騒動

今日は休日のため、授業がない。上級生ともなれば平日休日関係なく鍛錬に励むものだが、澄姫は朝早くから落ち着きなく自室をうろうろしていた。

仙蔵や文次郎に励まされた澄姫は、昨日伊作と歩いていた長次を見つけ、一緒に出かけないかと誘った。
断られると思っていたその誘いに、長次は意外にも首を縦に振り、隣の伊作は笑顔でよかったねなんて言っていた。
ぼろぼろの伊作に首を傾げながらも、澄姫は嬉しそうに伊作の言葉に頷き、上機嫌に長次に手を振り自室へと掛けていった。

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そして、当日。
久々の高揚感に澄姫は良く眠れなかった。しかも緊張で落ち着かない。
どんな着物を着ていこう、髪飾りはどうしよう、長次は美しいと言ってくれるだろうか、いやそもそも、ちゃんと待ち合わせの場所まで来てくれるだろうか?そんなことをぐるぐると考えてしまい、浮かれたり落ち込んだり。
ああでもないこうでもないと、着物をあちらこちらに放っていたが、その時ふと目に入った物。

「あ…これ…」

色とりどりの着物の下から出てきた、帯。
澄姫はそれを拾い上げ、そっと柄を撫でる。
この帯は、長次と心が通じ合って初めての逢引で身につけたもの。
大人びていると称えられる澄姫にしては可愛らしい、薄桜色。
一目惚れで購入したが、自分には幼すぎて似合わない。後輩にあげようと思い、その前に一度だけと、着ていった。
長次に、自分の好きなものを知ってもらいたくて。似合わないと言われたら町で新しい帯でも買えば良い、そんな軽い気持ちで出掛けた澄姫に、彼はとても優しい笑顔で、言ってくれた。

『…優しく、美しい印象が、澄姫に良く、似合っている…』

舞い上がるほど嬉しかった。
いつも女王とか魔女とか言われる自分の事を、そんな風に言ってくれる人がいる事がこんなに幸せだと思ったことはなかった。

「…これに、しよう」

長次は、また褒めてくれるかしら。それとも、もう覚えてなんていないかしら。
そんなことをぼんやり思いながら、澄姫はゆったりと着替えて化粧を済ませ、待ち合わせ場所に出掛けていった。


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澄姫が校門の前に歩いていくと、既に長次が待っていた。
小松田さんの差し出す出門表に名前を記し、彼の明るい「いってらっしゃーい」という声を背中に受け、2人は町に向かってゆっくり歩き出した。


もともと口数の少ない長次と出掛けると、道中とても静かになる。
普段はその沈黙すら心地よいのだが、澄姫はほんの少し気落ちして、藤色の着物の袖を摘んで、数歩下がって彼の後を歩いた。

山を下り森を抜け、しばらく歩くと町に着く。
今日は市でも出ていたのか人が多く、賑わっていた。
澄姫は長次の着物の袖を引き、路地を挟んだひとつ向こうの通りに本屋があるの、と伝えた。
それを聞き(分かりにくいが)ほんの少しだけ煌いた長次の瞳を見て、澄姫は行きましょう、と笑顔で彼の手を引いた。

本屋はこじんまりとした佇まいではあるが、玄人が好みそうな本を取り扱っているとくノ一教室で評判だった。澄姫は是非長次にと、今回彼を町へと誘った。

「ここ、かしら?」

澄姫が重そうな扉に手を掛けようとした時、ふいに隣から手が伸びてきた。
驚いた澄姫が手を引っ込め顔を上げると、彼女の隣には同じように驚いた青年が立っていた。

「あ、申し訳ございません」

そう笑顔で言って体を引く澄姫に、青年も同じように笑って頭を下げた。

「いや失礼、先に失礼しますよ、美しいお嬢さん」

そう言って本屋に入っていった青年に、澄姫と長次も続く。
中には所狭しと積まれた本、本、本。中にはかなり貴重なものもあったらしく、長次は(とても分かりにくいが)嬉しそうに店主と話していた。
そんな彼を、澄姫は手近にあった本を取り軽く目を通しながら、愛おしそうに見つめていた。


