その女、キレる

(※虫苦手な人は注意!!)



ぎぎぎぎ、と耳障りな金属音を発している苦無。稽古の時とはまったく違う、恐怖すら感じるほどのその力に利吉はわなわなと唇を震わせる。

「っ父上!!しっかりしてください父上!!」

必死に声を掛け続けているが、虚ろな瞳の伝蔵は一切反応せず、まるで機械のように的確に利吉の急所めがけて忍刀を突き出していた。それを何とか苦無で弾きながら、背後で震えている1年は組を守る。
同じくすぐ傍で半助と交戦している諸泉尊奈門も、飛んでくる棒手裏剣を何ともいえない表情で退けていた。

「なんでこんな時だけちゃんとした武器を持ってるんだ!!」

反応がないとわかっているのに、つい口をついで出てしまう文句。尊奈門の嘆きに彼も大変だな、と一瞬同情してしまった利吉は死角から突き出された拳に一瞬反応が遅れ、盛大に吹っ飛んだ。
しまった、と青褪めた彼の視界に、研ぎ澄まされた忍刀が煌く。何とか体勢を立て直してその場を離れようとすると、背後から突然、とっつげきー!!という元気な声が聞こえた。

「「なっ…!!!」」

驚いた利吉と尊奈門が止める間もなく、伝蔵と半助に群がる井桁。力自慢の金吾、団蔵、虎若が伝蔵の手足に纏わりつき、喜三太と平太夫が渾身の力を籠めて彼のご自慢のおひげをひっぱる。庄左ヱ門と伊助と三治郎に纏わりつかれた半助はきり丸と乱太郎に背中に圧し掛かられて地面に倒れ、しんべヱがどこに隠し持っていたのか不明だが手にしたちくわで彼の顔を殴打する。
何とも間抜けな光景にあっけに取られた利吉と尊奈門だが、井桁なりに一生懸命なのだろう。口々に先生、先生と喚きながら押し退けられても戻り攻撃の手を休める事のない彼らに、目頭が熱くなる。
2人は顔を見合わせ大きく頷くと、ずかずかと井桁塗れの黒装束に近付き、怒鳴った。

「父上!!若い娘に現を抜かしたと母上に言いつけますよ!!」

「ぬぁっ!?そ、そりゃ困る!!母さんには黙っててくれ利吉!!」

「土井半助!!私のときだけ文房具で戦うというのなら、私は今度からはんぺんとかまぼこで戦うぞ!!」

「ねっ、練り物だけは止めてくれぇ!!」

今迄で一番怒りの篭った怒声に揃って悲鳴をあげた伝蔵と半助は、あれ?と瞬きをひとつ。右手、左手を順に動かして、その体が自分の指示通りに動くことを理解するなり、纏わりつく井桁を無言で力いっぱい抱き締めた。
久方ぶりのぬくもりに感極まって泣き出した井桁たちの頭を撫でる彼らの目にも、輝くものが浮かんでいる。

「お前たち、よく頑張ったな、偉いぞぉ」

「すまんな、心配かけたな、すまんな…!!」

搾り出すようにそう言って泣きじゃくる井桁を撫でる2人を見た尊奈門と利吉は安堵の息を吐いて、直後鋭い瞳で月妃を睨んだ。

その視線の先で、向き合う渋柿と深緑。
渋柿は武器を構え優雅に佇んでいるが、深緑は茫然自失という感じで周囲をぼんやりと見回している。
どれくらいそうしていただろうか、ふいに澄姫がじゃりりと半歩前ににじり出た。それを合図としたのだろうか、失意の表情だった月妃の顔に怒りが浮かび、袖から隠し持っていた二対の鉄扇を取り出す。

「まあ、随分お上品な武器なのね」

「…返せ…返せ、返せ返せ返して!!私の居場所を返してぇぇぇッ!!!」

追い詰められたと思ったのか、それとも失意の末に錯乱したのか…月妃は物凄い雄叫びを上げて澄姫に襲い掛かった。鉄扇が彼女の整った顔に迫るが、紙一重でそれをかわした彼女はくるりと身体を反転させてその場を飛び退くとある程度距離を取り、武器を振るう。
錘のついた鎖が月妃に迫るが、今度は彼女がそれをギリギリでかわして距離を詰める。
助太刀しようとして6年生が駆け出すが、留三郎と文次郎は虚ろな教師に遮られ、伊作と仙蔵は下級生の非難で手一杯、色々あったがすっかり自分を取り戻した長次が加勢しようと縄標に手をかけると、それはなんと同室の小平太によって鋭く止められてしまった。

「長次!!お前は手を出すな!!」

「…しかしっ……」

「よく見ろ!!澄姫が笑ってる!!まだ何か策があるんだろう!!」

好戦的な目をした小平太にそう言われて長次が澄姫を見ると、確かに彼の言う通り、澄姫は間合いを確保しながら攻撃を避け、一見逃げ回っているようだがその顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
それでも尚彼女が心配で仕方がないといった具合の長次に、小平太はにっと口角を上げて顔の横でぐっと拳を握って見せた。

