父と母と子と藪主さん

木の上を飛び移りながら、澄姫は時折目を凝らして眼下の様子を伺いながら移動する。ちらちらと見える萌黄や青、井桁を見かけるたびにその周辺を注視し、妙な影が見えないかを確認しつつ、彼女は第2ポイントを目指す。
途中通りかかった山のふもとで、混合ダブルスだというのにひとりぼっちで飛び出してきた小平太を見つけ声をかけようかとも思ったが、それよりも早く彼は今しがた降りてきた山へ再び登り始めたので、関わらぬが吉だと判断した彼女は再び木の枝を蹴った。
目的の第2ポイントである一服一銭茶屋に到着し、怪我人がいないことをさっと確認した澄姫はまた移動を始める。

「夜営は第4ポイント…集合まではまだ時間があるから、見回りついでに長次を探そうかしら」

かさりと懐から地図を取り出し、太陽の位置と共にそれを確認した彼女は、友人たちが聞いたらどっちがついでなんだかと突っ込まれそうな呟きを発して近くにそびえていた大きな木のてっぺんまで素早く登る。
生い茂った葉からひょこりと飛び出し、周囲をくるりと見回した彼女は、すうと息を吸い込んで瞳を閉じた。集中し、気配を探る。
そして、ある一点でぱちりと目を見開いた。

「いたわ、あそこね」

優秀な彼女だからこそか、それとも愛のなせる業か、そう遠くない藪の中に深緑を見た気がした澄姫は立っていた枝から一歩下がって重力に身を任せる。
ひゅん、と落下を始めた自身の長い脚を丈夫そうな枝に引っ掛け、くるりくるりと木から降りていくその姿は美しい体操選手…というより猿のようなのだが、彼女は特に気にせずあっという間に地面に降り立ち、狙いを定めた藪へと上機嫌で駆けて行った。

「長次はきり丸とコンビを組んでる…そして現在地は藪の中…ああ、目的はタケノコかしらね」

くすくすと笑いながら守銭奴の井桁を思い浮かべた彼女は藪の中へ何の躊躇いもなく突っ込み、地面に落ちた笹の葉を踏み鳴らしながら愛しい深緑を探す。
どれくらい進んだ頃だろうか、ずっと進み続けていた彼女の足が不意に止まる。
その視線の先には、しゃがみ込んで地面を掘る大柄な体躯。珍しいことにざくざくとちょっとだけ乱雑に地面に苦無を突き立てているその背中に哀愁らしき空気を感じ取った澄姫は首を傾げ、声をかけようと息を吸い込んだ。
その瞬間、頬の横を物凄い勢いで何かが通り過ぎる。
さすがに驚いた彼女が短い悲鳴をあげれば、いつの間にか苦無から縄標へと持ち替えていた長次は、瞳に動揺を滲ませて武器を仕舞い、その大きな手を澄姫へ伸ばした。

「す、すまない…!!」

「あ、ううん、私こそごめんなさい、先に声をかければよかったわね…」

「怪我は…!?どこにも、当たらなかったか…!?」

「大丈夫よ。当てるつもりなかったでしょう?」

「そ、それはそうだが…しかし、万が一ということも…!!」

武器を向けられた澄姫よりも焦燥しきった表情で、長次は彼女に怪我をさせていないかを確認する。すべらかな頬、白くて細い首、華奢な肩…縄標が突き抜けた場所を何度も何度も確認した彼は、怪我をさせていないことに安堵し、深く息を吐いた。

「…本当に…すまない…」

「ううん、いいのよ」

そしてやっといつもの無表情に戻り、もう一度謝罪を小さく繰り返してから、目の前で微笑む彼女の綺麗な瞳をじっと見つめた。
彼女もまた、少ししか離れていないのにずっとずっと恋しかった彼の瞳をじっと見上げる。
風が笹の葉を揺らす音しか聞こえない空間。お互いに無言で、会いたかった気持ちと妙な気恥ずかしさで頬を染める。
その沈黙を先に破ったのは澄姫だった。