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「…すまない、待たせた…」

心行くまで店主と話したのだろう、満足げな長次が申し訳なさそうな顔をして澄姫に声を掛けた。
それに緩く首を振り、彼女は笑う。

「いいのよ、楽しかったのでしょう?」

その言葉に、長次ははにかみながら頷く。
そんな彼らの様子を微笑ましげに見ていた店主が、長次に手招きした。

「兄さん、この本も持っていきなさい」

「…しかし…これは、先程…」

「いいんじゃ、いいんじゃ。こんな老いぼれが持っているより、お前さんの勉学の役に立てなさい。その代わり、先程の話、どうか覚えていておくれ」

「…ありがとう、ございます」

「ああ、大事にしなさい」

この本も、その別嬪の嫁さんもな。そう店主のおじいさんは楽しそうに笑った。
その一言に頬を染めた2人は、気まずいながらも嬉しそうに本屋を出た。

しばらく反物屋や小間物屋を見たりして町を歩いていたが、一息つくために茶屋に入った。
厠に行くと言い長次が席を外したので、澄姫はゆっくりお茶を飲みながら注文した団子を食べつつ、長次を待っていた。

「あれ、貴女はさっきの…」

突然声を掛けられ、澄姫が振り向くと、先程本屋で会った青年が立っていた。

「あら、本屋の…」

澄姫は湯飲みを置きぺこりと頭を下げる。すると、青年は彼女の隣に腰を下ろした。
またか…と思ったが、長次が戻らないのに勝手に茶屋を去るわけにも行かず、なるべく関わらないように青年から視線を外した。
そんな彼女にはお構いなしで、青年は笑顔で話しかける。

「いやあ、先程はありがとうございました。でも貴女のような美しいお嬢さんとまた会えるなんて、俺、今日はツイてますねえ」

「そうですか」

「あ、俺隣の町から来てまして」

「そうですか」

「名前は胡五郎といいます。お嬢さんのお名前は?」

「…平、澄姫…です…」

「いやぁお名前も美しい!!この町の方ではないですよね?」

「そうですね」

胡五郎と名乗った青年は、澄姫のことを美しい美しいと褒め称えながら、どんどんと距離をつめ、茶屋の軒先であるにも拘らず、彼女の腰を抱き寄せるように手を這わせていた。
青年の下心にうんざりしていた澄姫だが、大通りも近いこの茶屋で騒ぎを起こすわけにも行かず、苛々しながら長次を待っていた。

「是非この後、俺と…」

なんだかんだ言いつつも、結局目的はソレか。そう呆れて、執拗に宿へ誘うこのしつこい青年の頬を打ってやろうと澄姫が手を振り上げた途端、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
まるでプロの忍者と対峙してしまった時のような緊張感と、殺気。
驚いて勢い良く振り返った澄姫の目に映ったのは、不気味に笑う長次だった。

「ふへっ…うひひ…うぇっへっへ…」

「ちょ、長次…」

「な、なんだ、こいつ…」

笑う長次と、怯む澄姫と、びびる青年。
長次は大股で澄姫に近付き、彼女の腰に手を回す青年の腕を掴み、捻りあげる。

「いでっでで!!何するんだ!!」

必死に長次の腕を振り払おうとするが、鍛えられている長次の腕を一般人である青年が振り払うのは到底無理なこと。
腕を掴まれたまま騒ぐ青年の耳元で、長次が笑顔のまま呟く。

「何を、している」

その小さい声は怒りを含んでいて、そして何故かはっきりと聞こえた。

「離せ!!俺は別に…彼女と話をしていただけだ!!」

「話すだけで腰に手を回すのか?」

「おっ、お前には関係ないだろ!?」

青年がぶっきらぼうにそう言い切ると、長次は彼の腕を放し、驚く澄姫の細い腕を掴んで乱暴に抱き寄せた。

「関係ある。これは私の女だ、汚い手で勝手に触れるな」

そう唸るように言い放ち、尻餅をついている男の手の傍に、澄姫が食べ終わった団子の串を鋭く投げた。
串は見事に青年の指と指の間の地面に突き刺さり、それに怯えた青年は情けない悲鳴を上げて逃げていった。
心配そうに伺っていた茶屋の客や店主が、長次の見せた男気に何故か拍手を送り、歓声や指笛で盛り上がる。

その歓声を受けてふと我に返り、恥ずかしくなった長次は、小銭を湯飲みの隣に置き、ぼけっとしたままの澄姫を抱えて茶屋を走り去った。


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