I miss you,

※ゲロ甘



3月13日亥の刻。日本発祥東アジア特有の文化『ホワイトデー』を翌日に控えた今夜、中在家長次は自室で頭を抱えていた。
さかのぼること約一ヶ月前、不貞(?)の現場を目撃されたことにより彼は恋仲である平澄姫からバレンタインのプレゼントを貰えなかった…それだけならばまだよかったのだが、怒り心頭の彼女の謀略によりくのたまたちから凄惨という他ない報復活動を受け、今更ながらに思い知っていた。
男女間における恋愛価値観の違いを。
深い深い溜息を吐き出した長次は、図書室から初めて借りた恋物語の書物を静かに閉じ、同系統の本が山と詰まれている文机を横目で見るなりがっくりと肩を落とす。

「………参考に、ならない…」

今の彼を友人たちが見たら、正気かと笑ってしまうだろう。
しかし彼は至って真剣に、参考文献として恋物語を読み漁っていたのだ。
…別に、長次と澄姫は喧嘩をしている訳ではない。授業で顔を合わせれば喋るし、毎日一緒に食事もしているし、夜間鍛錬に同行したりもするし、はたから見れば普段とそう変わらないだろう。
だが決定的に変わってしまったところがあるのを、長次は気付いていた。
あの澄姫のキラキラ輝く瞳を、笑顔を、もう一月間見ていない。
顔を合わせて喋るときも、一緒に食事をしているときも、まるで貼り付けたような作り物の笑顔なのだ。初めの頃こそ気のせいかとも思ったが、2月の終わりに同室の友人、七松小平太にこっそりと、最近澄姫なんか元気ないな?と耳打ちされ、疑問は確信に変わった。
変わったのだが、長次にはそれを確かめる術がわからない。
こういうとき行動力がなく恋愛偏差値の低い自分が嫌になるな、と再度溜息を吐いた長次はそこで、部屋に近付いて来る気配に気が付いた。
静かな空間に扉を叩く音が転がったので、彼は無言ですらりと扉を開ける。

「あ、夜分にごめんねぇ。ちょっとお話、いいかなぁ?」

「………?」

そこには珍しい客人、斉藤タカ丸。背中にもうひとつ紫をくっつけている彼を見た長次は不思議そうに首を傾げたが、小さく頷き彼らを招き入れた。

「えへへー、お邪魔しまぁす」

「………な、」

部屋に入り腰を下ろしたタカ丸からやっと離れたもうひとつの紫を見て、彼は思わず声を詰まらせ、目を見開いた。
斉藤タカ丸の隣に腰を下ろしたのは彼の恋仲の弟である滝夜叉丸。姉弟だけあっていつも身だしなみに気を使っているはずの彼は、なんと髪も装束もグチャグチャのボロボロで、形のいい鼻から垂れている鼻血をぐいと拳で拭っていた。
また同室の友人が加減を間違えたのかと青褪めた長次が慌て出したのを見た滝夜叉丸は、乾いた笑いを漏らすと、がばりと頭を下げた。

「中在家先輩、まず先月のご無礼をお詫びいたします。いくら頭に血が上っていたとはいえ先輩に対して失礼の数々、誠に申し訳ございませんでした」

「……い、いや…それよりも…」

「そして先月からの姉の所業、さぞ腹に据えかねているとお察し申し上げますがどうか、どうかご容赦ください…!!」

申し訳ございません、申し訳ございません…そう繰り返しながら深々と頭を下げる滝夜叉丸に、長次は珍しく焦り、縋るようにタカ丸を見た。なんとも珍妙な光景に笑いを噛み殺していたタカ丸はその視線を受け、目尻に浮かんだ涙を拭ってから、人好きのする笑顔を浮かべてゆっくりと口を開く。

「ふふっ、あのね…」

タカ丸曰く、去る2月14日、食堂で福富カメ子からバレンタインの贈り物を貰った長次を目撃した澄姫は大層ショックを受け、悔しさのあまりくのたまの後輩を焚きつけた。最初のうちはタカ丸から話を聞いた滝夜叉丸も怒っていたのだが、さすがに陰湿すぎる報復活動が目につき、そろそろ仲直りしたらどうかと澄姫に進言した。
実弟からの物言いに、最初は頑なな態度を貫いていた澄姫も徐々に態度を軟化させつつあったのだが、生来の意地っ張りな性格が邪魔をしてなかなか素直になれない彼女は二言目にはだって長次が、と繰り返した。
そこで先ほど滝夜叉丸は第三者ではなく、本人からもう一度話を聞いてみたのだ。

