贈物

いつもと変わらない、朝。
がやがやと騒がしい食堂に、一層お肌の艶がいい澄姫がやってきた。

「おはよう、おばちゃん」

「あら澄姫ちゃん、おはよう。なんだか今日は一段と綺麗ねえ。何かいいことでもあったの?」

「うふふ、そうなの、これ…」

そう言って、澄姫は自身の絹糸のような髪を纏めている簪に触れた。

「あら、綺麗な翡翠色の簪ねえ。なに、好い人から貰ったの?」

「ええ、うふふ、似合うかしら?」

「とぉっても。その人はよく澄姫ちゃんのことを見てるのねえ」

「え?」

「だって、青とか赤とか紫の簪や髪紐はよく見るし似合ってるけど、澄姫ちゃん緑って持ってないんじゃない?」

そうおばちゃんに言われて、澄姫は自分の文机の引き出しの中に仕舞われている髪飾りなどを思い出す。
おばちゃんの言う通り、自分の手持ちの中に緑色のものは無かったような気がする。

「そういえば、そうだわ。緑色って、買ったことない…」

そう呟くと、おばちゃんは笑みを濃くして『でしょ』と言った。

「きっとそれも含めて、その『好い人』は澄姫ちゃんにその翡翠色の簪を贈ったのねえ…印象も柔らかい感じがするし、とっても素敵よ」

おばちゃんはそう言って朝食を二つ手に持つと、ずーっと澄姫の後ろに居た深緑色にお盆を差し出しながら、『長次くんもそう思うでしょ?』と笑った。
途端照れ出す2人をよそに、おばちゃんは楽しそうに笑った。



朝食を受け取った2人は、その様子をにまにま笑って見ていた深緑色の塊の居る机へと向かい、朝食を取り始める。
出入り口にほど近い席に座った澄姫は、寝ぼけ眼の1年生や、お腹を空かせた2年生や3年生、やっといつもの顔触れで食事を取るようになった4年生や5年生と挨拶をしたり、満足そうにその姿を見つめていた。

そして、澄姫の周りの深緑色の塊も、後輩たちにそう思われているのだろう。嬉しそうな視線を、あちらこちらから感じている。

「…随分上機嫌だな、澄姫」

そう正面に座る仙蔵に言われ、素直に頷く。

「ええ、貴方たちも、後輩たちもね」

2人はくすくすと笑う。
仙蔵の隣に居た小平太も、楽しそうに澄姫の横に座る長次と話していた。
その様子を穏やかに見つめていた伊作が、逆側に視線を向けると、どんよりした空気を背負った犬猿の2人が空ろな目で朝食を口に運んでいた。

「留三郎、文次郎、大丈夫?」

「…大丈夫な…わけ…あるか…ばかたれぃ…」

「くそ…体が言うこと聞きゃしねー…」

「あら?文次郎と留三郎具合でも悪いの?」

ぎしぎしと悲鳴を上げる言う事を聞かない体で必死に箸を動かす犬猿の2人に、澄姫がそう声を掛けると、ギロッと睨み返された。
不思議そうにその視線を受け流していると、笑いを堪えている仙蔵の隣から元気な小平太が口を開いた。

「ああ!!文次郎と留三郎は私と徹夜で鍛錬したんだ!!」

「鍛錬なんて可愛いもんじゃねえ!!拷問だあれは!!」

「夜通しで裏裏裏山を穿り返して…俺たちはモグラじゃねー!!」

「小平太のペースで鍛錬したの!?ぷぷ…間抜けねぇ…」

自殺志願者じゃあるまいし、そう澄姫が笑うと、顔を真っ赤にした犬猿が同じタイミングで箸を置き、机を叩いて立ち上がって怒鳴った。

「「元はと言えばお前らの所為だ!!」」

「ははは!!長次と澄姫がセ「「言わせるか!!」」たからな、部屋に戻るなと仙蔵と伊作に言われて、文次郎と留三郎を誘って鍛錬したんだ!!」

それを聞いた長次は物凄く申し訳なさそうな顔をして犬猿を見た。
そのあまりにもしゅんとした表情に、犬猿は罪悪感に苛まれる。

「い、いや、まあ、あれだ。鍛錬は、構わんのだが…」

「そ、そうそう!!限度ッつーもんをな、小平太に…」

懸命に友人を励ます犬猿に、堪えきれず仙蔵と澄姫はとうとう笑い出した。
それとほぼ同時に、今まで晴天だった空はゴロゴロと不穏な暗雲で覆われ、バケツをひっくり返したような豪雨が地面を激しく打った。

