どきどき★スネーク

ある日差しうららかな昼下がり。
もう日課となった飼育小屋の掃除をしていた伊賀崎孫兵は、さんさんと照り付けていた日の光の中にひとつの影ができたことに気が付き、ふと顔を上げた。

「驚かせちゃったかしら?」

彼の視線の先には、いつの間にか壁に凭れかかって微笑む澄姫。
今日は当番ではない委員長の登場に、しかし孫兵は無表情のままゆっくりと首を振った。

「平気ですよ。ね、ジュンコ?」

「あら、優秀ね」

そっけなくも取れる会話を交わし、お互いに笑顔を見せる。
しかし孫兵はその笑顔をすぐに引っ込め、首を傾げた。

「…えっと、何か御用ですか?」

彼の問い掛けに、澄姫はああ、と小さく呟きぽんと掌を打つ。

「そうそう、忘れるところだったわ。今ね、ハチが飼育している仔達をお風呂に入れてあげているのだけれど、よければ他の仔も洗ってあげようと思って声を掛けに来たのよ」

「ええ、そんな…いいんですか?」

その言葉に何処か遠慮がちに問う孫兵に、澄姫は極上の笑みを浮かべ、勿論、と頷いた。
久々の晴れ間が覗いた今日、掃除を終わらせてから砂浴びや水浴びをさせてあげようと思っていた思い出した孫兵は小さく、じゃあお言葉に甘えて、と呟き頷いた。
毒虫を中心に爬虫類系を特に溺愛する彼は、澄姫や八左ヱ門と違い山犬などを使役していない。けれどペットに注ぐ愛情は彼らと寸分の違いなく、ペットたちが清潔に、気持ちよく健やかに暮らせるような気遣いは忘れない。
決して人に懐くことがない虫や爬虫類が孫兵にだけは懐いているのを目で見て知っている澄姫は、彼の優しい気持ちが伝わっているんだろうと目尻をやんわりと下げた。

「きみこ、ジュンコ、君たちも行っておいで」

まるで恋仲が自分を呼ぶときのような柔らかな声で愛蛇を呼ぶ彼の姿についつい笑いが零れてしまった澄姫は、孫兵から二匹の蛇を受け取り、ゆったりした仕草で口を開く。

「きみこもジュンコも女の子だものね。私が綺麗にしてあげるわ」

絵に描いたようなナイスバディにきみことジュンコを絡みつかせた澄姫は、鎌首を擡げカパリと口を開いた彼女たちに臆することなく、それどころか同性の友人に語り掛けるように無邪気な笑顔を向ける。それを伺い見た孫兵は、素直に思ったことを口に出した。

「さすが、生物委員会委員長ですね」

世の女性は…いや、女性に限らず男性でも、好んで爬虫類に触れたがらない。勿論例外はあるけれど、彼の友人たちですら、慣れているとはいえ突然ジュンコを首に巻いたら飛び上がるだろう。しかし目の前で蛇と戯れる美しい委員長は、小さい頃から生き物が好きなの、とケロッと言い放ち、気性の荒い愛犬を躾け、なんの躊躇いもなくジュンコやきみこや大山兄弟を抱き上げ、はてはコマチやジュンやネネですら掌にのせてしまうのだ。
忍術学園に入学するまで自分以外にそんな人物と出会ったことがなかった孫兵はとても驚き、そしてこっそり思った。自分も大きくなって、6年生になって、この生物委員会の委員長を任された時には澄姫先輩や竹谷先輩と同じようなことができるようになるのかな、と。
孫兵自身はまだよくわかっていないけれど、憧れを浮かび上がらせた瞳を見た澄姫はくすりと笑い、何も言っていない彼に近付き、サラサラの髪をそっと撫でてやった。

「勿論よ。生物はね、畏怖や敵意を向けてくるものには同じ感情しか返さない。その逆で、愛情を向けてくるものには同じ感情を返すものなの。孫兵くらいこの子たちを愛しているなら、きっと私やハチなんて足元にも及ばないわ」

「…勝手に心を読まないでください」

「あら、ごめんなさい?」

そう微笑んで、優しい眼差しを孫兵に向ける。そこにはありありと慈愛が浮かんでおり、気恥しくなってしまった彼は火照った頬を隠すように俯いた。

「、っひあ!!」

しかし突然響いた脈絡もない色っぽい声にびくりと肩を跳ねさせ、何事かと彼女を見た。

「きみこ!?ジュンコ!?なにしてるの!!?」

漆黒の瞳に映った光景に慌てて叫ぶ。
いつの間にそんなことになってしまったのかわからないが、預けたジュンコときみこ…つい今しがたまで大人しくしていたはずの彼女たちは、何故か澄姫の帯を潜り、上着の中でもぞもぞと蠢いていた。
そしてしばらくうぞうぞと澄姫の身体を這い回ったかと思えば、その柔らかな谷間からひょこりと顔を出し、また潜っていった。

