恋心
放課後、澄姫は廊下を歩く長次をつけていた。
昼休み、仙蔵に励まされ、惚れさせてやるという誓いを新たに、彼を誘惑すべく気配を殺し歩み寄る。
図書室に入っていった長次の背を曲がり角の死角から見送り、澄姫は胸の前でぐっと拳を握る。
大丈夫、恋仲になる前もこんな感じだった。
表情の乏しい長次相手に渾身のアタックを続けていたではないか。
時に煩わしく追い払われ、邪険にされてはまた出直して。
彼の恐ろしい怒りの笑顔だって引き出してしまったこともあった。
しかしそんな努力も実り、彼と恋仲になれたではないか。
大丈夫、成績優秀文武両道才色兼備、学園一の美貌を誇るこの私なら大丈夫!!
そう心の中で叱責するも、澄姫は踏み出せないでいた。
そんな彼女の背後から、突然。
「こんなところで何してるんだ」
「にょえ!!」
長次に集中しすぎて他の気配に疎かになっていた澄姫は、いきなり背後から声を掛けられ妙な悲鳴を上げてしまった。
「にょえって…」
「もも、文次郎、おどおど脅かさないでよ!!」
彼女が慌てている理由がわからない文次郎は、首を傾げて再度何をしているのかと問いかけた。
澄姫は渋々、と言った具合に文次郎に理由を話すと、彼に鼻で笑われた。
「聞いといて笑わないでよ、腹立たしいわね。文次郎の癖に」
「やかましい。ホレ、長次が図書室から出てきたぞ。さっさと行けィ」
「い、言われなくても今行くわよ!!見てなさいよ、鍛錬バカ!!」
そう吐き捨てて、澄姫は潜んでいた曲がり角を飛び出すと、長次の名を呼んだ。
振り返る長次の顔は相変わらずの無表情だが、どこか驚いているようにも見えた。
「ちょ、長次、あの…」
「……………」
「あの…その…あ、えっと……」
文次郎は後々長次と澄姫をからかってやるつもりで様子を見守っていたが、余りにも長い沈黙となかなか喋らない澄姫に肩透かしを食らった気分になる。
「あ、あの……ね…」
「………………」
「(長次はいつものことだが、あいつ本当に澄姫か?)」
「…あの……わ、私と……その…」
「………………」
「(…誰だあいつ……)」
なかなか本題を切り出さない澄姫に苛々しつつも、文次郎は固唾を呑んで見守った。
「………澄姫」
しかし、長い沈黙の中、長次が彼女の名前を呼んだ途端、澄姫は顔を真っ赤にさせてその場を走り去ってしまった。
呆然とする長次と彼女が走り去った廊下を交互にしばらく見つめた後、我に返った文次郎は慌てて彼女を追いかけた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
文次郎は学園内を走り回り、やっと飼育小屋の前で山犬を抱き締める澄姫を見つけた。
ふんふんと鼻を鳴らしていいようにされている山犬の周りには生物委員会の面々もおり、中でも特に1年生が心配そうに澄姫の様子を見ていた。
「おい」
意を決して文次郎が声を掛けると、彼に気が付いた1年生がわらわらと寄ってきては彼女のことを聞いてきた。
「あー…すまんがお前ら、少し外してくれ」
そんな1年生を彼にしては優しく八左ヱ門に預けると、まだ山犬の胸元に顔を埋めている澄姫に話しかけた。
「おい、澄姫、何だよさっきの無様な姿は。長次を誘惑するんじゃなかったのか」
どこか馬鹿にした態度で、文次郎は澄姫にそう言うと、彼女はがばりと山犬から顔を上げて、真っ赤になりながら文次郎を睨んで叫んだ。
「だっ、だって、無理!!!は、恥ずかしいんだもん!!!」
その一言に、文次郎はずっこけた。
「は、恥ずかしいだぁ!!?俺や久々知やらに散々あ、あんなことしたお前が!!?」
「あ、貴方たちは平気よ!!!でも長次は無理なの!!!」
「はァ!!?そんなタマじゃねえだろお前!!!気味悪いな!!!」
「なんですって!!?じゃあ文次郎がやってみなさいよ!!!」
「いやそういう問題じゃないだろ!!」
ギャーギャーと言い合う2人に、山犬が甘えるようにぴぃ、と鼻を鳴らした。
揃って山犬を見ると、ビー玉のような目で見つめ返され、その純粋な眼差しになんとなく後ろめたさを感じた2人は口を噤んだ。
文次郎はひとつ咳払いをすると、偉そうにふんぞり返って澄姫を指差した。
「とにかくさっさと長次を取り返してこい!!」
その言葉に、澄姫も山犬を放して立ち上がり、挑発的な眼差しで笑った。
「言われなくたって、やってやるわ」
この忍術学園一優秀で美しい、くノ一のたまごをなめないで頂戴。そう言い放った澄姫の煌く瞳には、しっかりとした決意と壮絶な色気が渦巻いていた。
そんな彼女の瞳に一瞬だが心を奪われた文次郎は慌てて目を逸らし、おう、と小さく呟いた。
そんな彼の様子を見た澄姫はにっこりと微笑み、するりとその細い腕を彼の首に回す。
「っおい!!」
その様に慌てたのは文次郎で、慌ててその細い腕を掴んで引き離そうとするが、それよりも早く澄姫が彼の鍛えられた体に寄り添い、耳元でそっと囁いた。
「励ましてくれてありがと、文次郎。お礼しなきゃね………カ・ラ・ダ・で」
その一言で文次郎は盛大に噴き出し、思わず鼻を押さえる。
指の隙間から零れる鮮血に構いもせず、顔を真っ赤にさせてバッカタレー!!と叫びながら一瞬にしてその場から逃げ去ってしまった。
意外とお節介で純情なイジリ甲斐のある友人をカラカラ笑っていた澄姫だったが、後ろから真っ赤な顔で純粋な1年生たちの目を覆い隠した八左ヱ門と孫兵に
「澄姫先輩!!後輩たちの教育上よろしくありません!!」
そう怒鳴られてしまった。
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