愛妻事変

※唐突な現代パロディ注意。
※モブ登場。
※飲酒表現があります。
※お酒は楽しく適量を。当然ですが二十歳になってから(笑)
※飲めない人、飲みたくない人に無理にお酒を進める行為はアルコールハラスメントです。決してやってはいけません。





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新しい年を迎えてから少し経ち、連休でたまっていた仕事が少しずつではあるが片付いできた頃のこと。
壁にかかっているシンプルな時計が定時少し過ぎを差し、暗くなりかけている職場で帰り支度をするため席を立った長次は、不意に背後から肩を叩かれてゆっくりと振り返った。

「中在家くん、今日こそ行くよな?」

目が合うよりも早く、彼の背後に立っていた人物はそう言ってにやりと笑う。
なんともコメントしがたい柄のネクタイを締めた彼は長次の上司に当たる人物で、まったくもって迷惑なことに『社会人は飲ミュニケーション』を座右の銘として掲げる男。
その人物像と彼の一言を聞いて、聡明な長次は全てを理解しそっと息を吐きながら時計のすぐそばにかかっているカレンダーに視線をずらす。
本日、週末の定時過ぎ。
そういえば、数日前に高校時代からの友人で現同僚の留三郎から部署合同の飲み会を企画したと聞かされていたような気がする。

「……いえ…」

「まあまあそういわずにさ!!たまにはいいじゃんたまには!!」

友人たちといく食事会ならいざ知らず、うわべだけの付き合いしかしない職場の人間とのコミュニケーションなどに一切関心が持てない長次は小さな声で断りを入れようとした。だがそれをかき消すかのように上司は大きな声で笑いながら彼の肩を掴んで離そうとしない。

「…妻が…待っていますので…」

そしてもうひとつの、長次が飲みに行きたくない理由。まだ結婚して間もない可愛い可愛い自慢の奥様が、今か今かと彼の帰りを待っている。
寄り道などして帰った日には、彼女はきっと寂しくて泣いてしまうだろう。
なんてちょっと自慢の奥様に夢を見過ぎている長次は何とか断ろうとしたのだが、上司は彼の言葉を聞きもせずさあ行くぞと腕を引くばかり。さすがに強引過ぎて彼の頬が引き攣り始めたその時だった。

「俺は仕事で中在家の結婚式に行けなかったからなぁ、奥さんの話聞かせてくれよ。まあ物静かなお前と結婚するんだ、きっと大人しくて控えめなんだろうなぁ」

彼なりの賛辞か、それとも遠回しな暴言か。上司の口から飛び出した言葉に神経を引っかかれたような気がした長次は、一瞬だけ体を硬直させた後に胸ポケットから携帯電話を取り出して、履歴のほとんどを埋めている奥様に電話を掛けた。


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長次が可愛い奥様に少し遅くなると連絡を入れた後に上司に連れられやってきたのは、会社からそう遠くない一軒の飲み屋だった。
暖簾をくぐって顔を上げてみれば、そこにはすでに友人たちがおり、彼らは長次を見るなり揃って間抜けにもぽかんと大口を開けて、直後飛び上がって彼に駆けよる。

「長次!?お前、いいのか!?」

「珍しいにもほどがあるぞ!?」

「明日槍が降るぞ!!」

「うわっ、それ確実に僕に刺さる!!」

高校時代からの友人である文次郎、仙蔵、留三郎、伊作が各々好き勝手言っているのを無言で聞いていた長次は、彼らの背後で大口を開けたまま固まってしまっている幼馴染をちらりと見た後、ゆっくり口角を持ち上げた。

「……私の上司が…澄姫の話を、聞きたいと…」

騒がしい居酒屋に零れ落ちた低い声。彼と付き合いの浅い者は気付かないが、5人はそれだけで震えあがって長次をここへ連れてきた人物をそっと伺い、心の中で手を合わせる。

「…あー…まあ、ほどほどにな」

誰かから零れた言葉に表情を無に戻した長次は、そっと片手をあげて彼らに無言の返事をしてから上司の隣へ向かった。
そうして始まった飲み会。最初のうちは部署ごとに固まっていたが、ほろ酔い気分になった者からふらふらと席を立ち、皆思い思いにジョッキを傾け箸を動かす。
ずっと無言で最初に頼んだウーロンハイをちびちびと飲んでいた長次に、上機嫌の上司が絡み始めたのは、開始から2時間が過ぎた頃。