「きみこっ、ジュンコっ、やッ、何するのよぉ…っ!!」

「澄姫先輩!!こらっ、きみこ!!ジュンコ!!だめだってば!!」

普通の女の子ならば失神ものの状況だが、生憎澄姫は委員会に所属する後輩のお陰で蛇にも慣れている。しかし、肌を這い回る鱗の感覚がこそばゆいのかけらけらと笑って身体を捩じらせている。
対して二匹の蛇たちは、まるで女の子たちがお互いの体の成長を確認するかのようにするすると澄姫の身体を這い回り、時折襟から顔を覗かせて至極楽しげに彼女に頬を寄せていた。

「女の子同士のコミュニケーションが取りたかったのかい!?僕じゃダメだったのかい!?ひどいよきみこっ、ジュンコぉぉぉぉ!!」

「訳わからないこと言ってないで早くっ、やぁっ、くすぐったいぃ〜っ!!」

突然のことにパニックを起こしてしまい、涙目で訳のわからんことを叫ぶ孫兵の前にぺたりとしゃがみこんだ澄姫は、泣き笑いのような表情で手早く帯を取り去ると、上着を放り投げいつの間にやら内掛けの中に侵入していた蛇を捕まえようと自身の体に手を這わせ始める。
すると飼育小屋付近の茂みががさりと揺れ、そこからひょこりと顔を出したのは澄姫の同級生である6年生の面々。

「おい、ちんたら話し込むな。竹谷が待ちくたびれて…」

なかなか戻らない澄姫を呼んできてくれとでも頼まれたのだろう、先頭に立っていたらしい文次郎がそう声を掛けたが、言葉は途中で止まり、彼はその場にばたりと倒れてしまった。
それを見た残りの5人がなんだなんだとこぞって茂みから抜け出し、そして、仲良く鼻から情熱を垂らす。

「嬉しそうに笑って見てないで手伝ってくださいよ!!」

そんな思春期真っ盛りの彼らに孫兵は顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
その間も、きみことジュンコはまるで遊んでもらっているといわんばかりに上機嫌で澄姫の身体を這い回り続けていた。

「まご、へっ!!放っておいていいから、早く、ぅあん!!ジュンコ、そこばっかり、だめぇ!!」

笑い過ぎて赤くなった顔を隠しもせず、息も絶え絶えな様子で叫ぶ澄姫。彼女は可愛い後輩の愛蛇を間違っても潰さないように、転げまわって笑いたい衝動をぐっと堪え、その身をぎゅうと両腕で抱き締め小さく震わせていた。
それにより顕著になった谷間からは、ひょこりときみこが顔を覗かせている。
それを見た小平太が、ぼたぼたと鼻血を垂らしながら指を差し、小さく呟いた。

「パイズ「小平太!!三年生の前で何口走ろうとしてるの!!」えー、いさっくんだってそう思うだろ?」

「(一体どうしてこうなったんだよ!!)きみこいいぞもっとやれください!!」

「留三郎、お前もう少し本音と建前を上手いこと使えんのか」

小平太の言葉を真っ赤になった伊作が(若干遅いような気もするが)何とか阻止し、留三郎の相変わらずだだ漏れな本音に仙蔵が鼻血を垂らしたまま呆れたように溜息を吐く。
一瞬で混沌と化してしまった飼育小屋で、唯一沈黙を守っていた長次が、やっと意識を取り戻したのか、ゆらりと上体を揺らして澄姫に近付き、彼女の内掛けに徐に手を突っ込むと、這いずり回っていたきみことジュンコの小さな頭を大きな掌で捕まえ、彼女の谷間からずるりと引きずり出した。
あっという間の捕り物にきょとんとしたのは澄姫だけではなく、孫兵もまた瞳を大きく見開いて沈黙の生き字引を見つめる。
しかし珍しいことに長次は澄姫のことも孫兵の不躾な視線も気にせず、捕らえられてすっかり大人しくなったきみことジュンコをずるりと持ち上げ視線を合わせると、低い声で小さく唸った。

「……そこは…私の蛇の、場所だ…」

その気迫たるや、地獄から現れた鬼でも裸足で逃げ出すほどのもの。案の定きみこもジュンコもあまりの迫力にまるで頷くように顔を上下させ、床に降ろされると一目散に孫兵の背後に隠れてしまった。
それを無表情で見届けた長次は澄姫に放られていた深赤色の上着をばさりと投げ掛けると、すたすたと無言で校舎に戻っていった。

「………中在家先輩って、蛇、飼ってらしたんですか…?」

一心不乱に背中に顔を摺り寄せているきみことジュンコを宥めながら孫兵が小さく呟くと、澄姫の顔が見る見るうちに赤く染まる。
そんな彼女たちをよそに、小平太が心底驚いたとでも言いたそうな顔で同室の男が去っていった方向を見つめ、ぼそりと呟いた。

「…め、珍しいな…長次が下ネタ言ったぞ…」

その呟きを聞いた仙蔵が、勢いよく噴き出した。

[ 242/253 ]

[*prev] [next#]