その魔王、大暴露

月妃が消えてからはとても慌しかった。
すっかり元に戻った先生たちに生徒は飛びつき、悪い夢のようだったと涙を流した。
応援に駆けつけてくれたタソガレドキ忍軍はどこまでも紳士的で、結局澄姫が渡したと言う手付金もそっくりそのまま返し、困ったときはお互い様だからねと暗に次回タソガレドキで困ったことがあれば無条件で手を貸せよと言い残して去っていった。
同じく応援に駆けつけたがちょっと遅かったドクタケ忍者隊は手作りであろう澄姫ファンクラブののぼりやら旗やらの所為で小松田さんに見つかり大混乱、その中でドクたまたちは元々そういう心積もりだったのだろう、やはり忍術学園にいたいという澄姫の言葉に優しく頷いて、それでもちょっと寂しくて泣き出してしまった山ぶ鬼を慰めながら、また遊びに来るねと手を振って帰っていった。
戦いの傷跡は残っているが、戻ってきた日常に満足そうに頷いた学園長先生は無理して建物の屋根の上に登ってイエローゲート様のように『これにて一件落着!』と自信満々に叫んで足を滑らせ吉野先生に支えられて医務室行き。
各々後片付けや負傷者の手当てに忙しそうに走り回る中、戻ってきたくのたまたちに囲まれてもみくちゃにされている澄姫を、少し離れたところからじっと見つめていた長次は、重たい溜息をゆっくりと吐き出した。

まるで夢でも見ているような、不思議な記憶。
辻褄が合っていないようでしっかりとかみ合っているその記憶の所為で、彼は澄姫に声を掛けることができないでいる。
春先に起きた出来事で、二度目はないと告げられた。
その言葉が今、彼に重く圧し掛かっている。
夏に現れた男の時も澄姫を守ることができず傷付けてしまった。秋も深まった頃に現れた男の時は、彼女を最後まで信じることができなかった。
そこに加えて、今回の失態。
見つめる先の美しい顔に刻まれた小さな傷…それはどんな言い訳をしたところで長次がつけたものに変わりない。それだけならまだしも、きっと心にも、深い傷をつけてしまった。
後悔したところでもう遅い。
謝って許される問題ではない。
何度頭を巡らせても導き出される結末は同じもので、長次はそっと目元を覆って苦しい胸の内を溜息に紛れ込ませた。

「……長次のヤツ、史上最高に落ち込んでやがる」

「あそこまで落ち込んだ長次はさすがに私も慰めきれないぞ」

それを物陰から窺っているのは彼の頼れる友人たち。どうするどうするとうろたえながら長次と澄姫の姿を見比べていた。

「これって破局なのかな?あの2人別れちゃうのかな?」

「縁起でもねえこと言うな伊作。だがまあ、危機的状況だ…」

「なし崩しで仲直りとかできないか?」

「長次には難しいんじゃねーか?なあ仙蔵、なんかいい案…仙蔵?」

うろたえるだけの伊作が文次郎に窘められ、小平太のぶっ飛んだ発想を留三郎がしかりつつ仙蔵に助けを求めるといういつものパターン…しかし、留三郎に声を掛けられた仙蔵は困っても楽しんでもおらず、ただひたすら真剣に長次を見ている。
珍しい彼の態度に首を傾げた小平太、留三郎、伊作。その中でただひとり、文次郎だけは何か知っているのか、複雑そうな顔をして仙蔵を見た。
その時、とうとう自身の中で何か結論付けたのだろう長次が澄姫に声も掛けず彼女に背を向けて歩き出した。
帰っちゃう帰っちゃう、本格的にこれはヤバイ、と焦り始めた6年生。
だが、ふいに仙蔵が物陰から飛び出し、去り行く長次の肩を掴んだ。
突然どうしたとばかりにそれを眺めていた6年生の目の前で、なんと自分より背が高い長次の胸ぐらを仙蔵が掴み、珍しいことに彼を怒鳴りつける。
慌てて仲裁に駆け寄った伊作と留三郎に落ち着けと言われながらも、仙蔵はなお長次に怒鳴ることをやめはしなかった。

「長次!!貴様一体何をしているのだ!!話し合いすら放棄して澄姫をまた傷付けるつもりか!!」

「仙蔵、落ち着け!!」

「留三郎は黙っていろ!!どうせこのでくの坊は合わせる顔がないとか資格がないとかくだらんことを考えているんだ!!その前にやることがあるだろう!!何とか言ってみろ長次!!」

小平太の手すら振り解き長次に怒鳴りつける仙蔵の様子は普段とはかけ離れており、その姿に誰もが面食らう。見ていられなくなった伊作が2人の間に身体をねじ込もうとしたその時、仙蔵の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「何も言えんのか!!見損なったぞこの腰抜けめ!!貴様、私が、私がどんな想いで身を引いたのか、わかっているのか!!!」

勢いで怒鳴った仙蔵の言葉に、長次は目を見開いた。文次郎だけは知っていたようで、あーあとでも言いたそうに額を押さえている。

「えええええ!!!?仙蔵って澄姫のことす、好きだったの!?」

「悪いか!!」

「ぜ、全然知らなかった…!!!」

「隠していたから当然だ!!」

「文ちゃんは知ってたのか!!?」

「小平太、文ちゃん言うな…まあな、4年生に上がる前まで相談受けてたしよ…」

突然のことに飛び上がった伊作を一喝した仙蔵はそれでも何も言葉を発しない長次を睨み、鍛えられた胸筋を人差し指でどすりと突く。

「仲睦まじい貴様らを見て墓まで持って行こうと決めたが、長次!!貴様がここまで不甲斐無いならば話は別だ!!澄姫を泣かせるというのならば私の全身全霊を以って貴様から澄姫を奪ってやる!!精々指を銜えて見ているといい!!そしてその悔しさに明け暮れ毎晩枕を涙で濡らせ!!いい気味だ!!」

そこまで言い切った仙蔵が嘲りを籠めて高笑いをしたその時、ずっと結ばれていた長次の唇がうっすらと開き、その瞳に強い決意が輝いた。

「…………仙蔵…」

「なんだ負け犬?」

「………お前にも、誰にも…澄姫は、渡さん……絶対に」

風に掻き消されそうな小さな低い声。普通の人ならば聞き逃してしまいがちなその声はしかし、6年という歳月を共にした友人たちの耳にはしっかりと届いた。
どうせなら本人の前で言ってやれよと思わないこともないが、長次の想いがつまったその一言に小平太は嬉しそうに笑い、留三郎は苦笑い、伊作は恥ずかしそうに照れ笑いを零し、文次郎はやれやれと肩を竦める。

「………ならばどんなことがあっても手放すなよ。なあ、長次」

そして今まで怒り心頭だった仙蔵もまた、柔らかな笑みを浮かべてそっと長次の背を押した。
友人たちから勇気を貰った長次は彼らの顔を見て頷くと、意を決してくのたまに囲まれている澄姫に近付いていき、話がしたいと彼女に告げる。
静かに頷いた彼女は取り囲んでいたくのたまたちに小さく挨拶をし、夕日が沈みかけている裏々山に消えていった。
そのふたつの背を見送った友人たちの瞳に映った、微妙な距離。
まるで見えない壁でも生じてしまったかのようなその距離は、彼らの胸をじわりと締めつけた。


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