「なあに、“今は”手を出すな、ということだ!!澄姫が死にそうになったら助けてやればいい!!」

あちこちで刃を交える音がするのに、彼は普段と同じ太陽のように笑う。それを見て少し落ち着いたのか、長次は縁起でもない、と彼の頭をそっと小突き、戦う澄姫に一度だけ視線を向けると自身に襲い掛かってきた苦無を身体を捻って蹴り飛ばし、目の前に立ちはだかる敵に意識を集中させた。

武術の達人、とまで囁かれている彼の視線を複雑な心情でこっそり受け取った澄姫は迫る鉄扇を右へ左へとかわしながら、頭を巡らせていた。
武器を合わせてわかったこと、それは、彼女と月妃の実力がほぼ互角ということ。それはつまり戦いが長引けば長引くほど澄姫が不利になっていくということになる。月妃の鉄扇と比べ、澄姫の武器は鞭のような形状…攻撃範囲こそ広いが、鉄で出来ていて更に錘までついているそれを振り回すのは、体力をじわじわ消費してしまう。月妃もそれを狙っているのか先程から全く休む間を与えてくれない。
致し方ない、とこっそり息を吐いた澄姫は“彼ら”にも協力してもらうことにした。

「どうしたの!?随分お疲れみたいね、武器の所為で負けただなんて後々言い訳しないでよ!!」

「負ける?言い訳?うふふ、その言葉…熨斗つけて貴女にお返しして差し上げるわ!!」

身体を動かしたお陰で冷静になったのか、軽口を叩けるようになった月妃を鼻で笑い飛ばした澄姫は一機は大きく跳躍すると、得意な間合いより更に広く間合いを取って、大きく息を吸い込んだ。
その姿を見て八左ヱ門が青褪める。
いぶかしんだ月妃をよそに、澄姫はその場で数回ぱくぱくと口を動かした。

「一体何を………」

不可解なその行動に眉を潜めた月妃とは対照的に、澄姫はにっこりと微笑んでその場で大きく手を広げる。

「私を本気にさせたことを、後悔するが良いわ」

高らかに宣言した彼女の腕に、一羽の烏がとまった。それを引き金に、ばさばさと裏山や裏々山、飼育小屋の方面から飛来する烏、鷹、鷲、鳶、梟…夥しい数の鳥たちが、彼女の周りに降り立つ。そして一声鳴くと、それらは一斉に鋭い嘴や鉤爪を月妃に向けて襲い掛かってきた。
突然の出来事に驚きながらも鉄扇で一心不乱に追い払う月妃。彼女が応戦している間に、澄姫はまた口をぱくぱくと開閉させる。
まるで御伽噺のような戦い方だと見惚れていた下級生の誰かから、ヒィィっと悲鳴が上がった。
ざわざわと澄姫の身体に登り這い回る蜘蛛や百足、彼女の周りをひらひらと飛び回る蝶や蛾、挙句の果てにはぶんぶんと耳障りな羽音をさせてやってきた大きな蜂。ところどころ飼育小屋で見かけたこともある虫がいると声を上げた一平に、佐吉、伝七、彦四郎は気を失いかけた。

「いっ、いやあああああああ!!!」

さすがに女の子にはキツイ光景だったようで、やっとの思いで鳥を追い払った月妃が絹を裂くような悲鳴をあげる。しかし澄姫はきょとんと首を傾げて、首から頬に這い上がってきた百足をちょいちょいと撫でながら微笑んだ。

「慣れれば結構可愛いものよ?」

だが残念ながら、その言葉に頷いたのは孫兵ただ一人だけだった。
這い回っていた虫たちを指先ひとつの指示で月妃に向かわせる澄姫、悲鳴をあげて逃げ回る月妃、ドン引きの生徒たち、乾いた笑いを漏らすタソガレドキ忍軍、何ともシュールな光景。
その光景をあっけに取られて見ていた生徒たちの中で、作兵衛に首根っこを掴まれてわたわたしていた左門が孫兵の袖を引いてアレは一体どういうことだと問い掛けた。彼ともうひとりの迷子を引っ掴んでいる作兵衛も気になったようで、耳を傾けている。
素直な彼らに孫兵はほんのりと口元を緩め、ああ、と頷きながら解説を始めた。

「詳しいことは僕にもよくわからないんだけど、澄姫先輩は人間の耳には聞こえない音域の声を出すことができるんだ。超音波みたいなものかな?それを使ってあんな風に鳥を呼んだり虫を呼んだりできるみたい。本当は澄姫先輩犬笛も必要ないんだけど、高音域出すの疲れるから使ってるって聞いたことがある」

「何それ超凄い」

「その中でも一番出しやすいのが烏とか蝙蝠とか呼ぶ音域だから、一部の人に魔女とか呼ばれてるらしいよ」

「そ、それだけじゃないと思うけどな…」

月妃の悲鳴を聞きながら羨ましいよねぇ、とのたまう孫兵。
騒ぎを聞きつけたのか、それとも本当に声だけで呼び寄せたのか定かではないが、いつの間にか澄姫の周りを取り囲んでいるのは山犬の栗と桃、その他にも数匹の大きな山犬や狼たち。
牙を剥いて低く唸る彼らを率いてクスクス笑う澄姫に、虫攻めで心を折られてしまった月妃はへなへなとその場に座り込んだ。


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