その夢、醒め始める

田村三木ヱ門たちのいた4年長屋から早々に撤退した澄姫が次に向かったのは実弟である滝夜叉丸の部屋。しかしそこには誰の姿もなく、肩透かしを食らった彼女は小さく溜息を吐いて4年長屋を後にした。
生い茂る木々に身を隠しながら残るターゲットの名前を思い出していたその時、視界の端に群青を捉えた彼女はにんまりと目を細め、木の幹の影にその身を滑り込ませる。
気配を立ってそろりと様子を伺うと、そこにはいつも仲が良い5年生の5人がなにやら集まって話をしている様子。その中で一際大柄の見慣れたボッサボサ頭が浮かべた心底明るい笑顔につい釣られ口角を上げたその時、彼の形のいい鼻がひくりと動いた。

「誰だ!!」

ボッサボサ頭…竹谷八左ヱ門の怒鳴り声とほぼ同時に、気配に敏感な鉢屋三郎が友人である不破雷蔵と同じ顔で澄姫が隠れている木の幹に向かい瓢刀を打ち付ける。
間一髪でそれを避けた澄姫だが、一瞬の油断で見つかってしまった己の失態に短く舌打ちを漏らす。
恐らく連携的に次に襲い掛かってくるのは八左ヱ門の次に豪腕且俊敏な尾浜勘右衛門かとあたりをつけて防御のためさっと腕を顔の前に翳したが、腕の隙間から見えた彼らは何故か唖然とした表情で立ち尽くしていた。
微妙な沈黙に首を傾げた澄姫。目を見開いている三郎、兵助と八左ヱ門はウソだろ…と呟いて顔を見合わせているし、何故か勘右衛門は超笑顔。

「な、なに…?」

あまりにもなその雰囲気に思わず口を開けば、目を見開いていた三郎が信じられないとでも言うような口ぶりで彼女に問い掛けた。

「あの…お姉さん、ドクタケ忍者隊の方ですか…?」

「え?あ、ええ…まあ…」

言葉を濁すように曖昧に頷けば、途端にわっと群青が騒ぎ始める。

「ウソだろ!?ドクタケ忍者隊ってむっさいおっさんばっかだったじゃねーか!!」

「冷めたチンゲンサイの野郎がきっと出し惜しみしてたのだ!!」

「っていうか1年は組の子達は知ってたのか!?知ってて黙ってたのか!?」

「ドクタケの綺麗なお姉さんお名前は?趣味は?年齢は?14歳は守備範囲外ですか?おっぱいおっきいですね!!」

「勘ちゃん!!」

八左ヱ門、兵助、三郎、勘右衛門の順に詰め寄られ、雷蔵が窘める。思わず後ずさってしまった澄姫は頬を引き攣らせながらピキリと痛んだこめかみを押さえる。
確かにドクタケ忍者はヘボい。ヘボいがしかし、ここは学園の敷地内。本来ならば侵入者として追い払うべきなのに、この呑気さはなんなのだろう。仮にも上級生…しかも5年生なのに、あまりにも緊張感がなさすぎる。あの女の影響か、それともこの短期間で腑抜けてしまったのか…どちらにせよ見過ごせない問題だと眉を顰めた澄姫はとりあえず尻に手を伸ばしてきた勘右衛門の顔面に拳を叩き付けた。
突然の凶行に目の色を変えた兵助の寸鉄をギリギリまでひきつけてかわし、体を入れ替えるように首の後ろに肘鉄を一撃。その一撃で気を失わなかったものの体勢を崩した彼を、追い討ちで蹴り飛ばす。
雷蔵が止める間もなく、一気に警戒を強めた三郎が瓢刀を構えた後ろで、八左ヱ門が大きく指笛を吹いた。

「この女、ドクタケの癖に強いぞ」

「ドクタケの癖にな」

2人から発せられた“ドクタケの癖に”という言葉にまあ言いたくもなるわよねと内心同意した澄姫がサッと体勢をかがめたその時、八左ヱ門の指笛に応じたのか茂みから大きな狼と山犬が飛び出してきた。空からはばさばさと大きな羽根を広げた鷹が彼の肩にとまる。
あっという間に大所帯になった八左ヱ門に相変わらずすごいなとニヒルな笑みを向けた三郎が、強気な表情で彼女をにらみつけたその時、彼の背後から慌てた声が聞こえた。

