I love you.

長次に抱えられたまま夜の裏々山まで連れてこられた澄姫は、山の中腹ほどにある大きな杉の木の太い枝の上でやっと開放された。
木々の隙間から時折顔を覗かせる月がやんわりと辺りを照らし、梟の声が鼓膜を擽る。肌を舐めるまだ冷たい空気は、深緑に遮られて彼女には届かない。
まだいまいち現状を理解できていない澄姫が周囲を見回し、ゆっくりと長次の顔を見上げたと同時に、逞しい腕が絡みつく。
少しの隙間もないくらいに抱き締められた澄姫は、肩口を擽った熱い溜息にゆるゆると手を持ち上げ、深緑の広い背中にそろりと触れる。
突然の頃に混乱をきたしうまく動かない唇が、彼の名をかたちどった時、身体に巻きついた腕がより強くなった。

「……私が…」

「え…?」

「…私がいつ、お前を不安にさせる態度を、とった?」

その質問に答えることができない澄姫は、ばつが悪そうに瞳を閉じた。月の光が降り注ぎ、長い睫が彼女の顔に影を落とす。

「……私が、家柄などで簡単に心変わりする男だと、思うのか…?」

「おもっ、思わない、けれど…」

2つ目の問いかけにほぼ条件反射で異を唱えた澄姫のすべらかな頬に、かさついた唇が落とされる。

「…くのたまたちに何を言われても…どうということはないのだが…」

かさついた唇が頬からそっと目尻に動き、溜まった涙を奪い取った。

「…澄姫……お前に泣かれるのは、正直、堪える…」

絡みついた腕がするりと動き、少しだけ2人の体が離れる。それによりしっかりお互いの顔が視界に入り、澄姫は思わず言葉を失った。
微かに微笑んでいる長次はいつもの優しい笑みとは違う、どこか切羽詰った表情で、それによく似た表情を一年前まで毎日といっても過言ではないくらい見ていた彼女は、背を駆け上がった歓喜に口元を覆う。

「わた、私…私の好きの気持ちのほうが、ずっとずっと大きくて、重たいと、思っていたわ…」

「…否定はしない……だが、…」

「ずっとずっと追いかけていたんだもの、変わらないと、思っていたの…」

「……何度も、言わせるな…」

そこで一旦言葉を区切ると、長次は桜色の唇を覆い隠している震える手を少々強引に掴んで左右に割り開き、距離を詰める。
鼻先が触れ合いそうな距離でじっと潤む瞳を見つめると、ふっと少しだけ意地が悪そうに微笑み、普段より少しだけ大きな声量で囁いた。

「…この世に不変のものなどありはしない…三年前より二年前…一年前より先月…そして昨日より今日…お前が思っているその何倍も何倍も…私は、澄姫が好きだ」

言うなり唇を奪い、まるで貪るように抱き締める。長次の言葉を噛み締めた澄姫は、溢れる涙をそのままに唇と温もりを甘受した。
優しい人ほど深みにはまる恋愛迷宮は、ひとりでは抜け出すことが出来ない。
しかし彼女には手を差し伸べてくれる友人も、助言をくれる後輩も、叱咤激励してくれる弟もいる。
カメ子ちゃんには申し訳ないが、こんな良い男をただ泣きじゃくって諦めるわけにはいかないと決心した澄姫は、来年こそは正々堂々正面きって戦おうと空に浮かぶ月に誓った。
酸素を求めてやっと唇が少し離れた隙に、彼女は上がった息を整えながら宣言するように呟く。

「私、もっともっと自分を磨くわ。いくつになっても長次が離れていかないように、ずっと夢中にさせてみせる」

「…それは、出来ればほどほどに…」

「どうして?」

「……変な、虫が…それに、私の心臓がもたん…」

「そうなの?」

「…顔に出ない、だけだ…現にこの一月、私はとても、寂しかった…作り笑顔などではなく、お前の心からの笑顔を見ないと…なんだか、何もかもが、うまくいかない…」

「……やだ、もう…」

「…離れてみて、気付くこともあるというが……耐えられん…」

「長次…」

会話の合間に啄むような口付けを交わしながら、愛を囁く。目の前の恋仲との間を大きく隔たっていた壁が木っ端微塵に砕かれたのを感じて、澄姫はやっと素直に“ごめんなさい”と言えた。






「……嫉妬する澄姫も、可愛い…」

「…ひどいこといっぱいしちゃって、ごめんなさいね」

「…滝夜叉丸に八つ当たりする澄姫も…可愛い…」

「あ、滝にも後でちゃんと謝るわ」

「…癇癪を起こす澄姫も、私の一言で泣いてしまう澄姫も…可愛い…」

「………長次、な、なに?どうかしたの?」

「…一挙一動が可愛い、とにかく可愛い…たまに本気で、どうしていいのかわからなくなるくらい可愛い…」

「待って長次待って、は、恥ずかしいわ…!!突然何!?」

「…いや……斉藤が…思ったことは全て口に出したほうがいい、そうすれば澄姫が喜ぶと…確かに私は、言葉が少なすぎるから……照れるお前も、可愛い…」

「もうわかったわ、わかったから、これ以上は…きゃぅ!!」

「………すまない、澄姫…もう止まれない、ようだ…」

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