沈黙の嫉妬

秋が別れを告げるかのように、冷たい風が肌を突き刺す。
赤く染まった葉が風に浚われ散っていく様を眺めながら立ち尽くしていた中在家長次は、目の前の深赤を信じられないとでもいう様な瞳でただ見つめていた。

「私、この人と添い遂げることに決めたの」

桜色の唇が動き、彼に告げる残酷な言葉。今までずっと見てきた幸せそうな瞳で隣に立つ男を見つめる彼女の瞳は、それまでずっと彼にだけ向けられてきた恋する眼差し。

「そういうことだ。すまんな」

美しい髪を風に靡かせた級友は、少しだけ申し訳なさそうな顔をして長次にそう言うと、澄姫の腰に手を回す。
いつものように、それは私の女だ、勝手に手を触れるなと言おうとした長次は、しかしすんでのところで声が喉に詰まり、言葉が出てこない。手も、足も、体も、何もかもが彼の言うことを聞かずに、ただその場で固まってしまったかのように立ち尽くす。

「さよなら長次。カメ子ちゃんとどうか幸せに」

「安心しろ、澄姫は私が一生をかけて守り、幸せにしてみせるさ」

美しい笑顔で見つめ合い、動けない彼にそれだけ言うと、2人は寄り添い、背を向けて歩き出す。引き止めたくても引き止められない彼は一体何故、どうしてだと何度も何度も思い、うまく息もできない世界で、なにもできないままただ絶望感に苛まれ、その場に膝をついた。




その衝撃でびくりと身体が引き攣り、勢い良く息を吸い込む。
視界に飛び込んだ天井に長次は一瞬訳が分からなくなったけれど、一呼吸おいて今のは夢だったのかと胸を撫で下ろした。

「……悪夢…」

ぼそりと零れた彼の一言は的を得ていて、ばくばくとうるさい心臓を押さえながら起き上った彼は、扉の向こうから聞こえる雨音に、最悪だと溜息を吐く。
秋も深まってきたこの日、悪夢に起こされ長次の1日は幕を開けた。



朝食時、まだ眠たい目を擦りながら食堂にやってきた生徒たちは、世にも珍しい光景に朝から驚かされ、直後砂糖を水飴で練り上げはちみつを混ぜ合わせたものを一口で飲み込んだような顔になる。

「…あの、長次…やっぱりその、これはちょっと、恥ずかしいわ…」

「………」

それも仕方のないことかもしれない。忍術学園で美女と野獣カップルと称される中在家長次と平澄姫が、食事中だというにもかかわらずイチャついているのだから。
礼儀作法には割とうるさい方の長次が澄姫を膝に乗せたまま食事をし、その膝の上で真っ赤な顔をしている澄姫は食事どころではないのだろう、箸が全然進んでいない。
その光景を見て彼らの同級生が嗜めても、先生に叱られても、食堂のおばちゃんに怒鳴られても、長次は澄姫を膝から降ろさない。
余りにも頑ななその姿勢に、ふむ、と小平太が箸を置いた。

「長次、なにかあったのか?」

誰もが聞きたい、けれど聞けない一言を発した暴君に居合わせた生徒たちは内心で拍手喝采。けれど、沈黙の生き字引は俯き、緩く首を振るだけ。
なんでもないならくっつくなよと文次郎のこめかみが引き攣ったがしかし、小平太だけはその違和感に気が付いた。

「…そうか!!まあ気が済むまでくっついていると良い!!秋は人恋しくなる季節だからな!!」

それだけ言うと、食器を片付け食堂を出て行ってしまう。
その背中に誰しもが、それだけかよ、とツッコんだが、声にまで出せる者はいなかった。

しかし、これだけでは勿論終わらない。
食事をなんとか済ませた後も、長次は澄姫を意地でも離さないのだ。授業が始まると言っても細い腰に腕を回したまま、あろうことかろ組に連れ込もうとまでする始末。怒りを通り越して呆れた先生がまるで駄々っ子のような長次に理由を聞いても、頑なに口を噤むだけ。せめて理由だけでもわかれば納得するかもしれないぞと言っても、長次は何も言わず、ただ澄姫をぎゅうと抱きしめるばかり。
結局先生の方が折れ、ろ組で授業を受けることになった澄姫は、授業中も長次の膝の上から離してもらえず、同級生に茶化されながら恥ずかしい午前中を過ごした。
昼食時ももちろん朝と同じ風景、昼からの実習授業も、長次は澄姫を離さない。
明らかにおかしい友人の姿に、仙蔵と伊作が顔を見合わせとうとう彼に声をかけた。

「長次、どこか具合でも悪いのかい?それとも何かあったのかい?」

「いくらなんでもおかしいぞ?大丈夫か?」

伊作が心配そうに声をかけ、仙蔵が長次の腕に触れようと手を伸ばした、その時。
ばしん、と乾いた音。存外大きく響いたそれに驚いたのは澄姫。
叩かれた仙蔵は切れ長の瞳を大きく見開き、長次を見つめた。

「…私が何か、気に障る事でもしてしまったのか?」

けれどいつだって冷静な彼は、若干赤くなった手の甲を擦りながら、分かりにくいが動揺を滲ませる長次に普段通りの口調で問う。
雲行きが怪しくなってきた彼らの気配を察してか、文次郎、留三郎、小平太がなんだなんだと集まってきた。
そして彼に黙って抱かれていた澄姫が、長次の頬に手を添えて、しっかりと彼の目を見て首を傾げる。

「長次…一体どうしたの?何かあったのよね?」

「……すまない…」

心配そうな顔をした彼女に見つめられ、ぐっと唇を噛んだ長次は、小さな声で謝罪してから、もそもそと事の顛末を語り始めた。


文次郎と留三郎がその場ですっ転び、伊作は呆れ顔、小平太と仙蔵は腹を抱えて笑い転げ、呼吸もままならないのかヒィヒィ言いながら悶絶。
やっと事情が分かった澄姫はやだもうなどと言いながら嬉しさのあまり顔が緩みきっている。
友人たちのリアクションに恥ずかしくなったのか、長次は荒々しい傷が目立つ頬を赤く染め、もう一度小さな声で謝罪していた。

「もう、長次ってば。澄姫が仙蔵と駆け落ちだなんて、そんなことするはずないだろう?」

「長次は繊細だな!!たかが夢で不安になるなんて!!」

伊作と小平太に頭を撫でられますます赤くなる長次に、仙蔵は大笑いしながら有り得ないと断言。

「澄姫、長次と別れるのか?」

「死んでも別れるものですか」

「だろうな。見ろ長次、この女は死んでもお前の傍から離れる気はないらしいぞ?ここまで断言されているのに、何を不安になることがある」

「そうよ長次、夢より目の前の私を見て?」

ひっくり返ったままの犬猿をそのままに、3人に頭を撫でられながら澄姫に抱きしめられた長次は、恥ずかしそうに俯いてそっと頷く。
なんとも可愛らしい騒動を起こしてしまった彼に、友人だけではなくこっそり聞いていた先生までもが和んでいた。


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