「お、おいお前ら!!どうしたんだよ!!」

驚いた三郎と雷蔵が振り向けば、普段は八左ヱ門に絶対服従の狼や山犬たちがなんと彼に向かって牙を剥き、低く体を屈めて唸り声を上げているではないか。

「ど、どうしたのハチ!?」

「わかんねえ!!な、なんかえらく怒ってやがる…!!」

驚く雷蔵と戸惑う八左ヱ門、視線は逸らさないが困惑しているらしい三郎を見ていた澄姫だが、ふと思い当たることでもあったのかくすくすと笑い始めた。

「何がおかしい…!!」

静かに怒りを滲ませた声で呻いた三郎を一瞥した澄姫は、ゆっくりと八左ヱ門に近付いていく。それを阻止しようと踏み出した三郎だが、逆に狼にガウッと脅されて動きを止めるしかない。
オロオロするしかない雷蔵の目の前を通り過ぎ、ゆっくりと八左ヱ門に近付いた彼女は彼の目の前で立ち止まると、ひゅっと右手を振り上げて彼の頬を叩いた。
乾いた音が響き渡り、じんわりと熱を持った頬を呆然と押さえて彼女に視線を向けた八左ヱ門は、瞳に映った女の眼差しにゴキュと喉を鳴らした。

「“わからない”ですって?」

「ヒッ…」

絶対零度の蔑んだ眼差しと圧倒的威圧感に、八左ヱ門の喉から情けない悲鳴が漏れる。

「この子達の毛並みを見てわからない?臭いを嗅いでわからない?目を見てわからない?貴方、それでも生物委員なの?」

地を這うような声に促され、恐る恐る自分に牙を向ける獣たちに視線を向けて、八左ヱ門は見る見る青褪めた。
以前は艶々とした狼や山犬の毛並みは艶を失くし、ところどころ絡まっているのか毛玉が目に付く。肩にとまる鷹からは鼻をつく臭いがし、集まった獣たちは皆ギラギラと目を輝かせていた。野性味溢れるその姿に、彼の背中を冷たい汗が流れ落ちる。

「最後に小屋を掃除したのはいつ?ご飯をあげたのはいつ?撫でてあげたのはいつ?話しかけてあげたのはいつ?」

「…ぁ………」

「答えなさいハチ!!」

鋭い澄姫の怒鳴り声に、八左ヱ門だけではなく雷蔵と三郎までがびくりと肩を揺らした。
焦燥しながらも必死に思い出すが、記憶がおぼろげで最後の世話の光景が思い出せない八左ヱ門は無意識に山犬の秋雨に向かって手を伸ばす。
いつもは彼の手に嬉しそうに鼻を擦りつけていた秋雨は、彼の手に噛み付いた。
小さな頃から一生懸命面倒を見てきた、どんな時も彼に従い、寄り添い、共に戦い成長してきた秋雨の硬い犬歯が手の甲に当たる感覚に、八左ヱ門は意思の強そうな眉を情けなくハの字に歪め、その場に膝をついて秋雨のふかふかしていた首に腕を回して抱き寄せる。

「ごめん、ごめんな、ごめんな!!」

今にも泣き出しそうなその謝罪に、秋雨はゆっくりと彼の手から口を離した。本気で噛み付けば人間の手など粉砕できる秋雨だが、彼の手には歯が食い込んだ痕はあるものの出血は見られない。
結局飼い主に似て情に厚く育った秋雨の行動に苦笑をもらした澄姫は、膝をついて泣き出しそうになっている八左ヱ門の肩を叩いて促した。

「ほら、秋雨のお腹が鳴っているわ。彼らもお腹が空いているのよ、飼育小屋の子達にもたんまりご飯を食べさせてあげなさい」

そう優しく言えば、まるで夢から覚めたかのように八左ヱ門の瞳が輝き、彼は大きく頷いて立ち上がった。

「はい!!すいませんでした、澄姫先輩!!」

彼の言葉を聞いて、雷蔵は安堵の息を吐き、三郎がはっと息を呑んだ。


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