ほろにがビスコイト(前)

※甘くはない
※長次が悲惨








今日は2月14日、女子はドキドキ、男子はそわそわバレンタインデー。
心なしか浮き足立つ生徒が目に付く忍術学園のくのいち長屋の一角で、上機嫌に鼻歌を歌いながら真っ赤なリボンをしゅるりと手に取った美女、平澄姫は先ほど仕上がったばかりのビスコイトを一瞥し、赤くなった頬を押さえて身悶えていた。

「当然のことだけれど、怖いくらいに完璧な仕上がりだわっ!!長次は喜んでくれるかしら?喜んでくれるわよね、いいえ喜んでくれるに決まっているわ!!なんたって忍術学園イチ優秀なこの私が作った完璧なビスコイトだもの!!何をやらせても完璧にこなしてしまう自分が恐ろしいわ…」

彼女の弟が後輩相手に良くやっている演説と似た独り言を声高にのたまった澄姫は脳内に浮かんだ愛しい恋仲の微笑みに照れ、ヤダァ、と両手を振り回す。その際ビスコイトの乗った皿に手が当たり、おいしそうなそれらがぽーんと宙を舞ったが、特に慌てることもなく皿でキャッチ。お見事。
再度鎮座したいちご風味のチョコがかかったハート型のビスコイト。
まるで彼女のこころのようなそれを見て、澄姫は恋する乙女の笑顔を浮かべた。
ささっと手早く包み、ちょっとよれてしまった赤いリボンで飾って、その結び目に飼育小屋付近で見つけた四葉のクローバーをひとつ。優しい彼はきっと、ビスコイトと共に送るこのクローバーを押し花にし、栞として使ってくれることだろう。
長次の取るであろう行動が予想できたことが嬉しくて、澄姫は包みを大切そうに抱え、彼の元へと駆ける。

くのいち長屋の渡り廊下を過ぎ、校舎を抜け、途中すれ違った山本シナ先生に廊下を走ってはいけませんよと窘められながら到着した図書室。
図書室内は飲食厳禁だけれど、持込までは制限されていなかったわよねと再確認してノックを3回。静かに開いた扉の奥には、愛しい愛しい恋仲の男…

「………あら?」

は見当たらず、きょとんとした顔で彼女を見つめる小さな井桁がふたつ。

「こ、こんにちは…澄姫先輩…」

「こんにちは怪士丸、きり丸。ねえ、長次は?今日は当番だと聞いていたんだけれど…」

「ああ、中在家先輩は今、食堂に…」

相変わらず顔色がよろしくない1年ろ組の怪士丸が笑いながらそう言えば、澄姫は短くお礼を述べて図書室を飛び出した。その後ろ姿を手を振りながら見送った怪士丸がさあ書庫整理の続きをと振り返って思わず悲鳴を上げる。

「ひっ、き、きり丸…?」

そこに立っていたのはいつも元気な摂津のきり丸…しかし、今の彼の顔はろ組の生徒たちよりも、斜堂先生よりも真っ青だった。

「あ、あ、あ、怪士丸…今、お前、な、な、な、」

「え、なぁに?ぼ、ぼくなにかまずいことした?」

「ま、まずいも何も、お前中在家先輩が誰に呼ばれて食堂行ったのか聞いてただろ?」

「え?うん………あ!!!」

どもりまくりのきり丸と話した怪士丸は、持っていた本をばさりと取り落として口を押さえる。視線だけでどうしよう、と訴えてきた彼の落とした本を拾ってやりながら、きり丸はなんとも言えない微妙な顔でがしがしと頭を掻いた。

そんなチビたちの心境などまったく知らない澄姫は、軽い足取りで食堂を目指していた。すれ違う生徒たちがついついのぼせあがってしまうような美しい笑みを浮かべたまま食堂の出入り口から可愛らしく顔を覗かせた彼女は、目に飛び込んできた光景に思わず飛び出しかけた言葉を呑み込んだ。
出入り口からは背中しか見えないが、真っ直ぐな栗毛の背の高い男…その正面に立っている、まだ幼さが目立つ少女。
少女はふくふくとした頬を林檎のように赤く染め、傷ひとつない可愛らしい手で彼に綺麗な包みを渡していた。
まるで少女のような可憐な桃色のリボンがふわりと揺れる、明らかに手作りのそれ。
そしてそれを、はにかみながら受け取る、図書委員会委員長…。
一連の流れを無感情な瞳で捉えた澄姫の全身から、ぶわりと殺気が放たれた。
すぐさまそれに気がついた長次が少女を背に庇い振り向き、目を見開いて青褪める。

「……、澄姫…」

普段から小さい声を更に小さくして彼女の名を呼べば、ドス黒い空気を纏った澄姫が怖いくらい美しい笑顔を浮かべて会釈した。

「あらこんにちはお邪魔しちゃってごめんなさいね『中在家くん』」

「!!……い、いや…これは…」

言葉を区切らず喋るのは、澄姫が怒髪天のときの癖。釈明しようと口を開いた長次を視線だけで黙らせた彼女は、大きな背の後ろできょとんとしている少女に顔を向けて微笑んだ。

「はじめまして。どなたかのご兄弟かしら?」

「あ、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。1年は組福富しんべヱの妹で、カメ子と申します……えっと…」

「あらごめんなさい。私はくのいち教室6年生の平澄姫と申しますの。そう、福富屋さんのお嬢さんでしたのね。ああ、今日はそういえばバレンタインデーですものね」

絶対零度の視線で少女…カメ子を見下ろせば、カメ子は恥ずかしそうにこくりと頷いた。

「ええ、あの…お兄様と、1年は組の皆様と……中在家様に…」

「あぁら、そうなの、中在家様に!!随分おモテになりますのねぇ『中在家くん』!!長居もなんですし邪魔者は退散いたしますわどうぞごゆっくり!!」

凍てつく笑顔で挨拶を済ませた澄姫は、額に青筋を浮かべながらすたすたと食堂を出て行った。その背中にぺこりと頭を下げたカメ子は今の方どなたかに似ておりますねと長次に問いかけようとして、飛び上がる。

「な、中在家様!?どうかされましたか?お顔が真っ青です!!」

それもそのはず。何故なら長次はだらだらと汗をかき、顔面蒼白で食堂の出入り口を見たまま硬直していたから。

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