風邪っぴきセレナーデ

「……風邪、だな…」

くのいち長屋に似つかわしくない低い声が、静かに響いた。
それに答えるように、くしゅん、と可愛らしいくしゃみが続く。

「かぜ…」

「……ああ…昨日の実習で、体を冷やしたのだろう…」

手早く体温計を澄姫から取り上げた長次は、彼女の肩まで布団を引き上げると水の置かれた盆を枕元まで引き寄せて、額に張り付いた前髪をそっと指で払った。

「…夕方には、新野先生と伊作が戻る…その時に、薬を貰おう…」

「……うん…」

静かにそう言って、剥き出しになった額に唇を落とした長次は苦しそうな呼吸を繰り返す澄姫の頭をそっと撫でてから立ち上がり、静かに彼女の部屋を出て行った。


それが、3日前のこと。

「ああんもう、暇ぁーっ!!」

勢いよく叫んで布団を蹴り上げた澄姫は、文机に飾ってあるすっかり枯れた椿を睨む。
3日前、風邪により高熱を出した彼女は戻ってきた新野先生に診てもらい、伊作から貰った薬を飲んで安静にしていた。
安静にしていたというよりだるくて動く気力もなかったのだが…とにかく、それがかえって良かったのか、熱は翌日には微熱まで下がり、更にその翌日には平熱まで戻った。
もう大丈夫だろうと身支度を整え、授業に出ようと部屋を出た澄姫…しかし、食堂で出会った友人たちは現れた彼女を見て眉を顰め、口々に“まだ寝ていろ”と彼女を部屋に押し戻した。

「…たしかにまだ鼻声ではあるけれど、これくらい平気なのに…」

ぷくっと頬を膨らませてひとりごちた彼女は枕をぎゅうと抱き締めてごろごろと布団の上を転がる。

「長次に付き添わせるなんて、卑怯な奴らだわ…」

そしてばふん!!と枕を布団に叩き付けた彼女は、背中から力なくぱたりと布団に倒れこんだ。
卑怯だと彼女は言うが、風邪は治りかけが一番怖いもの。中途半端によくなったからと調子に乗ると、また悪化する可能性が高い。
それをよく知る伊作を筆頭に、澄姫に対しては少しだけ過保護な6年生たちは、完治していない彼女を部屋に戻らせたのだ。彼女が抵抗しないように、逃げ出さないように、付き添いという名目で長次に監視させて。
勿論、彼女の恋仲である長次も伊作たちと同じ考えだったらしく、部屋まで送り届けたあとに甲斐甲斐しく布団を敷き直し、枕元に水と薬を用意し、寂しくないようにと文机に椿の花を飾ってから、大人しく寝間着に着替え布団に入った澄姫の額に口付けをして部屋を後にした。
そこまでされてしまえば逃げ出す気力も奪われるもので、彼女は大人しく瞳を閉じた

…のだが、熱があったときとは違い体は元気を取り戻し、連日眠っていたせいで全然眠くない。暇潰しにと長次が持ってきてくれた本も読んでしまったし、休んでいる間の授業の予習復習は完璧。
完全に暇を持て余すこととなった澄姫は先程からじたばたと大暴れ。

「……お団子食べたい」

とうとう長次の言葉の拘束までもを振り切ってしまった彼女は、小さく呟いて布団を撥ね退けてしまう。

「…外に出たら、怒られるかしら…」

脳裏を過ぎった恋仲の不気味な笑みに一瞬だけ戸惑いを見せたが、それすらも上回った退屈という思いが、心の中でばれなきゃ平気だと囁く。
暫く悩んだ後、彼女は寝間着を肌蹴させ、すらりとした長い脚を天井に向けると、勢いをつけてひょいと起き上がった。
箪笥の中からあまり着ない浅葱色の着物を引っ張り出し、髪を高く結い上げくるくると纏めると、鏡に映ったのはどこからどう見ても質素な町娘。若干…いや、かなり顔立ちが整っているので服が質素でも目立つのだが、自分の顔を見慣れている澄姫は気付かないらしい。

「うふふ、さすが私…完璧だわ!!」

そう言ってガッツポーズを決めた彼女は、学んできた技術を存分に生かしてこっそりと部屋から抜け出した。

静かな忍術学園。そこに響いた吉野先生の怒鳴り声を聞き逃さなかった澄姫は、にんまりと笑ってくのいち教室の敷地のほうから塀を乗り越える。いつでもどこでも速攻で追いかけてくるサイドワインダーも、さすがにお説教の最中では追いかけてこられないらしい。
学園から脱出成功した彼女は、意気揚々と町を目指して歩き出した…が、その途中、馴染んだ気配を感じて草むらへと咄嗟に身を隠した。
息を殺して気配を消した彼女の瞳に映る、見慣れた深緑。
これから実技の授業なのか、各々得意武器を持った彼らは楽しそうに話しながら呑気に歩いている。