「中在家は真面目だよなぁ、いつも仕事が終わったらまっすぐ家に帰って。俺なんか奥さんいるけど帰ったら帰ったで家事手伝えだのなんだのかんだのうるさいから帰りたくねぇもん」

どすん、とスーツの肩を長次の肩にぶつけ、上司はあーあとこれ見よがしに溜息を吐いた。

「中在家んとこの嫁さんはそんなこと言わねぇの?新婚だからまだないのかね?それとも元々そういうこと言う性格じゃないんか?」

ぐいぐいと焼酎のグラスを傾けた上司は、長次が黙っているのにしゃべり続ける。

「あーあ、顔で選ぶんじゃなかったなぁ。うちの嫁さん美人だけど性格きつくて癒しがねぇんだよー。俺も中在家みたいに物静かで大人しい地味な奥さん選べばよかったー」

酒のせいか、それとも元の性格か。長次の結婚相手を知りもしない上司がわざとらしく項垂れながら、羨ましいなあ、と笑った。さすがに上司の隣で飲んでいた人物が彼を諫めようとしたとき、長次は静かにグラスを置いて、胸ポケットから携帯電話を取り出して上司の顔の前に突き付けた。

「……彼女が…私の妻です…」

静かな一言で、上司と彼を諫めようとした人物が揃って手からグラスを滑らせた。
デジタル時計が右下に配置してある画面に映っているのは、白いスーツに身を包んで恥ずかしそうに俯いている中在家長次。そして彼の腕に幸せいっぱいの笑顔でしがみつく目も眩みそうな美女。

「うっそだろ!!!!?」

居酒屋の喧騒をかき消すくらい大きな声で叫んだ長次の上司に遠くの席の仙蔵と文次郎がほくそ笑み、伊作は驚いて酒を零し留三郎がびしょ濡れ。
衝撃のあまり固まってしまった上司の隣の男の背後からいつの間にやってきたのか、ひょこりと顔を出した小平太が、結婚式の写真か?と快活に笑う。

「ななななな七松、ここここれ、本当に中在家の嫁なのか!?」

「なははは、めっちゃくちゃ美人だろう?」

「まじかよ、お前、よくこんな美人を射止められたな!?どんだけ頑張ったんだよ!?」

「いいや、頑張ったのは澄姫の方だぞ?」

「どどどどどういうことだよ七松!?」

無言のまま携帯を突き付けている長次の腕を掴んだまま、上司は小平太に詰め寄る。

「どういうことも何も、澄姫が頑張って長次を射止めたんだ」

その言葉を聞いた上司は、とうとう口から魂のようなものを吐き出して机に顔を伏せた。意図的かはわからないが、下に見たかった長次が予想外の勝ち組で色々なものがへし折れてしまったのだろう。
その姿を満足そうに見下ろした長次は、突き付けていた携帯を下ろして何やら操作をする。すると対して時間を開けないうちに、彼の携帯がメールの着信を短く告げた。

「…妻が心配しておりますので、これで失礼します…」

画面に目を通した長次がそう言いながらコートを羽織り、とどめとばかりにメール画面を虚ろな目をした上司と小平太に向ける。そこには、こう書かれていた。
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<From:澄姫>
件名:Re:そろそろ帰る

大丈夫ですか?無理な飲み方はしていませんか?
お腹が空くといけないので、夕飯の残りは冷蔵庫にいれてあります。
外は寒いので、温かくして気を付けて帰ってきてくださいね。
待っています。
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いつの間に騒ぎを聞きつけ集まったのか、同僚たちが口笛を吹いて手を叩く。新婚さんだねぇ、ラブラブだねぇ、そりゃこんな美人の奥さんが待ってるなら帰りたいわなぁ、と盛り上がる中、颯爽と帰り支度を整えた長次は携帯をポケットにしまってぺこりと頭を下げる。

「……では…」

そういうなり店を飛び出していった長次を見送った同僚たちは、長次と仲のいい小平太たちに的を変え、長次と澄姫のことを根掘り葉掘り聞かれた。
しかし彼らは知っている。
普段の澄姫が長次に対してたとえメールであっても敬語を使わないことを。
そう。彼女が敬語を使う時は、怒っている時なのだ。

それを知っている5人は、店を出るなり大慌てで走り始めたであろう長次を想像し、こっそり笑った。

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