『…姉上、中在家先輩はその…福富カメ子ちゃんと不貞行為でも行っていたのですか?』

『長次がそんなことするはずないでしょう!?食堂で、可愛らしい贈り物を受け取って…』

『手でも握ったのですか?それとも接吻でも?』

『してないわよ!!』

『していない?ならば、中在家先輩は一体何を…』

『贈り物を受け取った。そのあとは逃げ出したから知らないわ』

『…それだけ?』

『…なによ』

『たったそれだけのことで、姉上はあんなひどい仕打ちを中在家先輩になさっと言うのですか!?』

『“たったそれだけ”ですって!?長次や滝にとっては“たったそれだけ”かもしれないでしょうけれどね、私にとっては死活問題なの!!』

『大袈裟ですよ姉上!!贈り物を貰っただけでこれじゃあ中在家先輩が可哀想です!!しかもこんな、周りを巻き込んだ上一月もだなんて、意地を張るのも大概にしたらどうですか!!』

『なんですって!?滝、あなた長次の肩を持つって言うの!?恋仲がいるのに他の女の子から嬉しそうに贈り物を貰った“だけ”なんだから黙ってろとでも!?』

と、まあなんともバカらしいことに、事情聴取があっという間に姉弟喧嘩に発展した。その現場が生物委員会活動場所の飼育小屋付近だったため、えさやりを終えた5年生の竹谷八左ヱ門が気付いて慌てて止めに入り、2人をとりあえず5年長屋に連れて帰った。自身の所属委員会委員長である澄姫は彼が、弟の滝夜叉丸は偶然隣室で久々知兵助から勉強を教えてもらっていたタカ丸が身柄を預かり、さすがにこじれすぎたと思ったタカ丸がその足で6年長屋を訪れ、今に至る。
黙って話を聞いていた長次は、想像以上に周囲に迷惑をかけていたことに頭を垂れ、滝夜叉丸の乱れた髪をそっと撫でた。

「…私こそ…すまない…」

その大きな手で暫く撫でられた滝夜叉丸はやっと頭を上げ、力なく笑う。

「…本当に、こんな優しい中在家先輩を疑うだなんて、姉上はどうかしていますよ…」

ぽそりと呟いた彼は、ふと長次と視線を合わせて、無理に引き上げていた口角を引き攣らせ、ぐすん、と鼻を啜った。

「…でも、姉上だって優しいんです…私をとても可愛がってくれて、守ってくれて…姉上、普段は自信満々ですけど、弱いところもあるんです…弟の私が言うのもなんですが、あの美貌ですから、外見だけで寄ってくる男が本当に多くて、じゃあ理想通りにしなきゃねなんて意地張って強がって…でも中在家先輩と恋仲になってからはよく笑って、似合わないからってずっと隠してた可愛らしい帯とかも引っ張り出して、本当に嬉しそうで、幸せそうで…!!」

震える声が途切れ、赤くなった頬を一筋の涙が伝う。タカ丸に背中を擦られながら嗚咽を何とか噛み殺した滝夜叉丸は、しっかりと長次を見て、ぺこりと頭を下げた。

「だから、どうか、どうか、あんな嫉妬深くて面倒で意地っ張りで乱暴で横暴な姉ですけど、嫌いにならないでやってください…」

そのまま頭を上げられなくなってしまった紫に、長次の目尻が下がる。なんだか勝手に痴情の縺れが別れ話にまで発展しているような気がしないでもないが、彼は価値観の違いこそ感じたものの澄姫を嫌いになどなっていないし、まして別れるつもりだって毛頭ない。今更彼女を手放す気など、長次にはさらさらないのだ。
纏う空気が随分と穏やかになったことで長次の本音を見透かしたタカ丸は、滝夜叉丸の背中を擦りながらふにゃりと笑い、長次に向かって手招きする。

「でね、僕からのお話っていうのは…」

顔を寄せた長次に囁いたタカ丸は、ぼそぼそぼそ、と何かを耳打ちし、カッと頬を赤らめた彼に頑張ってね、と微笑んだ。

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