「意見が一致したからだ…」

どこからか聞こえてきたその声に、文次郎と留三郎は微妙な表情で顔を見合わせた。



「ひゃぁ、びっくりしたぁ」

突如、穏やかな空間をぶち壊すかのように、甘ったるい声が食堂に響いた。
瞬間、上級生は談笑と食事の手を止め、じっと声の主…新木心愛を見やる。
その異様なまでに張り詰めた雰囲気に下級生たちはびくりと体を震わせ、食事が終わっている者は早々に食堂を去り、終わっていない者は大慌てで食事を口に詰め込み、友人たちの後を追って出て行った。
わいわいと賑わっていた食堂はしんと静まり返り、ちらほらと見えるくのたまの食事の音が小さくカチャカチャと聞こえるだけだった。
微かに飛び交う殺気と、警戒の眼差し。
しかしそんなものはお構いなしとばかりに、心愛は雨に濡れたせいで顔に張り付く髪を鬱陶しそうに払いながら、カウンターのおばちゃんに声を掛ける。

「突然大雨が降ってくるんだもん、お陰でびしょびしょ」

「あ、え、ええ、そうね、凄かったわねえ」

今まで一部の教員や上級生の生徒にしか話しかけなかった心愛に突然そう振られ、おばちゃんは驚いたが、何とかぎこちない笑顔で応じた。

「ねー。あ、朝ご飯くださぁい。あと拭くものある?」

おばちゃんにそう言って、カウンターの前に立つ心愛の頭に、ぱさりと一枚の手拭がかけられた。

「風邪引いたら大変だから、どうぞ、それ使ってください」

そう言って、明らかに愛想笑いの伊作がカウンターに食器を返却して食堂から出て行った。
そんな彼を追うように、留三郎が続き、くのたまたち、小平太、長次、雷蔵、三郎…と、ゾロゾロと食堂から去っていった。
あっという間に、残ったのは仙蔵、文次郎、澄姫、兵助、八左ヱ門、喜八郎、滝夜叉丸の6人だけになった。
今までならば悔しそうに澄姫を睨んでいた心愛だが、さして気に留めていない様子でお盆を受け取り、空いている席で髪を拭いてから食事を始めた。




「ごちそーさまー」

喜八郎のその声で、彼の食事が終わるのを待っていた滝夜叉丸が食器を持って立ち上がる。

「よし、では行くぞ、授業に遅れてしまう」

「おー」

きびきび、だらだら、と対照的な2人がカウンターに食器を返却する。

「あ、おはよぉ滝夜叉丸くん、喜八郎くん、これから授業?」

纏わりつくような声でそう尋ねた心愛に、滝夜叉丸は引き攣った笑顔で「はぁ、まぁ…」と曖昧に答え、そそくさと出入り口の姉のところに向かおうとしたのだが、隣を歩いていた喜八郎がいつもの無表情で吐いた辛辣な言葉に目を剥いた。

「当たり前じゃないですか、貴女顔だけじゃなく頭も悪いんですね」

「ききき喜八郎!?」

驚き慌てふためく滝夜叉丸と、なんとか笑いを堪える澄姫。

「さすが作法委員会、半端ねえ…」

文次郎の呟きに、仙蔵がにんまりと笑う。
不機嫌そうな喜八郎の背中を、滝夜叉丸がぐいぐいと押し、どたどたと食堂の出入り口に向かう。

「姉上、失礼いたします!!」

それでもしっかりと澄姫に挨拶はしていった。


「…俺たちもそろそろ行こうぜ、いつまで食ってんだよ兵助…」

黙って傍観していた八左ヱ門がなかなか食べ終わらない友人にそう声を掛けて、呆れたように頬杖をついてお茶を啜り、兵助の顔を覗き込み、噴いた。

「おまっ、どうした!!!冷奴残ってんじゃねえか!!!」

そのあまりの大声に、なんだなんだと文次郎と仙蔵が様子を伺いに行く。

「久々知、好きなものを取っておきたい気持ちは分かるが、幾らなんでも置いておき過ぎだ。ぬるくなってるぞ?確か私よりも早く食堂に来ていたはずだろう」

「それとも体調が悪いのか?」

呆れている仙蔵と、心配する文次郎と、口からだらだらとお茶なのか涎なのかを垂らし続けている八左ヱ門。
そんな大変面白い連中を見もせず、兵助は冷奴を見つめ項垂れている。
そこに食器を片付けた澄姫が優雅に歩いてきて、兵助に顔を近付けて笑いながら囁いた。

「思い出しちゃって、食べれないのよね?」

びっくぅ、と、可哀想になるほど飛び上がってはひゅはひゅと泣きそうになっている兵助を撫でてやりながら、澄姫は申し訳なさそうに笑った。

「あ…なるほど」

「ははは、そうか、ははは!!」

「仙蔵、よせ。さすがに久々知が可哀想だ…」




とても楽しそうな、どこか暖かいその雰囲気。
そんな和気藹々とした5人を、新木心愛は暗い瞳でじっと見ていた。


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