その女、ラッキーガール

泡を吹いて気を失った小松田さんを学園長に任せ、澄姫はヘムヘムと共に荷車を引いて学園の運動場に移動すると、てきぱきと箱につめたボーロをいくつか取り出し切り分けて皿に乗せ、爪楊枝を刺してから大きく息を吸うと、声を張り上げた。

「さあさ、よってらっしゃいよってらっしゃい!!珍しいボーロですよー!!」

後者まで響いたその声に、いの一番に反応を示したのは学園一の食いしん坊福富しんべヱ。砂埃を上げて駆けつけてきた彼は瞳をキラキラさせてボーロを見た。

「わぁ、おいしそうなボーロだぁ!!」

ふくふくのほっぺを押さえて涎を垂らす彼に、澄姫は相変わらずねと小さく笑って試食用の切れ端を差し出した。

「ぼく、食べてみる?」

耳を擽る優しい声に大きく頷いたしんべヱはそれを受け取り、大きく口を開いたところでその動きをぴたりと止めた。つぶらな瞳と目が合って、澄姫の瞳に動揺が滲む。
食べ物に関してだけ、しんべヱの嗅覚は犬をも凌ぐ。
いつか誰かが言っていたその言葉を思い出し、ばれたか、と頬が引き攣りそうになったその瞬間、しんべヱのつぶらな瞳にじわりと涙が浮かんだ。

「………平、澄姫…先輩?」

「!!……あなた…まさか正気なの?」

まるで確かめるように小さく呟かれた名前に、先程とは違った意味合いで彼女は狼狽える。渡しかけた気付け薬入りボーロを慌てて取り上げれば、小さいのに重量感溢れる体がドスンと彼女の薄い腹にぶつかった。

「うわぁぁん!!澄姫先輩だ、せんぱいだぁ!!」

わんわんと堰を切ったように泣き出してしまったしんべヱの体を何とか受け止め、丸い頬を滑り落ちる涙を慌てて拭う。

「ま、待ってしんべヱ、泣かないで頂戴」

誰かに見られてしまえばあらぬ誤解を招き、折角立てた計画がおじゃんになってしまうと焦った彼女は些か乱暴に袖で彼の涙を拭い、早口で説明し始める。

「しんべヱ、よく聞いて。学園の皆がおかしくなってしまったのはわかるわよね?」

「ぐすっ…はい。先生も、みんなも、ぼーっとしてて。せんぱいはいなくなっちゃうし、かわりのせんぱいは知らない人だし、ぼく、どうしていいか…」

「私は皆を元に戻しに来たの。ねえ、他に私のことを覚えてる人、誰かいるかしら?」

泣いた所為ででれりと垂れた鼻水を拭いてやりながら問えば、しんべヱは小さく頷き、指折り数えながら数人の名前を挙げていった。

「えっと、1年生はぼくと伏木蔵、3年生の神崎左門先輩、5年生の不破雷蔵先輩、6年生の善法寺伊作先輩と立花仙蔵先輩です」

あがった名前に3人も上級生が含まれていることに、澄姫の口角が上がる。汚れた手拭いをべしゃりと荷車の取っ手に放り投げた彼女は、にんまりとした笑みでヘムヘムを手招きし、可愛い耳元でコソコソと囁く。

「…今の5人、早急に呼んできて頂戴」

「ヘムッ!!」

そう言って可愛いお尻をぽんと叩けば、任せろとばかりにひとつ鳴いたヘムヘムは颯爽と校舎に向かって駆けて行った。そんな彼(?)を見送った澄姫は、やっと泣き止んだしんべヱを見てにこりと笑う。

「…さあ、泣いている暇はないわ。しんべヱ、皆を元に戻す為に手伝って欲しいことがあるのだけれど」

「おてつだい、ですか…?」

きょとんとした顔で首を傾げたしんべヱに、彼女は大きく頷く。

「そうよ。あなたにしかできない、お手伝いがあるの」

彼から逸らした顔を山積みのボーロに向けて、澄姫は獰猛に笑った。


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