまったと、作兵衛は小さく舌打ちした。

「…すんません、これから委員会で忙しいんス」

なるべく感情を出さないように、作兵衛はそれだけ言って、走り去った。
笑顔が引き攣った心愛を廊下に残して。


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ごりごり、するする、と色々な音が響く医務室の扉を叩く音が聞こえて、乱太郎は包帯を巻く手を止め、はぁい、と返事をして扉を開ける。

「こんにちはー、伊作くん、いるかなぁ?」

そこに立っていた薄紅色の着物を着た女性を見て、乱太郎は開けなきゃよかったと酷く後悔した。
それは薬草を磨り潰していた三反田数馬も、薬箱の整理をしていた川西左近も同じ気持ちだったようで。
唯一、包帯を巻いていた鶴町伏木蔵がいつものように「すりるぅ〜」と楽しげに呟いた。

「あ、い、伊作先輩なら、今外しています…」

「えっ、なんだ、そーなのぉ。じゃあ待たせてもらうね」

そう言ってずかずかと医務室に入り、図々しく居座るつもりの心愛に数馬と左近は目配せをした。
最近間者の疑いが晴れ、監視が外れたらしいけど、上級生が皆警戒しているんだと、伊作から聞いていた数馬と左近は、頷きあって乱太郎と伏木蔵を呼んだ。

「乱太郎、伊作先輩は新野先生と薬草園に居るはずだから、呼んできてくれないかな?」

「伏木蔵、包帯が足りないみたいだ。悪いけど事務室へ行って、小松田さんか事務員のおばちゃんから古布を貰ってきてくれないか?」

そう言われた乱太郎と伏木蔵は、元気よく「はーい」と返事をし、仲良く医務室を出て行った。

パタパタと小さな足音が遠ざかっていったのを確認し、数馬はこっそりと、左近は敵意剥き出して、心愛を睨んだ。

「新木心愛さん、伊作先輩にどういったご用件ですか?」

数馬がそう問いかけると、心愛はにっこりと笑って懐から手拭を取り出した。

「朝の急な雨で濡れちゃった時に、伊作くんが貸してくれた手拭を返しに来たの」

そう言ってにこにこ笑う心愛に、数馬は心を擽られるように感じた。
先程まで警戒していたはずなのに、目の前の女性はとても可憐で可愛らしく、守るべき対象のようにも感じられる。
お茶でも出そうかと腰を上げようとしたその時、ぐいと袖を引かれ、数馬は後ろ向きにすっ転んだ。

「あんた、いつまで忍術学園に居座るつもりなんだよ」

その刃のように鋭い声は左近のもので、数馬は転がったまま驚く。
2年生は確かにツンデレ学年と影で呼ばれ、キツイ性格をした子が多い。
しかし、実は皆とても礼儀正しく責任感があり、優しい。
先程の発言は、学園を守りたいと思う優しい彼らの警戒心の表れなのだろう。

「え?だって学園長先生はいてもいいって…」

「それはずっとじゃないだろ、入学したわけでも就職したわけでもないのに」

「で、でも私ここ以外居る場所がなくて…」

「そんなわけ無いだろ。探したのか?出て行く努力はしたのか?」

「それ、は…」

「忍術学園でただで養ってもらうつもりか?1年は組の摂津のきり丸が聞いたら血の涙流しそうだ」

自分よりも4つも5つも年下の少年にそう嘲笑され、心愛は怒りのあまり震え出す。ひゅっと高く振り上げられた腕に、数馬の体は自然と動いた。

バシッと、乾いた音が医務室に響く。
左近を抱き、襲ってくる衝撃にぎゅっと目を瞑っていた数馬だったが、音はしたのにいつまでたっても来ない衝撃をいぶかしんで、薄く目を開けた。
視界を染めたのは、震える井桁模様。

「ら、乱太郎!!大丈夫か!?」

慌てて自分たちの目の前に手を広げて立ち塞がっている乱太郎の顔や体を確認する左近だったが、数馬の呟きに動きを止めて、その視線の先を見た。

「伊作、先輩…」

「数馬、左近、大丈夫かい?」

優しく笑う伊作の手は心愛の振り上げられた腕をしっかりと掴んでおり、乱太郎がぶたれていないことを理解した左近が安堵の溜息を吐く。

「い、伊作くん…あの、これは、あの子が…っ!!」

そう言って心愛は左近を指差して必死に、自分は悪くない、この子が酷いことを言うから、と伊作に訴える。

「うん、聞いていたよ。でもね、いくら酷いことを言われたからって、左近はまだ11歳なんだよ?そんな歳の子を年上の貴女がぶっていい理由にはならない」

「で、でも…」

「左近はそんなに酷いことを貴女に言ったかな?確かに左近の言い方はキツイけど、内容はこの学園の誰もが感じている疑問だったよ?」

黙り込んでしまった心愛に、伊作は珍しく鋭い目を向け、彼女の腕をぎりりと強く捻った。

「それに貴女、さっき数馬に何をしようとしたの?」

それに驚いたのは、数馬だった。
さっきの、正常な思考を奪われるような感覚。あれは一体なんだったのか。
そんな数馬の思考をぶった切るように、心愛の悲鳴が響いた。

「いた、いたいっ!!離してよ!!私は何もしてないもん!!」

その悲鳴で、伊作が心愛の腕を離すと、彼女は床に伊作の手拭を叩きつけて、医務室を飛び出していった。

いつから戻っていたのだろう、扉の傍で「すりるぅ〜」と呟いた伏木蔵に伊作は苦笑し、手拭を拾い上げた。
その際鼻に突いた臭い。
伊作はそんなはずはない、と思いながらすんすんと自身の忍装束を鼻に寄せ、同じように手拭の匂いを嗅いで、驚きのあまりそれを取り落とす。

「伊作先輩?どうかされましたか?」

「あ、あぁ…いや、なんでもないよ」

不思議そうに問いかけてきた数馬に悟られないように、そっとその手拭を自身の薬臭い装束の懐へ隠す。
臭いが下級生の後輩たちに漏れないように、伊作はぎゅっと装束の上からそれを押さえつけた。

「さあ、今日はもう終わりにしよう。当番の左近と乱太郎は、新野先生がいらっしゃるまで頼んだよ」

「「「「はい!!」」」」




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(数馬にも、まだ早過ぎる) 
(小平太と竹谷の言っていた“臭い”っていうのは、これだったんだ)
(僕はどうして気付かなかったんだろう)
(新木心愛から臭うのは)


(死臭、だ)


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