「今日の実技、森の中でも実戦訓練だとよ」

「森の中でか…宝禄火矢の火薬量に注意せんと山火事が起きるな、伊作がいるから」

「仙蔵、それはちょっと酷くないかい!?」

「でも仙蔵の言う通りだと思うぞ?」

「……留三郎…お前も、いるから…危ない…」

「なははは!!長次それめちゃくちゃ面白い!!」

どこがだよ!!と大きな声で叫んだ留三郎を皮切りに、楽しそうな笑い声が響く。わいわいと談笑しながら、深緑たちは澄姫の前を通り過ぎていった。
普段の光景。
よく見る光景。
しかし、彼らを見送った澄姫はがりりと地面に爪を立て、飛び出してきたばかりの忍術学園に向かい走り出した。



夕刻。
授業を終えた長次がお盆を抱えて澄姫の部屋の扉を叩く。しかし部屋から応答はなく、眠っているのかと首を傾げた彼はそろりと扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「……どうした…!!」

夕日が差し込んだ薄暗い部屋。そこに敷かれた布団の上でボロボロと泣いている寝間着姿の澄姫を見つけて、彼は持っていたお盆をひっくり返す勢いで駆け寄る。

「ぐ、具合が悪いのか…?どこか、痛いのか…!?」

おろおろする長次の問い掛けにすべて首を振り、ぐすっ、と鼻を啜った澄姫は零れる涙を拭いながら小さな声で、お団子が悪いの…、と呟いた。

「……団、子…?」

震える背中を摩りながら、長次はぽつぽつと語り始めた澄姫の言葉に耳を傾ける。
暇を持て余して、団子を買いに町へ行こうとしたこと。
こっそり忍術学園を抜け出したところで、実技の授業に向かう長次たちを見かけたこと。
わいわいと楽しそうに喋る彼ら…普段自分もその輪の中にいるはずなのに、何故かそれが遠い遠い世界の事のように思えた。自分だけが世界から除け者にされてしまったような感覚に襲われて、怖くなって部屋に逃げ帰ったこと…。
しゃくりあげながらそれらを話し終えた澄姫を見た長次は、そっと笑って彼女の細い体を抱き締めた。

「………ばかな、ことを…」

「だってぇ…」

「…風邪を引いて、心細くなっていただけだ…」

「でも…−−−」

抱き締めた体を離し、額をつっくけて、鼻先が触れ合う距離で長次は優しく囁く。

「私は…私たちは…ちゃんとここに、いる…」

「−−−………うん」

甘く蕩けるような囁きを聞いて落ち着いたのか、それとも愛のなせる業か。やっと安心した澄姫はまるで少女のように素直に頷いて、柔らかく微笑んだ。
その笑みにほんのりと耳を赤らめた長次がそっと距離を詰め、唇と唇が触れ合う…寸前のところで、わざとらしい咳払いが響き、2人は飛び上がった。

「あー、お取り込み中大ッ変申し訳ないがな、そろそろいいか?」

「見舞いに来たんだがなぁ、お邪魔だったようだなぁ」

「もっ、文次郎!!」

「…仙蔵…ニヤニヤ、するな…ッ」

「僕らもいるよー」

「元気そうで何よりだなぁオイ、お2人さんよぉ」

「澄姫!!団子買って来たぞ!!」

真っ赤になる2人の視線の先、夕日を背負って立っているのは居心地悪そうな文次郎、ニヤニヤした仙蔵、朗らかに笑っているが傷だらけの伊作、茶化すようにニヤけている留三郎、そして笹の包みを掲げた小平太。
彼らは遠慮なしに澄姫の部屋に足を踏み入れると、適当な場所に腰を下ろして思うままに寛ぎ始めた。
その騒がしさはあっという間に彼女の不安を吹き飛ばし、部屋の空気を明るく染めていく。
きょとんとしている澄姫の肩をそっと抱いた長次は、視線だけで『私の言った通りだったろう?』と告げると、小平太から渡された団子を受け取り、彼女の口の前に差し出す。

「……早く、治さないとな…」

「……うふふっ、そうね」

ぱくりと頬張った団子は、ちょっとだけほろ苦くて、とびきり甘かった。
−−−−−−−−−−−−−−−
風邪っぴき澄姫とその仲間たち。風邪を引くとなんだか心細くなったりしません?外から聞こえる声とか音から隔離されたよーな…ひとりぼっちが更に強調されたよーな…あれ?祭だけ?スイマセン…orz
奈々様、リクエストありがとうございました



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