「…ひどいわ、長次。私に黙って先にきり丸と組んでしまうなんて」

桜色の唇を不機嫌そうに突き出して、拗ねたような口調。

「そりゃあ、混合ダブルスだから同じ6年生の私と長次が組めないっていうこともわかっているけれど…せめて一言くらい、何か言ってくれてもいいじゃない」

ぷく、と頬を膨らませて上目遣いに長次を睨んだ彼女は、次の瞬間その場にしゃがみ込んでしまった長次に目をまん丸にする。

「ちょ、長次?どうしたの?お腹痛いの?」

「……いや…っ、大丈夫だ…」

眉間を抓んで、あまりにも可愛すぎる澄姫の態度から生じた動揺と興奮とときめきをなんとかやり過ごした長次は、ふうと息を吐いて背中を摩ってくれながら慌てている彼女の首筋にそっと顔を埋めた。
頭を撫でてやったり頬を擦ってやったりしたいが、生憎今彼の手は泥だらけ。
どこかで手を洗ってから彼女に思う存分触れようと心の中で決めた長次は、鼻を寄せた首筋から香る澄姫の匂いに安堵感にも似た幸福を感じながら、すまない、と囁いた。

「……優勝賞品を聞いて…」

そこまで喋った長次の頭を、澄姫がそっと抱え込む。

「うふふ、ごめんなさい…わかってるわ、大丈夫。可愛い後輩のためですものね」

耳を擽った吐息で、長次はさすがだなと目を細める。
そう。この混合ダブルスサバイバルオリエンテーリングの優勝者は、半年間の学費が免除される。そして長次率いる図書委員会には、戦で家も家族も失くし1人で生きていかねばならない少年がいる。長い休みの間面倒を見てくれる大人がいたとしても、さすがに学費面までは頼れない。
忍術学園の学費は決して安くはない。子供が1人で払うには、無理があるくらいだ。
だからこそ、優しい彼は自分を頼って駆けてきた少年の誘いに二つ返事で頷いたのだろう。
少しでも少年の負担が減るように。
少しでも少年が、他の子たちと同じように楽しい学園生活を送れるように。
その思いを口にせずとも理解している澄姫は…まあ先程ちょっと我侭は言ってしまったが…傍に居たい気持ちを押さえ、邪魔にならないように長次との距離を取り、優しく微笑んで見守ってくれるのだろう。
やさしいひとだと、お互いに思って視線を合わせる。
そして引き寄せあうように、その唇が徐々に近付いて、触れ合う−−−…直前。

「中在家先輩、なんかさっき悲鳴みたいな声が聞こえましたけど、大丈夫っスかぁ?」

藪主さんと一緒に立派な竹の間から無邪気に顔を覗かせたきり丸の一言に飛び上がり、慌てて体を離した。

「あれっ?澄姫先輩がいる。いつの間に…」

「いっ、今来たところよ!!ほんの、ついさっき!!く、くのいち教室は今回学級委員長委員会の代わりに実況中継を担当してて!!今夜はここの傍の第4ポイントに集合して夜営するって決まったからそれを伝えにきたのよ!!」

「へー、そうなんスかぁ…って、なんでそんな慌ててるんスか?」

「なななななんでもないわ!!」

問い掛けにまったく説得力のない返事をした澄姫。そんな彼女の態度に首を傾げていたきり丸は、突然あっと何かを思い出したかのように声を上げ、にやぁっと笑い、ちょっと聞いてくださいよと彼女に駆け寄った。

「ぷぷぷ…あのね澄姫先輩、ぼくたちここでタケノコ掘らせてもらったんですけど、中在家先輩が話をつけてくれたときにね、先輩、藪主さんに『お父さん』っていわれちゃってさぁ」

無邪気で、そしてちょっぴり嬉しそうな笑顔でそう話したきり丸に、澄姫は一瞬ぽかんとしたあと、ああだから最初に彼を見かけた時あんなに悲しそうだったのか、と合点がいった。
納得してちらりと恋仲を見れば、彼は物悲しそうな、恨めしそうな目をして彼女を見ている。
これはフォローをするべきよね、と思い澄姫が口を開こうとした、その時。

「おやおやぼうや、ぼうやのお母さんかい?とても綺麗な人だねぇ」

持てるだけ持って行っていいからおじいちゃんにたくさんタケノコを食べさせておやりよと、またもやとんでもない勘違いをした人のいい藪主さんが発した一言で、澄姫の表情がびしりと凍りついたことは言うまでもないだろう。

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