不穏な噂と呻き声

すっかりいつもの調子を取り戻した澄姫が林を移動していると、近くから困ったような声が聞こえてきた。
その声に聞き覚えがあった彼女はふと足を止め、気配を消して声のほうへと静かに進んでいく。
ごくごく小さな音で茂みから顔を出せば、そのすぐ先に見慣れた青と井桁が見えた。

「(2年生と1年生のチーム…ということは、あれは川西左近と猪名寺乱太郎ね)」

装束の色で声の正体を当てた彼女は、なにやら先ほどからうんうん唸っている2人の会話に耳を澄ます。

「…てことは、わたしたち」

「迷子だ。カンペキに」

「(あらあら、困った子達だこと)」

どうやら迷子になってしまったらしい彼らに小さな溜息を漏らした澄姫は、直後ドでかい耆箸を取り出した乱太郎を見てすっ転ぶ。
あんなものを浮かべる水場が近くにあったかしらと頬に手を当てた彼女がことの成り行きを見守っていると、怒鳴り散らした左近と乱太郎が喧嘩を始めてしまい、もう溜息しか出てこない。しかも怒鳴ったくせに左近の耆箸は手入れを怠っていたため磁気が吹っ飛んで使い物にならないらしい。
先生には黙っててくれと掌を返したように乱太郎に頼み込む彼の姿を見て、澄姫は2年生担任の野村先生の顔を思い浮かべた。
と、その時微かに物音が彼女の耳に飛び込み、同じくそれが聞こえたのだろう、乱太郎と左近が走り出す。
その後を追いかけた澄姫の目に飛び込んだのは、もうすぐ林の出口に差し掛かろうとしているのに前進を戸惑っている5年ろ組不破雷蔵と1年ろ組二ノ坪怪士丸の姿。
耳をそばだてて合流した4人の会話を聞いてみれば、どうやら道の真ん中に罠の存在を味方に知らせるサインがあるらしく、それを見つけた雷蔵の迷い癖が発動し立ち往生してしまっているとのこと。
相変わらず優柔不断なんだから、と恋仲が纏め上げる委員会の後輩を一瞥した澄姫はさあどうするかしらねとのんびり笑って近くにあった大きな木の枝の上に飛び乗り、優雅に腰を下ろした。

「こちら第一指定地点間近の澄姫よ。現在その手前で罠のサインを発見し戸惑う雷蔵を観察中。うふふ、頼りになるはずの上級生があんな調子じゃ、下級生は……あら?」

どこかから取り出したマイクに向かって中継を始めた彼女が、途中で言葉を途切れさせる。と、ほぼ同時に聞こえる地鳴り。
ごごごごご、と轟音を響かせて近付いてきた『何か』は勢いよく藪から飛び出し爆走。

「迷ってるバヤイではありません!!『進退は疑うなかれ』です!!」

「あら、3年ろ組の方向音痴、神崎左門が能勢久作を引っ張って登場。罠のサインを飛び越えてー…」

久作の腕を引っ張って現れた決断力のある方向音痴神崎左門は、そう叫びながら悩む雷蔵の隣をすり抜け、そしてそのまま見事にすっぽーん、と落とし穴にはまった。

「やはり罠は仕掛けられていたのだ!!」

すっ転ぶ4人をよそに大きな声でそう言った左門。手を引かれていた所為で一緒に落とし穴に落ちた久作と共に、どうやら怪我をしたらしい。

「あらまあ大変。決断力がありすぎる故に罠にはまった神崎左門は足首を捻挫、能勢久作は手首を捻挫しちゃったみたいね。くのたま救護班、すぐさま現場に急行して頂戴」

居合わせた保健委員の左近と、罠があったと結論が出たためようやく悩むのをやめた雷蔵が簡易的な手当てをしている場面を横目で見ながら澄姫が即座に救護班を要請。
決断力がありすぎるのも困りものねと呆れた視線を向けた彼女はひとつ溜息をついて、こんなところにこんな穴を掘るなんて無茶なことをするのはあの人しかいないとぷりぷり腹を立てている左門の脇にある獣道から近付いてきている気配に視線を動かした。

「言っとくけど、その落とし穴を掘ったのは僕じゃない」

「確かに喜八郎先輩は『穴掘り小僧』とか『天才的トラパー』と異名をとるほどの仕掛け罠の名人ですが、オリエンテーリングのコース上に罠を仕掛けるなんてことはしません」

「大体仕掛け罠のサインを置いておくだけで他チームの足止めが出来るのに、こんなでっかい穴を掘るなんてバカげてますよ……それに、この穴は美しくない…」

ひょこりと姿を現した4年い組綾部喜八郎と1年い組黒門伝七…2人の会話を聞いて不穏な噂がふと頭を過ぎった澄姫は、近くを通り去った錆色の影に気付かないまま長い脚を組み替える。

「…なんだか、厄介者がチャチャをいれてきているみたいね」

静かに呟いた彼女はマイクを仕舞い、静かに駆けつけてきた桃色の隣に降り立つ。

「きゃっ、びっくりした、澄姫先輩!!」

「うふふ、お疲れトモミちゃん。現場中継?」

「はい。あと救護班がそろそろ…」

「あら、意外と早いじゃない…じゃあここは任せてもいいかしら?妙な輩が近くにいるみたいだから十分注意してね」

「わかりました。澄姫先輩もお気を付けて」

駆けつけてきた桃色…現場からの生中継を担当しているくのたまのトモミは、彼女の忠告を聞いて一瞬だけ鋭い瞳になったが、すぐいつもの愛らしい笑顔を浮かべて跳躍した深赤に手を振る。
木の枝を飛び移りながら第一指定地点を目指す澄姫の耳に小さく不気味な呻き声が聞こえたが

「やだ、留三郎ったらまだサイレン直してなかったのかしら?あれじゃ助かった気がしないでしょうね」

あの不気味なサイレンを聞いて助けられているだろう左門と久作の微妙な反応を想像してしまい、呑気に笑った。

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