I need you,

一方その頃、5年長屋では。

「だから、そんなんじゃいつまでたっても中在家先輩と喧嘩したままになりますよ!!いいんですか!?」

「いいわけないでしょ!?でも一体どうやって謝ればいいのよ!?カメ子ちゃんのことは我慢しますからどうか傍に置いてくださいとでも言えばいいわけ!?」

「なんっでそこでカメ子ちゃんが出てくるんですか澄姫先輩!!バレンタインに贈り物貰ったってだけでしょう!?目くじら立てることでもねーですよって嫉妬深いなーもー!!」

「なぁんですってぇぇえ!!?こっちは死活問題だってのに嫉妬深い!?恋仲が他の女の子から贈り物を受け取ってる場面を見た乙女の気持ちも理解できないなんて、だからハチには恋仲のひとりもできないのよ!!この童貞っ!!」

「どっ、それ今別に関係ないじゃないっスか!!素直に仲直りできないからって俺に八つ当たりしないでください!!」

どったんばったんと大暴れの澄姫を何とか押さえつけている八左ヱ門は予期せぬ流れ弾に心をぶち抜かれながらも決して手を離さず、背後を振り返って怒鳴った。

「お前らも見てないで手伝えよ!!」

しかし怒鳴られた鉢屋三郎と不破雷蔵はいつの間に作ったのか『ガッツ』と書かれた小振りの旗をパタパタと振りながら、ハチがんばれー、と仲良くハモッて笑うだけ。
思いっきり顔を顰めて2人を睨みつけた八左ヱ門は、他人事だと思って、と悔しそうに唸り澄姫の細い手首を掴んで床に押し付けた。
その衝撃が肩まで響いてしまったのだろう、一瞬だけ辛そうに眉を寄せた彼女に気付いた雷蔵が役得だなと笑う三郎の頭に持っていた旗を刺し、八左ヱ門の肩を少し強めに引く。

「ハチ、ちょっとやりすぎだよ。澄姫先輩も少し落ち着いてください。ね?」

旗を刺され飛び上がった三郎には見向きもせず、菩薩の笑顔を浮かべて興奮気味の2人を窘める。あまりにも優しげな笑顔に諭された2人は力を籠めていた拳を開き、大人しく彼の前に座った。それに満足げに笑った雷蔵は、ぐっと口をへの字に結んでしまった澄姫と視線を合わせるように腰を下ろし、肩痛めてませんか?と優しく問いかける。
無言のままこくりと頷いた澄姫の、なんともばつの悪そうな顔を見て、雷蔵は八左ヱ門と顔を見合わせて、しょうがないなぁ、とでも言いたそうに笑った。

「ねえ澄姫先輩、先輩は、中在家先輩がカメ子ちゃんから贈り物を受け取ったことが気に入らなかったんですよね?」

どこまでも穏やかな雷蔵の言葉に、彼女はこくりと頷く。

「じゃあ、中在家先輩がカメ子ちゃんの贈り物を『受け取れません』って突き返したら、満足ですか?」

穏やかな声に問われ、彼女はがばりと顔をあげる。その表情を見て、八左ヱ門はへにゃりと眉を下げた。
傷付いたような、泣きそうな、悲しそうな顔。恋敵を打ち負かした結果にしては浮かないその顔に、八左ヱ門はがしがしと頭を掻く。

「どうしたんですか澄姫先輩、それが望んでた結果じゃないんですか?」

困り顔の彼に首を横に振っただけで答えた澄姫は、ぐっと唇を噛んで俯く。
意味がわからないとでも言いたそうな顔の八左ヱ門に、雷蔵が苦笑した。

「ハチ、女の子って男みたいに単純じゃないんだよ。まして澄姫先輩はとても優しい方だから」

ね、と雷蔵に微笑みかけられた澄姫は、ここ一月ずっと苦しい胸を押さえて瞳を閉じた。
−−−−そう、本当はずっと前からわかっていた。
確かに、福富カメ子ちゃんから贈り物を受け取った長次には腹が立った。恋仲がいるのに他の女の子から貰うだなんて信じられないと。
…けれど、もしそれを長次が受け取っていなかったら?あの純粋な少女が一生懸命作ったであろう贈り物を、恋仲がいるから受け取れないと無碍に突き返していたら?
それはそれで、澄姫は怒っただろう。
恋する者の気持ちは、恋したことのある者にしかわからない。
恋はとても楽しくて、甘くて、心が躍って、毎日が煌いて、でも苦くてとても痛い。そしてその恋が愛に変わるとき、どうしたって勝者と敗者がでてしまう。
ずっとずっと長次のことを想い続けていた澄姫だからこそ、あの時一目見ただけでカメ子の気持ちがすぐにわかり、あの場から逃げ出したのだ。
カメ子ちゃんの気持ちを無碍にしない長次の優しさが好き。だけど恋仲である自分はそれを快く思わない矛盾。
長次に受け取ってもらえたというだけでとても嬉しそうに微笑んだカメ子ちゃん、同じ人を好きになった自分にはその気持ちが痛いほどわかる。けれど、その人は私のものだという独占欲から生まれる嫉妬が心を焼いた。
相反するたくさんの思いがぐるぐると頭の中を暴れ周り、それを制御する術を持たない澄姫はただ振り回されるばかり。
カメ子ちゃんに強がって勝ち誇ってみても、くのたまたちをけしかけて長次に報復してみても、滝夜叉丸に八つ当たりしてみても、八左ヱ門に噛み付いてみても、心はざわめき頭の濁流は消えてはくれない。
らしくない先輩の姿に苦々しい顔をしていた八左ヱ門は、そこでふと、ニコニコと笑顔を湛えている雷蔵に気が付いてその腕を不謹慎だぞと小突く。
しかし雷蔵だけではなく三郎にまで大丈夫だと矢羽音を飛ばされ、眉を潜めた。
夜の静かな空気に包まれる5年長屋の床に、澄姫の涙がひとつ落ちた、その瞬間。
ぱぁん、と大きな音を立てて八左ヱ門の部屋の扉が開かれる。ぎょっとした顔の八左ヱ門、やっぱりなと薄ら笑いを浮かべた三郎、予想通りと微笑んだ雷蔵…3人の視線の先には、珍しく肩で息をする中在家長次の姿。

「中在家先輩、お待ちしてました」

「…面倒を、かけた……!!」

「いえいえ、僕たちは何も」

柔らかな物腰の雷蔵と言葉を交わした長次は、あっけにとられている澄姫に大股で近づき、彼女をひょいと抱え上げ、5年長屋を飛び出し宵闇に消える。
やっと終結を迎えそうな騒動に一安心した雷蔵と三郎は驚きすぎて固まっている八左ヱ門の肩をぽんと叩いて、お疲れ、と労わりの言葉をひとつかけて部屋を後にする。

「え…え、え…?ちょっと待ってなにどういうこと?」

「ふふっ、乙女心はかくも複雑怪奇なり、ってね」

「まったく、学園一無口な男だけあって言葉が足りないからこんなくだらない喧嘩が起こるっていい加減わかって欲しいよ」

その際残された言葉を聞いてもまったく理解できない八左ヱ門は、その晩考えすぎてなかなか眠れず、翌朝ちょっと寝坊した。

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